元騎士による孤児院経営
戦争が終わったらしい。
らしいと言うのも、僕にその実感がなかったからだ。伝令で伝え聞いただけの、簡素な勝利。
もっと、分かりやすいものだと勘違いしていた。強大な敵の大将を打ち倒し、みんなで剣を掲げて、勝ち鬨をあげる。そんなものだと思っていた。
現実は遠征先の野営地で、天幕に届けられた紙切れで戦争の終わりを知ってしまった。
7歳のときから剣をとり、14で騎士見習いとして、戦場に放り込まれ、がむしゃらに突き進んだ3年間。沢山の幸運と偶然が積み重なり、僕は大隊を率いる立場になり、そして、生き残ってしまった。
本国に帰還する道中、馬に揺られながら考える。
3年間を振り返る。
「ああ……そうか」
自然と声が漏れた。
「僕は殺しすぎたんだ」
夜明けが近い。酷く綺麗な朝日に、目を細める。澄み切った青空の下で、射し込む陽の光が、僕を焦がすように輝いていた。
◇◇◇
王都に帰還して始まったのが、戦後処理と復興作業だった。戦後処理の方は僕には縁遠い手柄や報酬の話がほとんどだった。そこは優秀な書記官であるアンナに任せて、僕は復興作業へ赴いた。
訪れた村々は酷い有様だった。
人は当たり前に死んでいて、家や畑が残っているのはごく少数。焼き払われた家の瓦礫を前に、辛うじて息をしている人々。むせ返る暑さの中、遺体が異臭と病を撒き散らしていた。
これは天命なのだと思えた。
殺しすぎた僕に与えられた使命だ。
もう、殺したくない。救い尽くすのだ。そうすれば、きっと……許される。
家の修繕、建て直しや、村人の移送。僕が動かせる大隊では、限度があり、とても全てに手を回せるわけでもない。
選抜と時間の戦いだった。焦りもがく僕の手からは、ポロポロと救えたはずの命がこぼれ落ちて行く。僕が選んで切り捨て死んだ人たちは、書類上の数として届けられた。
必要なのだ。
全ては救えない。
「だって…そうだろう!? これ以上どうしろって言うんだよっ!!」
叩きつけた書類がハラハラと床に散らばる。何百という犠牲者をまとめた書類はあまりに軽すぎた。
頑張らないと。
♢♢♢
そんな激務の最中だった。
野盗と化した村人を斬り殺した。
村を襲っていた。武装した集団が村を襲っていたんだ。
敵の残党兵と勘違いをしていた。あの人達はどこから拾ったのか、敵軍の鎧や武器で身を固めていた。
だから、殺した。
知らなかったんだ。
僕らが守るべき国民とは、思いもよらなかった。彼らは戦争で追い詰められて、仕方なく野盗に身をやつしただけだ。
誰も殺したくないと、語った舌の根が乾かないうちにこれである。
やりようはあった筈だ。殺さずに無力化だってできだはずだ。
天幕の中、王都へ送る支援要請の書類をまとめながら、考える。もっと救うためには、もっと助けるためには、もっと…もっと…
「ロディさん……貴方、なんて顔してるんですか」
振り返ると、書記官のアンナが立っていた。僕としたことが、アンナの気配に気づかないなんて、少し疲れているようだ。
「やあ、アンナ。戦後処理お疲れ様。何か報告でもあるのかい?」
笑顔を作って、僕が問いかけると、アンナは驚いたように身を縮め、泣き出しそうに顔を歪める。悪い報告なのかな。
「ロディさん、もう…休みましょう。限界なんです」
絞り出すような声だった。
「安心していいよアンナ。大隊のみんなにはきちんと交代制で負担はかからないようにしているんだ。追加の支援の話しも国から許可がもう少しで降りそうなんだ。それに…」
「ロディさん!」
アンナが叫ぶように声を荒げる。こんな彼女の声を聞いたの3年ぶりくらいだった。
「アンナ、僕は…」
「休んでください。お願いですから」
そんな泣き顔で言われては、逆らえない。僕はもっと頑張らないといけないのに。
ランプと書類を取り上げられたので、この日は仕方なく眠ることにした。
まどろみの中考えるのは、僕の殺してきた人達。そして、辛そうに僕を見つめるアンナの顔だった。
「ごめん…アンナ、それでも僕は…」
謝罪の言葉は誰もいない天幕の暗闇に飲まれて消えていった。
◇◇◇
あれから一年。復興作業は落ち着きを見せていた。
ここらが引き際だろうと、僕は大隊長の座を返上することにした。そもそも、僕のような田舎貴族の三男には荷が重い立場だったのだ。
驚く程すんなりと、僕の意見は通されて、国王直々に労いの言葉をもらう褒美まで頂いた。
やりたいことも考えてる。半壊した村々をまわるうちに自然と答えに辿り着いた。
孤児院経営だ。
国王様から書面上ではあるが、許可を頂いているし、何より数年分の予算も組まれている。
僕は殺しすぎた。
だから、これからは命を助けるのだ。
そうすればきっと、あの悪夢だって…。
