Title2.奇妙
前回より少し長くなってしまいました。次回は間が空くと思います。
「誰、あなた」
明るい黄色の瞳に見つめられ……というより睨まれて、風露は何も言えなくなり、そのまま硬直する。
「ねぇ、聞いてるのぉ」
明らかに不機嫌そうな声だ。
(ま、まずい、なんか言わないと……!で、でも初対面の人と話すなんて本当に久しぶりだし、何て言えば………!?)
「え、っと、あの……」
「スンスン……なぁんかいい匂いしなぁい?」
「ひゃっ!?な、なんですかっ!?」
相手が急に起き上がり、風露の匂いを嗅ぎ始めた。
初対面の相手に急に距離を縮められ、風露はひどく焦り、たちまち頬を赤くする。
相手は風露の体中をスンスンと嗅ぎまわり、布で包んだパンが入っているポケットの前でピタリと動きを止めた。
「あ、あの」
「これ、なに入ってるのぉ?」
風露のポケットを指さしながらこちらを見上げてきた。
綺麗な人物に上目遣いで見つめられ、思わず少しドキッとする。
「あ、えっと、これは、今日の昼ごはんで……ロールパン……なんだ、けど」
「へぇ、いいなぁ、甘い匂いがするぅー、いいなぁ……?」
「っ……」
上目遣いで目をうるうるさせている。
(これは、明らかに強請られてる……よな)
『ぐぅ~』
「--え」
「あー、おなか鳴っちゃったー、えへへぇ、恥ずかしいー」
そう言いながらチラチラと上目遣いでこちらを見てくる。
――後で食べようと思ってとっておいたんだけど、しょうがないな。
「お腹、空いてるの」
「ん、うんー、丸一日は食べてないかもぉ」
その言葉を聞いて、風露はとても驚いた。
ここは大きな都市から離れた質素な村だが、毎日食事はできている。丸一日食事を我慢したことなんてなかった。
それでもお腹が空くのだから、少女にはとても想像できないほどの空腹なのだろう。
風露はポケットの中からパンを取り出すと、何のためらいもなく相手に手渡した。
「はい、どうぞ。一個しかなくてごめんね」
「わぁい、ありがとぉ」
満面の笑みでパンを受け取ると、少女は躊躇なくロールパンにかぶりついた。
相手がパンを頬張る間、風露はその相手のことを観察していた。
相手は多分、自分と同じくらいの歳か、それ以上の少女だ。そして、兎の耳が生えているから、亜人で間違いないだろう。
旅人だろうか、と思ったが、それにしては荷物が少なすぎる。恐らく、腰につけられている決して大きいとは言えないポシェットに入っている物しか持ち物が無いのだろう。
服装も、旅に着ていくにしては、上半身も露出が多いし、履いているスカートも短い。服装といい、持ち物といい、明らかに旅をしているようには見えなかった。
「んんー、美味しかったぁ、ありがとねぇ。……それで、何であなたはあたしのことじーっと見てたのかなぁ」
ばれていたのか、とドキッとする。別にやましい気持ちがあるわけではないし、嘘などをついて適当にごまかしても逆効果だと思ったので、素直に答えた。
「えぇっと、なんか、旅でもしてるのかなーって……なんとなくそんな感じには見えなくて……」
焦った風露の若干しどろもどろな言い分を聞いた彼女の反応は、風露が想定していたものとは全く異なるものだった。
「……それだけ?」
「え?」
「本当にそれだけなの?他になかったの?」
「他にって……?それだけだけど……」
「そう……。そういえば、さっきのパン何が入ってたのぉ?」
「えっ、ああ、えっと、バター、だよ」
「バター?」
バターというものに初めて触れたのか、少女は不思議そうに首を傾げる。
牛乳から作られるもので、ここら辺では滅多に食べられないことを伝えた。
少女は「へぇ……」と呟くと、少し俯いて何かを考えているようだ。
いつもなら何も話す話題がないし、滅茶苦茶気まずいのでさっさとこの場を立ち去ってしまおうとするのだが、さっきまで丸一日も何も食べていないというとんでもない状況になっていた少女を放っておくことができるはずもない。
