法は神話を追い払った
その子は生まれた幼稚園に入る時から差別された。暴力団員の子はこの園には入れられません、何故なら暴力団と経済的取引関係を持つ事は法律で禁止されているからです、お子さんには大変申し訳ない事ですが。そう「幼稚園」という人格が、ある境遇の子に振る舞った。その法律とは、90年代に策定された暴対法だった訳だが。
父親は不当に思った。憲法14条に真っ向から違反する法律を作りやがって。それも真っ向からヤクザである俺を殺しに来るんじゃない。兵糧攻めだ。いやそれよりもっと悪い。食い扶持でなく、繋がりを奪おうという。そして、生きていく事を不能にするだけでなく、産む事も、育てる事も不能にする。それでは一方で我々には、ヤクザである事を止める道が許されているのか?それはNOだ。一度ヤクザになった者はずっとヤクザであるという暗黙の了解が、警察だけでなく、広く世間に敷かれている。そして、一度ヤクザの子として生まれた子供も、ヤクザの子である事を辞める道が用意されていないという。ただ、人間を徒に破壊して、荒ませ、かつ死を与える程の気概も責任も持つつもりがないと言って憚らないのが、現代社会の秩序観だという。
ヤクザは、ゆっくり滅んでいくだろう。歪み、力弱い者や傷付いている者を食い扶持にする道に追い込まれながら、ゆっくり死んでいくだけだろう。俺はどうしてヤクザになったか、お前ら聞こうとしないのか?俺は、お前らが真っ当だと言って憚らないその社会の側に認められている論理によって、苛められ、騙され、殴られ蹴られ、盗まれ、搾られ、対価を支払わず、持ち逃げされ、腹を空かし、そしてもう明日は生きていけないと思う位に落ちぶれた時に、この組の兄貴に助けてもらったのだ。俺がこの生涯で人に助けてもらったと心底から思ったのはその時だけだ。だから俺は、兄貴と同じ様に生きたいと思った。それ以外の秩序など入る余地はない。誰も助けない連中の社会秩序の為に生きていけよう筈があるか。
母親の考えは違った。理念でなく、もっと生活に則した考え方だった。子供を産まされたのにその子を育てられないというのは不当であるので、離婚して生活費だけもらう形を望んだ。父も、負い目と侠気からそれが良いだろうと思った。ただ、ヤクザが送る生活費というのは、やはり違法な行為や物品の取り引きに因る利益である。ヤクザの子が、違法な収益から払われる取り引きを認めないのだという理由から幼稚園の入園を拒否されたのだとすると、今起こっている婚姻関係の解消に従ってあたかも資金が洗浄されるかの様な経緯は、社会的な欺瞞という以外に言いようがない。筋が通らない。とヤクザの子の父親は思った。それでも、避けられない自分の影だけを背負って、生活費も受け取れない妻と我が子という状態も許す訳にはいかない。間違っているとは思いながらも、日々生きる道が狭まっていく中でヤクザは、覚せい剤売買だの、詐欺だの恫喝だのをやって、何とか家族らへの送金は保ち続けた。間違っている思うのに続けなければならないという事は、この社会で生きている以上何もこの一点だけの話でもなかった。何より、この男には向いている手段だった。
子供はすくすく成長し、やがて自分がどういう親の子で、何の金で自分の体を大きくする飯を食ってきたのかを、なんとなく肌で察するのだった。外界からの影響も当然ながらあった。その上で、何故自分が社会から疎外されるのかが分かった時、父親をヤクザへと押しやった力が、この子には親以上に強く作用する事になる。
自分を脅かし得る要素を、自分の都度の抵抗の手間を省略して機械的に排除しようとすると、その事の非徹底が却って裏腹の結果を産む事がある。その「自分」集合体が社会である。暴力団対策防止法の立案、及びその運用の流れに象徴されるものというのは、正にそれの顕現であり、暴力団員の虐殺という破局を曖昧に避けた結果として、古くからのヤクザの違法的な側面だけを暗に奨励する形に図らずもなってしまっていた。
