二の月・鳥迎え月
ボンジュとネオが住むスタトット村は、オーキー国の五つに分かれた州の内の一つ、セカド州の西側にある小さな村だ。茅葺屋根に土壁の質素な家が、深い山の隙間に集めたようにポツポツと建っている。他の集落へ繋がる道は一本のみ。村の中心にある教会が一番大きな建物だ。
夏でも朝晩はハッとするほど空気は冷たい。山から降りる霧で、夜明け頃は霞んでいることが多い村だ。
山を切り開いて拵えている段々畑は、もうすぐ村人皆で土を起こす。小麦の種を撒けば、五の月には青々と若葉が揺れるのが見られるだろう。
自分達で食べる物は自分達で育てる、自給自足の生活。鳥や山羊などの小型の家畜を飼い、小さな畑で野菜を育て、夜明けと共に起きて働き、陽が沈む頃に眠りに就く。
そんな静かな生活は、十年ほど前から少しずつ変わってきた。
国が貨幣の流通と工業の発展に力を入れ、働き手となる大人達があちこちの村や町から大きな都市へ流れるようになった。辺境のスタトット村でも、ほとんどの家が両親又は父親が他の都市へ働きに出て収入を得ていて、村で生活しているのは老人や子供達だ。
『作るもの』は『買うもの』に変わり、店が無いスタトット村にも月に一度、行商人が品物を売りにやって来る。大きな都市の組合で働くことや、王都で一旗上げてやろうと夢見る若者や子供も多くなった。
奇数の日、昼時までの間、教会で神父が子供達に読み書きや簡単な計算術を教えてくれる。王都では子供が文字を学ぶことが強制されているが、こんな田舎ではそんなことは建前である。しかし、将来の働き口のことを考え、大抵の家庭は、子供達をなるべく教会へ通わせていた。
商業都市出身の母はネオを何かの組合の職員にさせたがっているが、ネオはまだまだ将来、自分が何をしたいのか、どんな仕事をしているのかなんて想像もできない。村で暮らすのか、父や母のように大きな街で働くのか、それとも村を出て王都で生きていくのか…
できるなら、村でボンジュのように糸染をして暮らしたい。
朝、庭の野菜たちに水をやりながらネオはぼんやりと考えていた。皆で使う村の井戸から水を汲み、柄杓でもって水を撒く。
水やりが終わると、次は飼っているピヒピヨ鳥の世話だ。ピヒピヨ鳥は木の柵で作った、簡素な鶏小屋に入れてある。パンくずをやると、メンドリが白い尾羽を振りながら嬉しそうに啄んだ。
先日ふ化したヒナは、蜂蜜色の綿毛のようにフワフワ動きながら、ピヒピヨ、ピヒピヨと鳴いている。
ピヒピヨ鳥は飛ぶことはできないが、すばしっこく、追いかけるとものすごいスピードで走る。非常におとなしい性格で、むくっとしたフォルムの大人の膝丈くらいまで大きくなる鳥だ。見た目は丸いが、実は羽毛で膨らんでいるため、肉付きは良くない。だが、美味しい卵を産むので、飼育している家は多い。
「今日は産んでくれてるかな」
枯れ草を盛り上げた寝床に、二個の卵を見つけた。卵を持って家に入ると、ボンジュが朝餉の用意を終えている。雑穀の粥か、パンの乳粥が定番だ。
朝餉を済ますと、ネオは奇数の日は教会学校へ、偶数の日は掃除や洗濯など、ボンジュの用事を手伝っている。
今日は偶数の日。ネオは洗った服を干しに庭に出た。
スイーッチョ、スイーッチョと鳥の鳴く声が聞こえる。見上げると、風に乗り滑るように鳥が飛んでいた。大人の手の平程の大きさで、流線型の茶色の鳥。南に渡っていた、トッセコヨチ鳥だ。
トッセコヨチ鳥がやって来た。二の月、鳥迎え月の到来である。風の冷たさも直に和らいでくるだろう。日が過ぎる毎に、だんだんと春めいてくる。
「起きよ目覚めよ、地の下で。雪割り、日の下出てくれば、北より鳥を迎えよう。
結んだ蕾が綻んで、百の花咲き、春に満つ…」
ネオは教会で習った、十三の月の詩を呟きながら、干し竿に服を掛けた。
家に入ると、ボンジュは台所に居なかった。部屋の戸をノックして開ける。窓辺の椅子に腰掛け、ボンジュは刺繍をしていた。床には、先日一緒に染めた糸が山積みになっている。雪割り月の初染め以来、ネオは糸染めの手伝いをするようになった。