公爵令嬢の策略
とうとう、この日がきたのね。歓喜にうち震えるこの心を、どう収めれば良いのでしょう?
15年前、第一王子がとある公爵家との婚約を結んだ日。我が家も、第二王子アンリ・ソシエール様との婚約を結ぶこととなった。
貴族はともかく、王族は能力の秀でた者が継ぐ。どちらが次世代となってもいいようにと、パワーバランスを考えられてのことだった。私もアンリ様もお互い決して良い子ではなかったから、毒を以て毒を制す考えもあったのかもしれない。
3歳の幼子に何が分かるというのかしら?ただ、大人になってもずっと一緒にいる相手として教えられた。お互いの嫌いなお勉強や、礼儀作法の実践の愚痴を言い合い、それなりに仲良くなった。そしてお遊びやお茶会を繰り返す度、やれ侍女の応対が悪いとお茶をかけ、やれお付きの者が気に入らないと置き去りにし、授業の鬱憤を晴らすかのようにワガママ放題に過ごしていた。それでも授業はちゃんとこなしていたから、そこまで咎められなかった。
そして私もアンリ様も8歳になって迎えた、春の日。私は運命の出会いを果たす。
「見てみろ、マリー」
その日は王宮でのお茶会だった。あまりにも周りにあたるので、決まりきった少人数で行われることが常だったのにアンリ様が新しいメンバーを連れてきたのだ。
(なんなの、この子)
茶髪に茶目、見るからにみすぼらしい身なり。眉をひそめて見つめる私に、彼は曖昧な笑みを返す。アンリ様は自信満々に私に告げた。
「僕の会計係のトム・スミスだ!これから僕がマリーにプレゼントすることもあるからな、つけてもらったんだ」
会計係、と頭のなかで繰り返す。確か、王子たちが様々な考え方を得るため平民から選ばれる、特権階級。王子とのやりとりを全てお伝えするため国王陛下にもお目にかかれるので、三親等まで調べあげられ、本人の能力も一定以上求められたはず。
紹介を受け、緊張した面持ちで一歩前にでてきた子は、特権を得られそうには見えない。そして優雅とは程遠い礼をしてみせた。
「は、初めまして、よろしくお願いしましゅ」
三拍は無言の時間が続いただろうか。静寂を破ったのはアンリ様の大きな笑い声だった。
「あっはっはっは、おま、おまえ、しましゅってなんなんだ、しましゅ!?はっはっはっはっは!!!」
ひーひーと息を切らせるほど笑い転げるアンリ様、困った顔で真っ赤になるトム・スミス。
その姿を見たとき聖母ミリアが私に微笑みかけ、天使たちが天から舞い降り、小鳥は喜びの唄を歌い、庭園の花々が我先にと咲き誇った(ように思えた)。
今思えば、私はその顔に見惚れていた。
しかし当時そこまで情緒が育っていなかったので、その顔をずっと見ていたいような、助けてあげたいような、不思議な気持ちになっていた。気持ちを落ち着けるためお茶を飲み、ほう、と溜め息をつく。
「アンリ様、そんなに笑うものではありませんわ。トム様とおっしゃったわね?一緒にお茶でもいかが?」
「えっ」
声をたてて驚いた彼以上に、周りが驚いていたんじゃないかしら。失敗した人間には、すぐ嫌がらせをするのが当たり前だったんだもの。
でも彼となら一緒に過ごしたかった。
「ぼ、僕は平民ですので。同じ机にはつけません」
彼は必死に首をふって、どうにも座りそうにない。どうしましょう。
「ひー、ひー、そ、そうだぞマリー、座れるわけないだろ、いやしかし、面白いなお前」
飛び込んできた声の主に、悪知恵ばかり働くと言われる私の脳みそが素早く動く。──そう、私の言うことは聞けなくても直属の上司なら?