とはいえ、このヤクザの子、初めは教師か警察官に成りたいと思っていたのだ。幼い頃からよくイジメられ(イジメに心惹かれる嗜虐的な子供らには、彼が「はみ出している生まれ」だという事が良く察知されたのだ)、それに反抗すると教師から詰られ、不当に偏見の目に晒されるという事を嫌という程経験していた。それで、自分が教師や警察官になれば、もう少しそう言った曲がった事を正せるのではないかと考えたのだ。学力は彼にはさしたる問題でもなかったのだが、いよいよという段階になってから、「3親等以内の親族に犯罪者はいないか?」という条件に阻まれるのだという事実を知った。馬鹿馬鹿しい事だが、彼らの世界というのはいつもそういうものだ、という再確認がそこで行われた。彼らの世界…それは自分のものでは決してない世界。とヤクザの子は思った。
そして彼は所謂半グレ組織の一員になる。この時には時代の波で、警察から指定される様な暴力団は大規模な裏の繋がりがある組以外には殆ど儲ける事が出来ず、儲ける事が出来ない故に新しい人材は集まらない。次世代というものが無くなる。これは秩序の内外に関わらぬ、秩序よりもっと巨大な影響力を持つ、資本主義というものの論理だ。数度の当該法の改正に後押しされる形で、血気盛んで頭も機敏な若者揃いの振興のアウトロー集団の方が、遥かに経済的に権勢を欲しいままにしていた。
彼はそんな組織の一員として、札束を握り、時に流血沙汰にも勇んで参加した。血を流して喧嘩をすれば、自分が逃れたいと思っても外部からの強風で纏わりついてくる様々な欺瞞的諸事や侠気の捩れによって構成された目の前の現実が、背景へと引き下がる様な感覚を得られたからだ。そして刺青も入れた。そんな姿になっても彼は、彼の父親と似てきている事を、それ程自覚してはいなかった。
ある時彼は、馴染みの飲食店で、一人の初老の男と口論になった。見るからに落ちぶれた男で、刺青があった。「ヤクザがなんぼのもんだ」と、彼は男を殴った。所詮は衰えた年寄りで、一撃で床に転がり、その胸を踵で踏みつける。彼自身何がそんなに怒る程の事なのかと不思議な位だったが、抜き身の刀を引っ込める術は知らない。「昔は肩で風切っていたのか知らんが、見てみろ、今じゃここいらは俺らのものだ。いつまでもデカい面しようとするな」。ヤクザはビール瓶を割ってよろけながら立ち上がる。「殺してやらあ」。もみ合い、そして割れたガラスは、初老のヤクザの、一度踏まれて窪んだ胸に刺さった。そんな、彼らの人生をがんじがらめにしてきた諸論理と比べれば、およそ何の思考の努力も要らぬような、しかしそれだけにあっけなく嘘の様な一事件が、複雑な背景を持つ二人の男の身に、突如として降って湧いた。それは彼らの気性が招いた荒事という意味では、当然の報いだった。
その時になって、二人はお互いの顔を初めてよく見た。面はデカいだけでなく、よく似ていた。
半グレの子は、自分がこんな風になったのは、親父がヤクザだったのが悪い、と思っていた事を思い出す。
初老のヤクザの方も、その身からはもう老いて弱くなった自分を悔しがる心が血と共に抜け、若い頃から自分がなんで人に先んじて血を流そうとしたのか、その理由を思い出す。人に助けて貰ったからこそ、人を助けてやりたいと思った、という話。老ヤクザにとって人助けは、法外の世界にしか在れない事だった。それを、何故だかこの目の前のやぶれかぶれな若造に話してやりたい、もう一度喧嘩をする前に戻って、隣の席に座らせて、話してやりたいように思った。お前が本当に俺の息子なのかどうかは分からねえが、俺には今、お前が息子の様に見えた、あとそれから、道を踏み外したところにもまた道が出来るもので、そこにはアウトローにも破る訳にはいかない掟があるもんだ…という様に、くだを巻いていつまでも続く、お節介な話を。
老いたヤクザは、あっけなく死んだ。半グレの子は殺人で刑務所に入った。そして、半グレの子は、いつまでも自分が誰を殺したのか、気にし続けて、やがて老いていこうとしている。巡り合わせが少し違えば聞けたかも知れなかった親父の話は聞こえない。そして、もう次の子供は無い、塀の外の社会に風が吹いているのだけが、彼の耳に聞こえてくる。