109 幼女吸血鬼を抱きしめたい確かな欲求を口にして
「陽くん、遅くなるのなら言ってくれれば迎えに行ったのよ?」
「可愛い天使の迎えはありがたいけど、自分は天使の安否が一番大事だからね」
結局のところ、ホモと恋羽とあの後も軽く話していたのもあり、帰りが遅くなったことでアリアを心配させてしまったようだ。
今は食後だと言うのに、ソファに座りながらも心配してくれるアリアには、本当に頭が上がらなくなりそうだ。
陽自身、男であっても油断ならないように防衛手段を持ち歩いているが、アリアにはあまり心配をかけさせたくないだろう。
そばに居てくれる人が悲しむ顔は、見たくないのだから。
陽の中で、アリアはとても信頼できる以上の関係で、手を握っている約束がある。
陽は苦笑しつつも、テーブルに置かれたティーカップを覗いた。
「今日はジャスミンのアールグレイなんだね。ふわりと鼻を通り抜けるような香り、今の心に癒しを与えてくれるみたいだよ。でも、アリアさんが入れてくれたから、っていうのが大きいかな」
「やけにおしゃべりな紳士さんね。陽くんがアールグレイを好きだから、準備してあげただけよ……」
ツンとした様子を見せたアリアに、陽は静かに鼻で笑った。
そしてお互いに目を合わせ、ティーカップを持ち、ゆっくりと口に運ぶ。
口の中で広がるのは、アールグレイの独特な味わい。ジャスミンの風味が合わさったことにより、自然とまろやかながらも優しい味わいを引き立てているようだ。
たった一口飲んだだけでも考え深くなってしまうのは、心ではアリアを求めていた証拠だろうか。
アリアとは数時間会っていないだけだったのにも関わらず、ゆっくりと話したい、と陽は思っていたのだから。
「ねえ、陽くん」
静かな空間に、ティーカップを置く音が響いた。
淡々とした声色ではあるが、そこには芯があるように思わせてくる。
「アリアさん、どうしたの?」
「その、恋羽さんとホモさんとは、どのようなお話を……していた、のかしら?」
陽は思わず息を呑んだ。
これまで一度も、アリアは他者との会話に興味を示してこなかった。だからこそ、いきなり示されて驚かない理由は無いだろう。
友人であるホモや、アリアと同じ異性である恋羽とは、縛りなく自由に会話を出来ていたのだが、アリアが興味を示すことは無かったのだから。
会話の内容を時折話したら興味を示すくらいで、アリアが自分から聞く、というのは自分が記憶している範囲では存在しない。
だとしても、なぜ片言気味なのかは不明だ。
アリアが興味を持ってくれたことに嬉しくなり、陽はついつい口角をあげていた。
「そうだね……二人には、アリアさんとの関係を聞かれたよ」
無論、アリアが人を愛せない事を話してしまった件は、すかさず謝りを入れた。
アリアに許可を取っているとはいえ、自分の都合で話してしまったのは、陽としては許せない行為ではあったのだから。
アリアは興味を示してくれたようで、恥ずかしそうに服の袖を引っ張ってきていた。
「ねえ、陽くんから見た……私との関係は……なんて答えたのかしら……。あ、あれよ、二人に答えづらい答えでもいいのよ……?」
ここまでアリアが遠慮ないのは珍しいが、アリアの期待を無下にするわけにもいかないだろう。
陽自身、自分のアリアへの気持ちを整理する面でも、アリアからの問いはありがたいのだ。
「……アリアさんは、自分にとってかけがえのない存在だよ。幼女吸血鬼で、たった一人、自分を紳士として見てくれる、大事な大事な……少女だよ」
どうしても、言葉はちぐはぐになってしまう。
陽自身、今アリアに思っている感情を上手く表現できないのもあり、もどかしさがある。
紳士としては堂々と答えたつもりだが、陽の中では攻め切れていない印象だ。
ふと気づけば、アリアはムズムズした様子で、頬を赤らめていた。
袖を引っ張ってきていた手はゆっくりと、手首から、手の甲へと下りていく。
お互いの間に置いていた手から、確かに重なる温かさがじんわりと込み上げてくる。
「あ、アリアさん……その、よかったら、抱きしめてもいいかな?」
「め、珍しいわね。陽くんから言ってくるなんて……」
「今日は二人に連れられていたわけだし、アリアさんを近くで感じたいな、って。あれだよ? 嫌だったら我慢するし、重なった手の温もりだけで……」
陽が最後まで言い切らないうちに、アリアは逆の手で、陽の唇に指を当ててきた。
当てた指先を自身の唇に触れされるアリアは、何気ない間接キスをしている。
無論、陽の気持ちを刺激するには十分すぎるので、むず痒さがあるのだが。
「陽くん……きて」
アリアは手を重ねたままにしたいらしく、もう片方の腕を広げている。
アリアの誘いに乗るように、陽はゆっくりとアリアの肩に頭を乗せ、温かさを堪能するように抱きしめた。
小さくてひんやりとしている体だが、確かな温もりを、陽は理解できた。
今日に関しては、陽の方がアリアを求めていたつもりなのだが、アリアも陽を求めていたのだろう。
証拠にぎゅっと抱きしめてくる腕、当たる頬の柔らかさが、ひっそりとアリアの想いを間接的にも伝えてきているのだから。
「アリアさん、凄く温かいよ」
「ふふ、陽くんだけよ。私も、陽くんを抱きしめたかったの……どうしてかしらね……」
「……自分と同じ気持ちであってくれた、それだけでも自分は嬉しいよ」
脳のキャパシティーがオーバーする前に、陽はアリアから腕を離した。
アリアも満足したのか、柔らかな頬は揺れ、笑みを浮かべている。
毎晩抱き枕にされているとはいえ、自分から気になっている子を抱きしめるというのは何とも言えない背徳感だ。
嬉しいのに後ろめたいのは、紳士としてはあるまじき悩みだろう。それでも理由を何となく理解できているからこそ、アリアを抱きしめたのかもしれない。
そこに答えがあると信じて。
アリアと軽く話してから「もうそろそろお風呂に入ろうかな」と言って、陽はソファから立ち上がった。
ふと思い出したように、ゆっくりとアリアに振り向く。
「アリアさん。もしもだけど……一緒に入る日が来たら、どうする?」
「お、お風呂に、一緒に……!?」
アリアには荷が重かったのか、瞬時に頬を赤らめ、ぼっと音が鳴るような勢いでくらくらと頭を振っている。
陽自身、アリアに不埒な真似をしないとはいえ、今日の出来事があったからこそ聞いてみたに過ぎない。
アリアは焦った気持ちを落ちつかせるためか、冷めた紅茶を啜っていた。
「陽くんは、期待……しているの?」
陽は冗談の顔色一つせず、静かに頷いた。
アリアの体目当てではなく、陽はただ単に、アリアと近い距離を夢見ただけに過ぎない。
アリアは恥ずかしそうに目を細め、上目遣いで見てきた。
「陽くんの、えっち……」
「……自分は紳士であって、男だからね。こんなことを言っておいてあれだけど、安心して、自分はアリアさんが望まないことをする気は無いから」
陽がその場から誤魔化すように逃げようとした時「馬鹿」と小さく呟かれた気がした。
否定するような声色ではない、どこか弾んだ、はにかむような可愛らしい彼女の声が。




