一の月・雪割り月
起きよ目覚めよ地の下で
新たな一年やって来る
雪割り 日の下出てくれば 北より鳥を迎えよう
結んだ蕾が綻んで 百の花咲き 春に満つ
緑 若木が萌ゆ山に 吹く風薫りを届けませ
青に澄む空 積もりし雲へ
夏の薫りを届けませ
天照る日々に 実は熟し 葉粧う木々に秋を見る
やがて日は過ぎ 草は枯れ 虫は籠って 冬支度
木は葉を落とし 鳥は南へ
しんと冷たく 山眠る
雪割れ 鳥花芽が出るまで
しばしの時よ 山眠る
深い山が連なる広大な国の端っこで、静かにゆっくりと時が動く。木々は昨夜散った雪に染まり、朧げな姿で立っている。山々を包む、乾いた空の青色。風は無く、どこかでざあぁっと枝に積もった雪が崩れ落ちる音がした。
一の月、雪割り月も終わりに近づいた晩冬。それほど寒さを感じないのは、凪いでいるのと薄陽を広げる太陽のお陰だ。霜はもう立たなくなり、柔くなった雪の下では草花が目覚めを待っている。いち早く鮮やかな緑を覗かせているのは、ユキノフキの小さな蕾。この季節だけ味わえる山の恵みである。
午後の日差しの下、青藍の髪の少年が小さな木で編んだ籠を持ち、村の裏山を歩いていた。雪に埋もれた蕾を見つけると、そっと摘み取る。ユキノフキは同じ株からいくつか蕾が出るから、一つあれば近くにもっと隠れているはずだ。雪を払い、蕾を摘んでは籠に入れる。指先が悴んで痺れ、その冷たさにハッと息を吹きかけた。
色の乏しい景色。山は眠っているように見えるが、目を凝らせば、フクジュカ、スズユリ、ユキワリサンゲ達が新しい葉の準備をしている。少年はしばらく野の草を見つめ、冬の終わりを感じて微笑んだ。
少年の名はネオ。歳の頃は八つ。摘んできたユキノフキを入れた籠を持ち、教会で習った『十三の月の詩』を口遊みながら、家に向かう。
黄がかった土壁に、柴を束ねた屋根を乗せた小さな家が見えた。ネオはここで祖母と二人で暮らしている。父と母は村から三日以上かかる商業都市で働いているため、家にはいない。父・トランは製品商業組合の会計事務、母・マニエは素材仲卸組合の受付嬢。会えるのは五、六月に一度くらいだ。
ネオは庭から立ち登る湯気に気付いた。日干し煉瓦で組んだ簡易な竃の上で、大きな壺型の鉄鍋がブクブクと泡を立てている。
「ばあちゃん!鍋!吹いてる!」
家に向かって叫ぶ。しかし、祖母からの返事は無い。
ネオは持っていた篭を戸口に置き、吹きこぼれている鍋の中を覗き込んだ。
泡立つドロリとした黒っぽい液体の中で大量の糸が泳いでいる。糸はかなり黒い。これだけ色が出ていればもう十分だろうと、ネオは竃の火口に蓋をし、火を止めた。木篦で鍋の中をかき回し、糸を掬い水桶に晒す。水に触れると、細い糸はさっと鮮やかな色に変わる。この薄い緑の様な、暖かな黄色の様な色はなんと呼ぶのだろうと思いながら、ゆるゆるとかき回した。
竃の横に立つ長い干し竿には、既に鍋から上げられた淡い色の糸が並んでいる。その横に、晒した糸を絡まらないよう気を付けながら吊していく。確か濃い色の染めもやると言っていたはずだ。鍋の中の糸を半分残すと、ネオは篭を抱え家に入った。
篭を台所に置くと、二部屋あるうちの西側、祖母の部屋の戸を叩きながら声を掛ける。
「ばあちゃん?」
戸を開けると、窓際の椅子に腰を掛けた祖母のボンジュがいた。明るい日の当たるこの場所で、ボンジュはよく刺繍をしていた。森で繭を集め、紡ぎ、自ら染め上げた糸で。
ボンジュが布に花や生き物を模した様々な模様を綴る様は、まるで魔法のようだとネオは思う。針が舞うように動き、あっという間に美しい模様が出来上がっていくのは、ずっと見ていても飽きない。
でも今日は、針仕事をしている様子はない。手元を見てぼんやりしている。
「…ああ、ネオ」
ややあって、ボンジュがこちらを見る。背筋もシャンとして、女性にしては背が高い。しっかりした人だが、時偶こんな風にぼうっと遠い眼をする時があった。何だか最近、その頻度が高くなってきた気がする。