にっこりと笑って、いかにもな言葉を連ねる。
「嫌ですわ、殿下ったら。会計係を対等に扱わないと、あのにっくき教育係がここぞとばかりに注意してきますわよ」
「む、あいつか。確かにな…」
いつも二人で愚痴を言っていた教育係を思い出したのだろう、アンリ様の顔が歪む。もう一押しかしら。
「周りにも良いアピールになるのでは?身分の差を気にしない王子、いかにも好きそうでしょう?」
「うむ…うむ、そうだな!よし、トム、僕たちとお茶をのもう!」
思いどおりの反応に、にんまりとしてしまう。トム様は最後までいえ、でも、と抵抗していたがアンリ様に手を引かれ、渋々と座った。
いつもなら愚痴大会となるお茶会だけど、彼には聞かせたくない。そこで、彼を知るべく質問を重ねた。
トム・スミス、8歳。王宮脇に家を構える、平民にしてはお金持ち。教育熱心な両親のもと初等学校で好成績を叩きだし、会計係に選ばれた。好きな食べ物はクッキー、嫌いな食べ物はグリンピース。
平民の買い物の仕方も聞いた。お店までわざわざ出向くのだという。しかも、買った荷物を自分で持って帰る!これには私もアンリ様もとっても驚いた。値切りも大事です、と真面目な表情で伝える彼は、得意の算術を使っていろいろと説明してくれた。
その後も話は尽きず、思っていた以上にお茶会は和やかに終わった。この婚約が決まってから5年にして、初めて名残惜しく思いながら王宮を後にする。
家に帰っても思いは留まらず、いつも楽しみにしている夕食ですら中々進まない。
「次はいつお会いできるかしら…」
溜め息と共にそう呟くと、がしゃん、と珍しくカトラリーが落ちる音がした。思わず音の方を見ると、お父様が真っ青になっている。
「ど、どうなさったの?」
「マリー…まさかとは思うが、アンリ殿下にお会いしたいのか?」
「はい?」
思わず、目を見開く。愚痴仲間ではあるけれど、とても会いたい人でない。
すぐさま弁明する。
「違いますわ!今日、会計係という子にお会いしましたの。思っていたより生活も考え方も違っていて、面白かったからまたお話を聞きたいのですわ」
「あぁ、トム・スミスか…」
安心なさったように椅子に体重を預け、溜め息をつくお父様。疑問符を頭に浮かべる私に、お母様が困り顔で話し出す。
「あのねマリー、とても授業を頑張っているようだけど、マリーもアンリ殿下もこう…あまり周りに親しい人がいないでしょう?だから、二人だけの世界になってしまわないか心配していたのよ」
「ああ、そういうことでしたの。大丈夫、会計係の子がいるんですもの!二人だけの世界になんてならないわ」
第一王子の業績が上がるのに反比例で、評価の下がる第二王子。この時、ウェールズ公爵家はこのまま第二王子につくか悩ましい時期だったのだろう。
そういったことにまで頭が回らず、自信満々に宣言すると更に困った顔をされた。
「そうね、あなた達が結婚するまでは一緒にいてもらえるわね。その間にいろいろな人と関わると、もっと沢山のことに気づけるはずよ」
「……結婚するまでは?」
3歳の頃ならいざ知らず、8歳にもなれば結婚というものも分かってきている。いや、分かっていたつもりだった。王となるアンリ様、王妃の私。そして傍にトム・スミスがいたら──今日のお茶会のようだったら。なんて素敵だろうと思っていた。
王子が結婚すれば、会計係としての任を解かれる。そんなこと知っていたはずなのに、当たり前のように傍にいてくれると期待してしまった。
「…だ……」
「え?」
「いや、嫌だわ、そんなの!私はアンリ様よりトムのお話を聞きたいわ!」
カトラリーが落ちるのも構わず、勢いよく立ち上がって叫ぶ。
普段ワガママと言っても家族の前では礼儀正しくしていた私に、皆がどよめいた。なんだかよく分からないが、涙が出てくる。
「わかった、わかったから…」
「何もわかってないわ!アンリ様なんて愚痴だらけよ、そりゃあ私だって愚痴を言い合う相手はほしいけど、トムのお話の方が何倍も楽しいんだから!」
「マリー、落ち着いて!」
お母様に背中を撫でられて、ようやく深く息を吸う。お父様は目を丸くしたまま、トントンと右手の人差し指で机を叩いていた。なにか、考えがある時の癖だ。
睨み付けるように見ると、苦笑された。
「……本当にトム・スミスが気に入ったんだな」
「…ええ」
「マリーとアンリ殿下の婚約は、国と家での取り決めだ。そう簡単に反故するわけにはいかない」
