その4
ネオはこの話が好きではなかった。この後に続く神父の教訓が好きではなかった。
「……いいですか、皆さん。余計な知識は世に混乱を招き、ひいては恐ろしい考えを持つようになってしまうのです。木教の教え、唯一神モーベロン様のご加護、賢明な王により与えられし恩情を信じる限り、我々は幸せに暮らすことができるのです。
それでは今日のお話はここまで」
いつも通りの全く変わらない台詞でもって、神父は授業を終えた。
「「「ありがとうございました」」」
子供達は元気に礼を言い、其々が教会の外へ出る。気持ち良く晴れた空からは日差しが柔らかく降り注ぎ、漂う空気も心なしか甘く感じられた。瑞々しい、湿り気のある土の匂いがうっすらと漂う。
四の月、百花月がやってきた。いよいよ春本番である。野山では草木が待ってましたとばかりに、ざっと花を咲かす。魅力的な匂いに誘われて、虫たちも忙しく動き回る。
ネオは春が好きだ。月の名のとおり咲く花も、山の匂いも、虫達も。
「ネオ、水トカゲ捕まえに行こうぜ」
同い年のダヒルが声を掛けてきた。
ダヒルは山羊飼いの息子で、虫や魚、小さな動物を捕まえるのが達者な、村の男の子達の中心的存在である。ネオは遊びにはあまり惹かれず、誘われても他の子達が生き物を捕まえる様を見ているだけのことが多い。捕まえた虫などを見るのは好きで、喜んで見るネオにダヒルも気を良くし、よく捕まえた獲物を見せてくれた。春はダヒルの動きも活発になる。
「水トカゲなんて捕まえて、どうするのよ」
後ろから青い目をした女の子が口を挟む。村長の娘、マリサだ。
「どうするも、何も。捕まえることが楽しいんじゃないの。男のロマンって奴だな」
ネオはそのロマンとやらはよく分からなかったが、黙っておいた。
「ネオ、水トカゲなんかより、あたし達と遊びましょうよ。お茶会まねっこをやるの」
「貴族の子息様として来て欲しいわ」
「それなら、俺が後で行ってやるよ」
「ええ―… ダヒルは…ねぇ」
「そうよ…ねぇ」
女の子達は顔を見合わせ、含みのある言い方で、遠回しにダヒルに遠慮して欲しいことを伝えてきた。
「何でだよ!俺では不服ですか?フン!
ネオ!行くぞ。今日は俺が先約だからな」
ネオは何だかダヒルが可哀想になって、ダヒルの後に着いていった。
「あいつら、絶対顔で判断しやがった」
赤毛のツンツン頭に血を上らせてダヒルはカッカしていた。遠慮のない物言いをする落ち着きのないダヒルは、容姿を含めた総合的評価により、貴族役は務まらないと思われたのだろう。配慮の加減を知らないだけで、他人の心の機微に敏い、出来た奴だとネオは分かっていた。
「女の子達も大人になれば、ダヒルの格好良さに気付くよ」
「それな」
家の近くの川辺では大物は釣れないとダヒルが言うので、二人は川の上流まで上ってきた。川幅は狭くなり、澄んだ水が淀みなく、岩の間を流れている。
水トカゲは翡翠色の小さな生き物。小川に自生するノズオウという水草に隠れ潜み、ヘビケラの幼虫を好んで食べる。
餌を付けた麻縄で釣り上げるトカゲ釣りは、村の男の子達がよくやる遊びだ。大きくなると警戒心が強くなるため、大きな水トカゲを捕まえた子は「トカゲ釣り名人」と皆からちょっとした英雄扱いを受ける。
子供達は各々、独自の仕掛けを考案し、釣り場選びや縄の投げ方にも工夫を凝らす。近年の大物記録保持者はダヒルだった。しかし先日、別の子が今迄で一番大きな水トカゲを捕まえたため、ダヒルは名人に返り咲こうとトカゲ釣りに心血を注いでいた。
「これが、俺が寝ないで考えた二段式引き釣り縄だ。餌は勿論生き餌だが、より生き生きと動けるように繋ぎ部分に遊びがあって、トカゲが食い付くとこの後ろの輪っかになったところが…おっと、ここからは秘密だ」
「釣れるといいね」
「釣ったら見せてやるからな。あ、縄まだあるからよ、ネオも使えよ」
ダヒルは自作の秘密兵器を手に、釣れそうな場所を探しに岩を飛び越えて行った。ネオはダヒルから渡された麻縄を見つめたが、どうもトカゲ釣りをしたい気持ちになれない。女の子たちが言っていたように、何が楽しいのか良く分からない。それより…
大きな岩から川を覗き込む。ノズオウが水の流れの中で揺れていた。ネオはノズオウを一本手折ると、川縁から引き返し、草の上に座り込んだ。