「あのっ……」
少し勇気をだして声をかける。
風露の呼びかけに、俯いていた少女が「んー?」と言いながら顔を上げた。
「何か、できることがあれば手伝うから、えっと……」
自分から話しかけておきながら、途中から声が小さくなり、しどろもどろになってくる。
(やっぱり、こんな見ず知らずの人に声をかけられて、手伝ってもらおうなんておもうかな……おまけにこんな私だし……)
「んー、そうだなぁ、じゃあ一つお願いしていーい?」
「そ、そうだよね、ごめんね余計なお世話だったよね……ってえ?」
「あのねぇ、私、この大陸を旅してるのぉ。で、今日ここで野宿してもいいんだけど、最近ずっと森の中で野宿だったし、久しぶりにベッドで眠りたいなぁって思ってねぇ。あなたの様子を見た感じ、近くに町か村がありそうだもんねぇ」
「う、うん、宿を探してるってこと……かな」
「そうー、案内してくれる?」
「わ、わかった……!」
少女を連れて歩きながら、風露は、とても奇妙なことになっていると考えていた。
普段村の人とも滅多に話さない自分が、初対面の女の子にパンをあげて、しかも今こうして一緒に歩いている。
これのどこが奇妙ではないと言えるのだろう。
村人たちも同じことを思ったようで、少女を連れて歩く風露と、風露に連れられている少女のことをじろじろと見ていた。
村の唯一の宿屋に到着し、風露が他の建物より少し大きい扉を押し開けた。
『カランコロン』と乾いた鈴の音が小さくだが部屋に響いた。
「すみませーん」
風露にしては少し大きな声で奥に呼びかけた。
ちょっと待つと、恐らく営業スマイルであろう笑顔を浮かべたおばさんが出てきた。
「あの、宿を借りたいそうなんですけど……」
そう言って後ろにいる少女の顔を見上げた。
「一日だけでいいのでー、泊めていただけませんか?ちゃんとお金もありますよぉ」
風露は、少女がなぜこのような言い方をするのか分からなかったが、その理由は割とすぐに理解することになる。
「……あんたに貸す宿はないよ」
「--」
「……は?」
「あんた、亜人だろ。お前みたいな悪魔に宿を貸すわけがないじゃないか。風露!あんたなんてものをうちに連れてきてくれたんだね!?さっさとその害獣をつれて出て行っておくれ!」
「ちょっ、は、なんでですか、そんな言い方しなくてもいいじゃないですか」
宿屋のおばさんにぐいぐい背中を押されて追い出されそうになり、思わずおばさんを少し押し返し反抗する。
そんな普段の風露とは異なる様子に驚いたのか、おばさんは少しの間動きを止めた。
柄にもなくさらに言い返そうとしている風露を、ずっと後ろで控えていた少女が腕を掴んで止めた。
「もういいわ、行きましょう」
「え……でも」
「ありがとねぇ、あなたも、本当にすみません」
「さっさと出ていきな」
「はいー、お邪魔しましたぁ。ほら、いこー」
「え……でも」
風露が口をはさむ間も無く、少女は会話(?)を切り上げて、風露の背中を押して宿屋を出てしまった。
建物を出てすぐ、風露が後ろを振りかえり、少女の顔を見上げた。
先ほどのように言われて、なんにも言い返さないでいいのか、と言おうと思ったのだが……
「あの――っ」
喉元まで出かかっていた言葉は、少女の顔を見た途端、ぐっと喉の奥に押し戻されてしまった。
少女は、笑っていた。
先ほどのやり取りがまるで無かったかのように、ふんわり口角を上げ、いかにも機嫌がよさそうに微笑んでいた。
その何事も無かったかのような表情が、先ほどの出来事に触れることをタブーとしているように見え、風露は言葉に詰まってしまったのだ。
そんな風露も、さっきのことも気にする様子もなく、少女はマイペースに口を開く。
「あーあ、今日も野宿決定しちゃったぁ」
そう呟いて、少女はへへっと笑った。
風露は少女が全く分からなかった。表情はある。何なら自分よりも豊かであることは、この短時間でも理解できる。