嫌だと叫びたい気持ちをグッとおさえ、お父様の話の続きを待った。
「婚約を無効にするには、アンリ殿下に明らかに非があり、国民がそのことを問題視していて、陛下と妃殿下も後継者として認められないと明言なさることが必要になる。しかしそれさえしてしまえば、マリーは自由だ」
「まあ、しかし貴方…」
「あぁ。期限は、結婚が定められている学園の卒業までだ」
両親の小声でのやりとりは聞こえなかったが、未来に一筋の光が見えた。大体、ワガママ放題なアンリ様のことだ。すぐに明らかな非は見つかるだろう。楽勝だわ、と笑みを浮かべる。
そんな私の顔を見て、お父様が何度目か分からない溜め息をついた。
「マリー、今のままでは駄目だ。お前には非がないように、今まで以上に頑張る必要がある」
「…え?」
「勉強や礼儀作法はもちろん、周りの者達への態度だ。第二王子の婚約者としての品格を持ち、皆がお前を認めなければ、お互いに非があるとして婚約は続行だぞ」
「ええ!?!?」
驚いたが、仕方ない。私には非がないように自己を研鑽しつつ、アンリ様の粗は見逃さないように。すぐにでも追い詰めてやるわ!
それから、10年。
最初はアンリ様のワガママ放題な様子を挙げようとして、マリーもだろうとお父様に指摘されて失敗。
アンリ様のように愚痴ばかりと噂の、宰相の甥だの騎士団長の再従兄弟だの、大魔導師の玄孫だのと引き合わせてみたものの、口だけで問題行動を起こさず。権力者と血縁とはいえ微妙な距離感で名家揃いで顔も悪くないのに、あまり女の子に人気がなく、悪くないはずなのに誰に当たってもはずれ感が否めない『闇鍋の集い』と呼ばれるグループを作っただけで終わり撃沈。
あげく、想い人に「そろそろご結婚ですね」と式の話をされて止めを刺された。
私の自己研鑽の結果は上々で、お友だちは沢山増え、お話のなかで様々な視点に触れるようになった。少し遠ざかってみて、やはりアンリ様よりもトムが良いと再確認しているのに………
自暴自棄になりかけていた時、聖母ミリアが天使をお遣わしになさった。そう、メアリ・レイジー男爵令嬢!私たちの学園に年度の途中で編入してきた、レイジー男爵の庶子だ。今まで平民として育ってきた彼女は、恐ろしいほどの自由奔放さで闇鍋メンバーを惹き付けていた。
婚約者のいる男性にしなだれ、大口を開けて笑い、学園の草の上に寝転ぶ。そして、最後には必ず自分だけは貴方を分かっているという言葉を掛ける。女の子たちと微妙な距離感であった闇鍋メンバーはころっといってしまった。
それを見逃す私ではない。さっそく妃殿下にお目通りを願う。すぐに応えてくださり、王宮に招かれた。
「まあマリー、久しぶりね」
部屋に入ると、優しく微笑みかけてくださる妃殿下。ほんとうにこんな素敵な人からなぜあのあんぽんたんが生まれたのか、心底謎だわ。
「勉学で忙しく、中々顔をだせず申し訳ありません。とてもお会いしたかったですわ」
心からそう伝えると、いっそう笑みを深めてくださった。その様子に少し心は痛むが、背に腹は代えられない。一息ついてから、本題を話し出す。
「実は…アンリ様の心が離れている気がするのです。この度編入してきた女生徒ばかりに構っていらして…」
寂しそうに伝えれば、驚いた様子だった。
「まぁ、なんてことなの!」
「中々噛み合わないこともありましたが、仲良くやっていると思っていたのです。どうしても妃殿下にこの胸の内を伝えたくって…」
「ええ、ええ、辛かったでしょう。全くアンリったら何をしているのかしら!」
妃殿下にはアンリ様のせいで辛いのだと伝えられた。報告の速さは、今後効いてくるだろう。あとは、暴走しないようにするだけだ。私に決定的なことを言い出す前に、注意されたらたまらないもの。
「もしかしたら気の迷いかもしれないから、卒業式まで待ってくださいませんか。…改善に努めます」
儚く見えるよう微笑んでみせれば、妃殿下はしっかり頷かれた。王宮に関しては、あとは大丈夫。
さらに悪知恵を働かせて、学園ではわざとお友だちといるところを見せつけ、冷たい瞳で殿下を見つめ、メアリ嬢に至極当然の注意をすこし多めに繰り返す。思った通りメアリ嬢は私からいじめられていると闇鍋に告げたようで、彼らは何やらこそこそしだした。
そして、トム様も呼ばれることが増えていった。勉学や会計のことにかこつけて二人の時間を作っていたのに!
