四の月・百花月
「民族の統合により平常の世が訪れ、はや百年が過ぎようとしています。オーキー国統合を成された偉大なる初代王の祖、真の神モーベロン様の大いなる慈悲により、我らは等しく加護を与えられ…」
教会の礼拝堂に響く神父の声。古い木の長椅子に村の子供達が座り、行儀良く神父の話を聴いている。
奇数の日、九ツ刻から十刻まで教会で行われる講義、教会学校だ。
遅れて来る子は神父の話の邪魔をしないように、そーっと入ってくる。大きな町では時を正確に刻むカラクリがあるようだが、スタトット村で時刻を知る術は、村の広場にある石造の日時計のみ。村人は皆、日の出と共に起き、日が暮れると床に就く用意をするため、誰も正確な時間など気にしない。時間の決まりなど、あってないようなものだ。
今日は歴史の講義。ネオは小さく息を吐いた。
歴史の講義はつまらない。偉い神様の血を引くこの国の王様が、沢山の国を一つに纏めるお話。唯一神・モーベロン様の教えを説き、野蛮で無知だった人々を正しい道へ導き、文明を築き上げた王様がどれだけ素晴らしいか。いかに功績を称えるべきか。これの繰り返しだからだ。
教室に来る子は、年齢も来る回数もバラバラなので仕方ないのだろう。読み書きも計算術も、覚えてしまえばつまらなかった。
…教会学校へ来るのを止めてしまおうか。
ネオは知っている事を聞くために時間を費やすのが、勿体なく感じた。
知りたい事は沢山ある。どの植物を使ったら、糸は青に染まるのだろう。赤は、黄は、緑は?野山に咲く花の名前は?その花の形の模様を刺すにはどうすればいい?
糸染めの手伝いをするようになったが、ボンジュは染料のことなど教えてくれない。繭だってどこから取ってきているのか教えてくれない。刺繍のやり方も教えてくれない。この前、刺繍も手伝わせて、と言ったら「男の子がやるもんじゃないよ」と一蹴されてしまった。
これ以上言ったら糸染めの手伝いさえ、させてくれなくなるのではないかと思い、聞くことができない。
知りたいのに。
教えてくれないなら、せめて見ていたい。
今までもボンジュの刺す刺繍は素晴らしいと思っていたし、それを作り上げるボンジュの事を凄いと思っていた。ネオの知らないことを沢山知っていて、糸を紡ぎ、鮮やかな色に染め、美しい模様を作り上げるボンジュを凄いと思っていた。神父様が言う、神様や見たこともない昔の王様、そして今の王様よりもずっと。
「では、皆さん、モーゼル様の偉大なる教えの一つ『知り過ぎた男』のお話をしましょう」
神父の声が大きくなる。またこの話だ、とネオは思った。
「今から百年以上も昔、とても物知りな男がいました。男は何でも知っていましたし、何でも知りたがりました。凄まじい知識を覚えておくだけの底なしの記憶力、尽きることのない探究心に、男に助言を求める者が大勢いました。そして男の知らない事を知っている者がいなくなりました。しかし、行き過ぎた力には、争いの火種があるものです…」
『知りすぎた男』は教会学校でよく神父が話す教訓話だ。
知識に溺れた愚かな男が自分こそが世界で一番、神よりも偉いと言いだし、人々から恐れられるようになる。初代王・モーゼル様が、男にその知識を人々のために使い、国に仕えよと諭すが、男は聞き入れない。
そこで王は自分の問いに答えられれば好きに生き、但し答えられなければ刑を受けよと持ちかける。自分に答えられない事などないと思っている男との問答が始まる…。
『では、答えよ。この世で最も尊く清く、また愚かで罪深い者はだれか』
『その答えは赤子だ。何も知らないため罪を知らず、また何も出来ぬからだ』
『その答えは違う。約束通り刑を受けよ。二日後に斬首とする。だが、猶予をやろう。刑の執行までに問いに正しい答えを示す事ができれば、命を助けよう』
鎖に繋がれた男は沢山の答えを示す。老人、若者、男、女、病人、子供、富める者、貧しい者… しかし、王は全ての答えを誤りだと言う。処刑間際、「答えは私だ」と男は言うが、王は誤りだと言い、男は処刑されてしまう。
『答えは【この世の命全て】だ。私もお前も、皆がこの世で最も尊く、また愚かだ。清らかであっても他の命を頂かなくては生きてはいけぬ罪を負っている。誰が上で誰が下かという事はない。お前が今まで示した答えを合わせれば助かったものを』