僕は資産を投げ打って建てた孤児院を前に拳を握る。
「よし、頑張るか」
◇◇◇
「ねぇ、アンナ。なんで君達がいるのかな?」
「知らないうちに騎士を辞めた自分の胸に聞いてください」
あれから孤児院を経営していると、職員という名目でアンナ率いる大隊メンバーが面接にやってきた。仕方ないから採用したけど、アンナたちの出世コースを邪魔したみたいでとても悪い。
なんだかんだで5年が経ち、孤児院は問題なく運営できている。できているが、そろそろ予算が打ち切られそうで焦ってる。
孤児院の目的は、孤児を育て成人させる事ではない。確かに教育も施すが、最終目標は里親を探す事だ。この5年間で、何百という子供を独り立ちさせる事は無理だと実感させられた。きちんとあの子たちを独り立ちさせるには里親意外ありえないのだ。というのもこの孤児院自体、戦争でできた臨時の受け皿に過ぎないのだ。長く持つものではない。
里親に出すためには、子供達にある程度の教養がなくてはならない。言い方は悪いが、無能な子供を引き取る程、今の王国民は裕福ではない。何もできないと、子供としても肩身が狭かろう。
農作業に始まり、読み書き、武術、魔術、身につければつけるだけ、里親に引き取られる確率は上がる。里親と言うより就職するに近い。
大隊の頑張りもあり、殆どの孤児は里親に引き取られた。みんな、優秀でいい子達ばかりだった。あるものは、孤児院の暮らしに慣れずに逃亡したり、憲兵に捕まったりしたがごく少数だ。
で、残ってる子たちは、少しばかり問題を抱えている。
僕は187名の名簿をめくりながら、獣人達の事を思い浮かべる。
獣人。
獣憑きとも呼ばれる彼らは、獣の特徴を持って生まれてくる者たちだ。獣人ではない親から生まれることもあるので、色々と問題になってる。
あるものは獣の耳が、あるものは尻尾が生えて生まれてくる。そして、最大の特徴は魔法が使えないということだ。
魔法を神からの贈り物と考える王国では、魔法が使えないことは差別の対象であった。曰く、神から祝福されない呪われた子だと言われている。
故に貰い手がいない。
事実、獣人は獣的というか、気性の荒いものが多くいる。知性も総じて低く、重度だと読み書きは愚か、言葉すら怪しい者もいる。
彼は隷属の首輪を嵌められ、鎖に繋がれているか、殺されるかの二択しか存在しなかった。
孤児院経営を続け、彼らと接するうちに、よく似た症状に思い至った。
戦場で多く目にした『魔蔵閉鎖』である。
これは人が持っている魔力を製造する器官である『魔蔵』が、疲労や呪いなどを原因としておこる病だ。
魔蔵を酷使した者が、体内の魔力を外に放出できない状態になる。精神に強い繋がりのある魔力が体内で溢れることで、情緒不安定になるといった過程でおこる。
この状態になると、まともな思考はできなくなり、最悪発狂して味方を攻撃する者までいる。
そもそも獣人だって魔力は持っているはずなのだ。
僕が切り捨てた獣人には、同じように魔蔵があり、きちんと心臓と同じく脈をうって機能していた。
魔力を作る機能は正常で、体外に魔力を放出することができないだけ。そう考えると、獣人の特性も納得がいった。
なにぶん人の腹を割いて覗いたことしかない僕では、治療行為などできるはずもない。知り合いの医師も獣人の治療には、関わりたくないと断られてしまった。
仕方がないので、隷従の首輪を使用することにした。
鎖で繋ぐためではない。
隷従の首輪には、魔蔵に働きかけて精神に強い暗示、つまりは命令することが可能なのだ。
それは魔蔵から体外への通り道として機能することを意味していた。
隷従の首輪をパイプ役として体内に溜まった魔力を『命令』する事で外に放出させる。荒療治だが、これがとても効果的に作用した。
言葉すら喋らなかった子供が徐々に理性を取り戻していき、今では言葉は愚か読み書きまでできる。首輪という見聞の悪さを除けば、獣憑きを完治したとも言える。
ただ、首輪のついた獣憑きなど里子として引き取る変わり者は、貴族の変態ども以外におらず、未だに彼らは孤児院から出られずにいた。
隷従の首輪という特性上、命令する主人が必須となり、今でこそ僕が一任しているが、里子として送り出すとその権利を譲渡する必要が出てくる。言うまでもなく譲渡は慎重に行われなければならない。隷従の首輪は『なんでも命令できる』そう言う魔道具なのだから。
「ロディ先生、お茶どうぞ」
書類を前に今後のことに頭を悩ませていると、ジェシカがお茶を淹れてきてくれた。ここにきて3年と少しだが、なんと読み書きはばかりか算術まで身につけている天才だ。まだ9歳の彼女は、垂れた犬耳という特性を持ち、当然その首には隷従の首輪がつけられていた。