風露は、思ったことをすぐに態度に出す癖があるとよく注意されるので、自分より表情豊かなこの少女が考えていることがなぜこんなにも分からないのかと不思議に思った。
――少女と自分の間にあるこの差は、とても奇妙なものだと思った。
「んー、ってことは、そろそろ準備始めないといけないよねぇ……まずは取り敢えず薪を集めてぇ……」
準備、ということは、野宿をする、ということか。
宿が借りれなかったのだから当たり前か……と思う。
正直、普通の旅人だったらこのまま別れてお終いなのだが……
「っ――あのさ……っ」
「んー、なぁに?」
「家、来ない?」
なんとかして彼女を屋根のある所に連れていき、ベッドで寝かせてあげなければ、という使命感が生まれ、短時間で一生懸命考えて、家に招くというたった一つの方法を思いついたのだ。
だが――
「んー、それは気持ちだけ受け取ろうかなぁ」
「え」
あっさり断られてしまった。
「な、なんで、私の住んでる家なら、ベッドもあるし、ご飯も用意できるよ……?」
「とぉっても魅力的な提案だけど、ちょっと遠慮させていただくわぁ。私が泊まっちゃうと迷惑になるだろうし。それに……」
そこまで言うと、少女はそれ以上何かを言うことはなかった。
少女の言葉の続きも気になるが、それ以上に、少女が今夜野宿をしなくてはならないことが気になって仕方がない。
なぜこんなに初対面の少女に関わろうとするのか、風露は自分でも分かっていなかったが、やはり気になるのだから仕方がない。
何か、少女が野宿をしなくて済む方法は、屋根の下で眠れる方法はないものかと思考を巡らせる。
(何か、本当に何もないのか?なにか、まだなにかあったような……屋根がある、屋根……ああ!)
「図書館!」
「ん?」
「図書館は、どう……?あそこなら雨風もしのげるし、あそこで寝ても誰も文句は言わない。夕飯とか、毛布なんかは、じいちゃんとばあちゃんに言って持ってくるから、今夜は図書館に泊まるのはどう……かなって、思ったんだけど……」
風露の提案を聞いた少女は、その提案に賛成なのか反対なのか述べず、首を傾げた。
「図書館?この村、図書館があるの?」
そうか、この少女は図書館に向かう途中の茂みに倒れていたから、図書館の存在を知らないのか、と納得する。
この村のかなりはずれの方だが図書館があり、少し古くてカビの匂いがするが、人が暮らしても全く問題ないことを伝えた。
「でも、そこは村の人たちも使っているんじゃないかしら。私が泊まってしまったら、迷惑なんじゃない」
「大丈夫。理由は分からないけど、みんな使ってないから」
「そ、そうなのぉ。取り敢えず、その図書館を見てみたいわぁ。悪いけど、案内をお願いできるかしら」
「――うん」
「へぇ、なんだか想像してたよりも綺麗で、ちょっとビックリしちゃったわぁ。確かに、今夜はここで寝るのも悪くないかもねぇ」
広い図書館の中をぐるりと見まわしながら少女が言った。
「私が毎日掃除してるからね」
そう語る風露の顔はどこか誇らしげだ。
そんな風露を見て、少女が「へぇ」と相槌をうつ。
「でも、本当にここ使っていいの?」
やはりまだ気になることがあるのか、また同じことを風露に尋ねた。
なぜそんなにここに泊まることを躊躇っているのか、と思いながら風露が答える。
「私以外、ここには来ないから、絶対大丈夫だよ」
「うーん、本当に誰も嫌に思わない?」
「うん」
「絶対に、誰も?」
「――うん」
そこまでやり取りをすると、やっと何かを納得したのか、少女は今日はここで寝ることにすると言った。
「食料を調達できるあては、あるの」
「んー、今のとこないかなぁ」
少女があはは、とマイペースに笑いながら答える。
「じゃ、夕飯だけでも、家に来てよ」
「え、でもそれじゃ……」
「もう暗くなっちゃうよ。私、お腹空いた」
また同じようなやり取りが続きそうになったので、風露は少女の手を引いて、若干強引に家へ帰った。
