その3
「ばあちゃん、糸束ねやろうか?」
「ああ、済まないね… 今手が離せなくて。そこの糸巻きに…」
「五十で一巻きにして、束ねたらいいよね」
ネオはボンジュが言い終わらないうちに糸巻きを掴み、糸を掛け始めた。
糸を束ねるための道具は、木の板の両端に棒が二本付いたもの。ネオは素早い手つきで二本の棒に糸を掛け、五十回巻きつけて一度糸切りで端を切る。
纏めた糸は絡んだりほどけないように、一捻り。綺麗に染め上がった糸を一巻きずつ束ね、浅い木箱に仕分けていく。
ボンジュはしっかりと糸束ねをこなすネオを見て、刺繍の手を再び動かし始めた。
束ねた糸は、月に一度来る行商人に買い取って貰う。ボンジュの紡ぐ生糸は質が良いらしく、量も少ないので、王都の高級店や上流階級相手の職人に流れているそうだ。
糸束ねの合間に、ネオはボンジュの手元を見る。ボンジュは糸染めの他に、依頼が入れば刺繍を入れる仕事もしていた。スカーフだろうか。白い端切れ布に小花の模様を等間隔に刺している。
「ばあちゃんは、何で刺繍の仕事もしてるの?」
ネオの両親も働いているし、贅沢をしなければ、糸染めの仕事だけでも十分、日々の生活は事足りる。
「そうねえ、これはお金の為じゃないね。好きなんだよ。糸の…針の仕事が」
ボンジュは手を止め、自分が刺した模様をゆっくりと撫でた。
「大切なのはね、身に付ける人への思いなんだよ。
綺麗に仕上げるのはもちろんだけど、一番大切なのは、相手への気持ち。
どんな人が身に付けるんだろう。気に入って長く使ってくれるように、幸せが来るように、祈りながら刺していくんだよ」
行商人を通じて遠くの町から依頼してくれる人も居る。それは晴れ着だったり、贈り物だったり、ボンジュの刺繍を必要としている人達だ。そんな人達のことを考えると、ボンジュの心は穏やかな暖かさに満たされる。刺繍を刺す手間は愛おしく、出来上がった後は誇らしい達成感があった。
「あたしはそう、母に習った。あたしは…」
ボンジュは寂しそうに目を細め、小さな息を吐いた。
「お前が…女の子だったらねえ…」
ネオはたまに見る、ボンジュのこの顔が好きではなかった。鳶色の目の奥底で、固まった愁いの影が滲み出して皺を刻み、それを忘れようとするかのように、口元だけでフッと頬笑むのだ。
溌剌とした頼れる祖母が、この時は小さく消えていきそうな気がして、ネオは不安になる。ボンジュを愁いに沈ませるものが何かは分からないが、どうにかして、元気付けてやりたかった。
その時、ネオはあることを思い付いた。
そうだ、ボンジュに贈り物をしよう。落ち込んだときに元気になれる、笑顔になれるような、特別な何かを。父に貰ったお小遣いも使っていないから、少しならお金もある。
特別なものを渡すなら、渡す日も特別な日がいい。
ボンジュの誕生日は冬。収穫を祝う豊穣の日は秋、国統一の日は八の月、年納めの日はまだまだ先。他に何かお祝いするようなことが無かっただろうか。他に… 何か…
「…………!」
あった。確か、薫風月、二十の日。ボンジュの特別な日があったはずだ。これから四月後に来る、その日にしよう。
秘密の思い付きに心をほくほくさせながら、ネオは糸をどんどん束ねていった。
この時の、この思い付きが、ネオの運命を大きく動かすことになる。