3年前は獣のように暴れまわっていたとは思えないほど穏やかだ。知能が高い故に自分の置かれた状況を正確に理解しており、隷従の首輪からもこの孤児院からも逃れられないと判断して動いている節がある。
現に『お茶汲み』という自分ができる仕事を見つけ、孤児院での居場所を作ろうとしている。孤児院運営について職員に聞いてまわったり、将来はここで働くつもりでいるようだ。
「ありがとうジェシカ」
僕は笑顔でお茶を受け取り喉を潤す。お茶の香りが張り詰めていた気持ちをほぐしてくれる。
よし、頑張るか。
「ロディ先生、また悩み事?」
「ああ、少しね。孤児院の運営方針を変える必要が出てきてね」
書類は国への資金援助の嘆願書だ。色々と理由をつけて援助金をもぎ取ってきたが、それも限界が近づいている。
「孤児院……なくなっちゃうの?」
「なくならないさ。獣人専門の施設になるかもしれないけどね」
そう、国から援助金の条件として獣人を積極的に受け入れるように話を持ちかけられたのだ。獣人がもし人種として違うだけなら、処刑や追放で事が進んでいただろう。
だが、獣人は普通の王国民から一定の確率で生まれてくるのだ。それは貴族とて例外ではない。見栄を誰よりも重んじる貴族は獣人が生まれた時点で殺処分にして『流産』として処理するだろう。だが、貴族とて人である。全員が全員冷酷に振る舞えるはずもない。
そんな貴族の後押しを得て、孤児院存続の話が進んでいる。本来は数年でたたむ予定の孤児院は国の一機関としての立場を確立しつつあったのだ。
今後のことについてジェシカとのんびり話をしていた時だった。
戦場の空気が立ち込めるのを感じた。
僕は腰の剣を抜き放ち、ジェシカを背に隠して扉を凝視する。
殺気だ。複数人が暴力の気配を纏ってこちらに近づいて来ている。
どう言う事だ。ここの職員は戦場を生き抜いた元騎士がほとんどだ。警備の硬い僕がいる院長室まで賊が迫ってるなどありえない事態だった。
「ロディ先生、ど、どうしたの? 誰か…たくさんこっちに来てるみたいだけど」
怯えながらも状況を把握しようとするジェシカは、犬耳をそばたて乱暴に踏み鳴らされる足音を拾ったらしい。
「大丈夫だから、先生の後ろにいなさい」
乱暴にドアが蹴破られ、見知った顔がぞろぞろと院長室になだれ込んでくる。
「やぁ、センセー。テメェの悪行もここまでのようだぜ」
賊はここの生徒である獣人だちだった。確か最近は迷宮に潜ったり、魔物を討伐したりする冒険者家業を始めた者たちだ。孤児院を出てから、生きていく方法を学ぶ意味で冒険者をさせていたはずだが。
いや、そんな事は些細な問題だ。問題は、
「マイク……隷従の首輪は……どうした?」
そう、彼らは皆、隷従の首輪が外れた状態だったのだ。
「外してもらったんだ。心優しい英雄様にな」
「なるほど……その英雄様に首輪を取られてしまったのか。大丈夫だ。少し痛い出費だが、予備の首輪がある。安心して…」
「おいおい、まさか俺たちが素直にまた首輪に繋がれると思っているのか? 何が治療のためだ。そんな見えすいた嘘に騙されるわけないだろうが!」
説明したつもりだったが、やはり納得しなかったらしい。自分たちの扱いに不満を持ち、反抗的な態度を取り続けていた彼らの鬱憤を紛らわす意味でも、荒くれた冒険者と言う職に送り出したのだが。
「聞いての通りです。悪党」
凛とした声が割り込み、部屋に黒髪の少女が入ってきた。
15歳くらいだろう。幼い顔立ちだが佇まいから強者である事がうかがえる。腰にさした独特な反りのある剣から化け物じみた魔力が溢れている。俺だけならまだしも、ジェシカを庇いながら相手をするには厳しい相手だ。何か誤解があるようなので、会話で解決したいところだ。まず、誰だこいつは。
「君が何者か教えてくれるかな?」
「しがない駆け出しの冒険者です。名前は『如月 ラナ』よろしくね。悪党さん」
「キサラギ……ラナ。聞いたことのない名前だね」
「そうでしょうね。この街に来たのはつい昨日の事ですから」
流れの冒険者か。街のしがらみがないなら権力で黙らすのも難しそうだな。
「で、なぜ生徒たちの首輪を外してしまったのかな? 君には何の利益もないはずだ」
「利益? そんなものは求めてはいません。私はただ困ってる人たちを放っては置けなかったからです。そう、無理矢理首輪をはめられて労働を強いられている彼らをね」
「まて、誤解がある。彼らの首輪は治療のために必要だからつけているんだ。決して君の思うような事では……」
「黙りなさい!!」
一気に距離を詰めできた少女が僕に切りかかってきた。咄嗟に剣で防いだが鍔迫り合いになり拮抗する。
なんだこの女。会話の最中に襲いかかるとか頭おかしいんじゃないのか?