「本当にいいのぉ」
「大丈夫、だよ。いこ」
最後まで気が乗らなそうな少女の手を握りながら、木の扉を押し開ける。
温かな光と、いい匂いが扉からあふれ出した。
「ただいまー」
「「おかえりなさい」」
風露の挨拶に、明るい声が返ってきた。
その声を合図にするかのように、風露は家の中に踏み込む。
そして、「ほら……」と手を引っ張り、少女を家の中に招き入れた。
「あら、風露、その子は……」
風露が招き入れた少女を見た老爺と老婆は、二人とも驚いたような顔をした。
その二人の表情を見た少女は僅かに俯き、いずれ二人の口から発せられるはずの言葉をじっと待った。――が
「ずいぶん可愛らしいお客さんが来たな。友達かい?」
「ん、友達っ……なのか……」
「あらあら、風露がお友達を連れてくるなんて珍しい!そして美人さんだねぇ」
「ん……友達っていうか、さっき、会ったばっかり――じゃなかった。あの、この人旅してるみたいで、今日の夕飯が無いみたいだから、一緒にご飯、食べたいな……って」
「あら、そうだったのね!ええっと、椅子が何個か余ってなかったかしら?どこにおいたんだったかしら……」
「ほら、持ってきたぞ」
「ああ、ありがとう。ほら、ここに座って!ご飯にしましょう」
それまでこの一連の会話をぽかんとした顔で見ていた少女は、その言葉で我に返り、用意された席に着いた。
「あ、ありがとうございますぅ」
「「「いただきます」」」
全員が席に座ると、いつものように挨拶をして食事が始まった。
少女は遠慮しているのか、老婆に「さぁ、食べて」と言われてからやっと食べ始めた。
「――いただきます」
「どうかしら、お口にあえばいいんだけど」
「……!すごく美味しいですぅ。こんなにあったかくて美味しいご飯は久しぶりに食べましたぁ」
「そう~、よかったわ」
にこにこしながら老婆が作った夕飯を頬張る少女を見ながら、風露もスープをスプーンで掬って口へ運んだ。
木で作られた少し洒落た器に入れられたスープは、ほかほかと白い湯気をたてている。
(ん……ちょっと熱すぎたかも……)
舌を火傷しそうだったので一気に飲み干した。
少し熱い感覚がじんわりと喉に広がる。
「それにしても珍しいな。風露が友達を連れてくるなんて今まで一度も無かったもんな」
「そうね~、それどころか、友達の話なんて一切しないものね。てっきり仲間はずれにでもされているんじゃないかって心配していたわ~。ちゃんと友達がいるみたいでよかった」
「ん、だから、さっき会ったばっかりで、友達じゃ……」
でも確かに、私が他人を家に招くなんて、珍しいことだと風露は思った。
仲の良い人ですら一緒に食事をすることすらなかったのに、初対面の少女を家に招いて一緒に夕食を食べているなんて、とても奇妙だと思った。
そんな三人の和気あいあいとした会話を聞きながらパンを食べていた少女が、ふと思いついたかのように一言呟いた。
「そういえば、私、突然夕飯にお邪魔しちゃったんですけど、大丈夫だったんですかぁ?私の分を用意するために、皆さんの分が少なくなってしまったりとかは……」
「あ、それなら、大丈夫だよ、だって――」
「だって、いつもこんなにあるんですもの――!」
そう言って老婆が持ってきた鍋には、四人分盛り付けてもまだ今日の夕飯のおかずが半分弱残っている。パンも保存がきくように工夫してまだ保管してあると言った。
「わぁ、いつもこのくらい食べてるんですかぁ?」
鍋をのぞき込みながら少女が質問する。
「いいえ~、こんなにたくさんは食べないわよ~。やっぱりこういうのはたくさん作らないと美味しくないじゃない?だからいつもつい作りすぎちゃうのよね」
「たまに、五日間連続で同じおかずになることがある」
「へ、へぇ」
「だから、心配しないで食べて頂戴!」
「はぁい、喜んでお言葉に甘えさせていただきますぅ」
そう言うと、少女は皿に乗っている分をパクパクと食べ終えると、最初に乗っていたのと同じくらいの量のおかずをもう一度皿に乗せ、またあっという間に食べ終えてしまった。