「聞いていますよ。あなた、戦争で大活躍して……たくさん人を殺してきたらしいじゃない。ロディ=グリーンフィールドさん」
「いきなり何の話しだ。戦争はもう終わって……」
「ミラの村で大虐殺。女子供関係なく無抵抗な500人以上の民間人が犠牲になり、国によって隠蔽された惨劇。そこの指揮を任されていたのは、あなたですよね?」
心臓の鼓動が速くなるのを感じた。
硬く蓋をしていた記憶がこじ開けられようとしている。
「……戦争だったんだ」
するりと使い慣れた言い訳が溢れる。
「戦争なら何をしても許されるとでも?」
許されるはずもない。こんなに頑張っているのに悪夢はまだ続いている。
「必要なことだった。誰かがやらないといけなかった」
アンナがよく僕にかけてくれた慰めの言葉で身を守る。
「聖堂院すら焼き払い、村を火の海に変えて、火から逃れた人たちを待ち構えて斬り殺してーー」
記憶の蓋に亀裂が走る。
夜闇に煌々と輝く焔が印象的で、甲高い悲鳴が絶えずこだましていた。僕たち騎士団を見つけ、安堵して駆け寄ってきた女の子を、僕より幼い少女を無言で斬り伏せた。少女が最期に見せた表情を、言葉を、僕は、
「人殺し」
「……やめろ」
許されるはずがないのだ。どんなに頑張っても。
「あなたは許されない。どんなに時間が経っても罪は消えない」
そうだ許されてはいけない。
でも、みんなが僕を許すんだ。仕方がないと、ご自愛くださいと、あなたは英雄なのだと、誰も僕を責めてはくれなかった。
ああ、なんてことだ。
僕は誰かに人殺しを否定して欲しかったんだ。
そう自覚した途端に彼女の剣が、僕が待ち望んでいた贖罪なのだと思えた。
あの行いを罪だと責めてくれる彼女がきっと悪夢を終わらせてくれるのだと。
「……あなた、なんて顔をしてるの」
上手く笑えたのだと思う。
なのに彼女はまるで恐ろしいものを見たように、アンナと似たようなことを呟いた。
酷い物言いだ。僕は君を安心させるために、これから起こることは決して君のせいではないと、笑って見せたのに。
「……え?」
僕は脱力し彼女の断罪を受け入れた。
鍔迫り合いから肩透かしをくらった彼女の刃は、僕を袈裟斬りにして振り抜かれた。
どうっ、と床に吸い込まれるように倒れ伏す。
「いやああああぁぁ! ロディ先生えええぇぇ!」
悲痛な叫びを耳にして、背後にジェシカを庇っていたことを思い出した。ジェシカの安全も確保しないで、独りよがりに死ぬことを選ぶあたり、僕はどうしようもなく酷い人間なのだろう。
僕に縋りついて泣き喚くジェシカをぼんやりと眺め、呆然と立ち尽くす少女に視線を移す。
「キサラギ…ラナ、君に頼みたい事が……この娘、ジェシカには手を出さないで欲しい……アンナや他のみんなにもだ。きっと、悪いのは僕だけ……なんだ……」
「な、なによ……それ。あなた、悪い奴なんじゃないのっ! これじゃあまるで私がーー
少女が僕に何事が怒鳴り散らしていたが、僕は全てを聞くことも出来ず、深く意識が沈んでいった。
ああ、真っ暗だ。
闇の中に篝火は灯らない。喧騒も、誰かの悲鳴も聞こえない。ようやくぐっすり眠る事ができる。
悪夢は終わったんだ。
反応がよさそうなら後数話捻り出そうと思います。