見た目は華奢なのに、結構食べる子なんだなぁと風露は感心した。
「「「「ごちそうさまでした」」」」
夕飯を食べ終え、温かな時間は終わりを告げた。
少女が食器をさげようとした時、老婆が少女に話しかけた。
「そういえば、今日はどこで寝るつもりなの」
「図書館に泊まるつもりなんですぅ」
笑顔で答えた少女の言葉を聞いた老婆が手を握って、老婆が驚いた様子で言った。
「まあ、女の子が一人であそこに泊まるの?それだったら、ここで過ごして!あそこで過ごすのは心配だし、ここだと風邪もひかないから!」
「いえ、大丈夫ですよぉ。毛布も彼女が使っていないもの貸してくれるみたいですしぃ」
「遠慮しなくていいのよ、出来ることなら温かいところで過ごしたほうがいいじゃない」
「で、でも本当に大丈夫ですよぅ、迷惑がかかってしまうかも……」
「迷惑なんて考えなくていい。せっかく風露が招いた友達だ。ばあさんも精一杯もてなしたいんだろう。とにかく、気にせずゆっくりしていくといい」
「……では、お言葉に甘えちゃってもいいですかぁ」
老婆と老爺の勢いに押されたのか、ついに少女の方が折れ、今日は風露の家に泊まることになった。
この老人二人組は、とんでもなく親切なのだが、少し強引なところがあるんだよな、と風露は思った。
入浴を済ませ、なんだかんだあって少女はいつのまにか風露の部屋で寝ることになっていた。
ベットがあるところから、ベッドもう一つ分離れたところに机が置いてあるのだが、その机とベッドの間に布団を敷いてもう一人寝られるように準備を進める。
その様子を、風露のベッドに座って見ていた少女が不思議そうな顔をして口を開いた。
「なぁに、それ。それ、寝るのに使うの」
そんな少女の素朴な質問に、かけ布団を広げながら風露が答える。
「うん。なんか、ここら辺の地域で、昔使われていた、みたい。今は、使ってるの、全然見ないけど」
「へぇ」
興味があるのか、少女はそのまま風露が布団を敷く様子を見ている。
風露は以前本で読んでいたから布団自体の知識はあったが、実際に扱うのは初めてだ。というかそもそも、家にあることも知らなかった。
だけど、あの老人二人組は珍しいものが大好きで、商人が輸入品やら骨董品やらを持ってくる度に手の届く範囲で買い集めているため、妙に納得できた。
「よし」
腰に手を当てながら自分が敷いた布団を見て、満足そうに風露は頷いた。
そのまま机に近づいてランプに触れる。
「もう消していい?」
風露が振り返りながら少女に尋ねると、少女は布団と風露を交互に見ながら質問をし返した。
「そこで寝るの?」
そこ、とは、風露が敷いた布団のことだろうか。
うん、と風露は頷いた。
「あたし、そっちで寝たいんだけど、いいかなぁ」
少女はにっこりと微笑んだ。
それに対して風露は、眉をピクッと動かしただけでほとんど表情を動かさずに答えた。
「や、だめだよ、流石にお客さんを床に寝させるのはちょっと……」
「そんな堅苦しいこと言わないでよぉ。あたしは風露の友達なんだから、そういうのは気にしなくていーの」
「き、君まで、そんなこと……私達、いつから友達になったの」
風露のその言葉に、少女は頬を膨らませて不満げな様子を見せる。
「えぇ〜、風露って冷たいのねぇ。家に招いて、食事も一緒にしたのに酷いわぁ」
「な、そんなんじゃーー」
少女がそう言って目を潤ませるもんだから、風露は思わずたじろいだ。そこにトドメをさすかのように少女が言い放つ。
「友達詐欺よぉ、こんなのってないわ」
そう言い、目を潤ませたまま風露を見上げる。
その瞬間、奇妙な感覚が風露の足元からフワッと押し寄せ、全身を包んだ。
今にも泣き出しそうな少女の顔に罪悪感を感じ、うまく目を合わせられない感じがする。風露は村における自分の立場から旅をする少女と親しくなるのは絶対に避けられなければならないと思っていたが、その顔を見た瞬間、彼女の行動全てを許し、彼女の言うことをなんでも聞いてあげたいと思ってしまう。
逃げたい、心臓が妙に高鳴っているようで胸が痛い。でも逃げたら苦しくなりそうだ。
目を逸らしても痛みは止まない。少女を見ると痛みは規則正しいリズムを刻みながらじわじわと広がっていく。
(頼むから、その顔、やめて)
「だ……って私、まだ君の名前も、知らない」
そうきっと、あの「噂話」と変わらない。平然としてれば、なんともないんだ。
その結論に辿り着いた風露は、自身に起こった混乱を悟られないよう、毅然として、いつもと変わらず言葉を発した。
……つもりだったが、発せられた声は少しうわずっていて、出だしも絞り出したかのような細い声だった。
「……ああ、そうだったわねぇ。ごめんなさい、忘れていたわぁ」
えへへ、と笑ってから少女は立ち上がり、微笑んで軽く自己紹介を始める。
「あたしは玉兎。知っての通り、旅をしているのぉ。よろしくねぇ」
風露はすました顔でそれに応える。
「よろしく、玉兎。私はーー」
「風露ね。みんなそう呼んでるから覚えちゃったわぁ」
ふふっと笑って玉兎が右手を差し出した。
風露はその手を取ろうか迷ったが、またあの顔をされたら堪らない、と思い切って手を握る。
その手を玉兎はもう片方の手で包み、笑顔のまま言った。
「これでもう友達よねぇ。これから堅苦しいことはナシ。あたし、布団で寝てもいいでしょぉ」
「それとこれとは、別。やっぱり、君はお客さんだよ。床に寝させるわけには、いかない」
風露は玉兎の手を離して、腕を組んで反論する。玉兎はまた頬を膨らませた。
「もう、あたしがしたいって言ってるんだから、気にしなくていいのにぃ。あぁ、それとも」
にっこり、とは違う笑みを浮かべて、風露を見る。
「一緒に寝たいのかしらぁ」
「は、はあ!?」
思わず大き声を出してしまい、風露は口を押さえた。
「わ、私を、何歳だと思ってるんだ。もう、誰かに寝かしつけられなくったって、自分で、自分一人で、寝れる、し」
玉兎は笑っている。どう考えても先ほどのような微笑みではない。かといって、村人達が噂話をしている時の嘲笑とはまた違う。でも、不快でないわけではない、というか、正直に言うと不快だ。
「……そんなに言うなら、いいよ。ランプ、消すのおねがい」
言い捨てるような感じになってしまったが、風露はもうそんなことどうでも良かった。
少女の横を通り過ぎ、ベッドに潜り込む。
「うふふ、風露って頑固ね」
それは玉兎も同じだ、と言い返そうかと思ったが、やめた。部屋の明かりも消されたし。
昼間、玉兎と過ごす間、彼女のことを不思議だと思ったが、今はもっと不思議に思っていた。
なぜ他の人と比べてあんなに距離が近いのだろうか。昼間に少し一緒にいて、名前を教えただけで、友達になるものだろうか。会って間もないに等しいのにああいう言動をしたのはなぜか。でも馬鹿にしているよな、侮辱や嫌味が含まれているような感じはしなかった。風露がおかしいのだろうか……いや、玉兎は今までに出会って、関わってきたどの人とも違う。
昼間は玉兎と風露自身との差を奇妙に思ったが、今は玉兎とその他の人の違いを奇妙に思った。
夢中になって考えていた風露だが、やはり生理現象には逆らえず、だんだんうとうとしてきた。
次第に曖昧となる思考の中に、唐突にぼんやりと月が浮かんだ。
ああ、いつか散歩した時に見たやつだ、とその月を眺めた。
月は、太陽の光を反射して輝いている。「月」は、太陽がいないと「存在できない」。
そのような、読書で身につけた知識をはっきりしない頭で考えていた時、ふと、一つの考えが浮かび上がった。
「太陽」は、太陽の光を反射する星々がなければ、「存在しなかった」……
半分夢と混じり合った思考はいつも曖昧で、それらをドロドロに混ぜ合わせている大鍋で一緒に煮込まれる時は、よろこびも、きょうふも、色々あった。