私からメアリ嬢に手をだすことは絶対しなかった。が、メアリ嬢が突っかかってくる度に現れ「お前がやったのか!」と憎々しげな殿下を始め闇鍋の皆様には特に弁明もしないでおいた。存分に私を悪女だと思ってもらいたい。しかも、闇鍋たちが何かやらかすと、トム様がフォローに来てくださる。下心満載で優しく「お疲れでしょう、こちらのお茶をどうぞ」「大丈夫です、分かってますから」と声をかければ、少し窶れたお顔で微笑み返してくださった。
あぁ、なんとおいたわしい。あと少しでトム様をあのお馬鹿さん達から解放してさしあげますからね。
集まりようがない証拠を求め、闇鍋たちは学園中を行ったり来たり。もともと短気な殿下は気持ちが収まらないようで、私への扱いはどんどん雑になっていく。私はそれに毅然と立ち向かい、たまに級友たちに嘆いてみせた。勿論、実家お抱えの新聞社がある子の前では特に。
それと同時に、闇鍋の家族には状況を伝えておいた。しょうもないことで私のトム様を忙しくさせるようなクズ、王宮にはいらないんじゃないかしら。実家に帰らず遊び呆けてる面々に家族からの鉄槌が下るのは、全てが終わったあとだろう。国王陛下、妃殿下、そして勿論私も対応を見ている。子どもかわいさに半端なことをしたら、どうなるかは重々理解できるはず。そして、平民に下ったら下ったで、新聞の力は凄まじい。すこーし大袈裟に情報を流してあげるだけだ。
そして、とうとう嬉しい報告が聞けた。闇鍋達が集まっているのを不気味に思った級友が聞き耳をたてていると、殿下がこう叫んだのだという。
「既成事実だ!…皆の前で婚約破棄をする!」
ようやく、婚約破棄を言ってくださるのだ!
そして冒頭に至る。今日は心待ちにしていた、学園の卒業式。それぞれがこの日のために用意してきた最高の装いの中で、喜劇は始まった。
「マリー・ウェールズ公爵令嬢、共にきてくれないか」
この日ばかりはエスコートも無く、級友とのおしゃべりに興じて良い中でいきなり響いた声に周りの視線が集まる。
それを存分に見回し、殿下は満足げに頷かれましたが、不審な者を見る目なことには気づいていらっしゃるのかしら?
私に対する殿下の態度を充分知っている級友たちに当たり障りのない断りをいれて、大丈夫、と目で会話する。
(笑わないようにするのが大変だわ)
ほほを噛み締め、殿下の傍へと向かっていった。
「はい、馳せ参じました」
お手本のようなカーテシーを見せつけると、殿下は鼻で笑った。私が笑い出したい気持ちなことも見抜けないのね、馬鹿な男。
下品な笑みをみせ、もったいぶって話し出す。
「マリー、君は私のメアリを散々こけにし、いたぶり、いじめていたな。そのような者を私の妻にするわけにはいかない。よって──」
「殿下」
意気揚々と婚約破棄を告げようとした殿下は、突然声をかけられて止まった。誰に?もちろん、私に。
「なんだ、今さらなにかいうことでも?」
「ええ、とても沢山ありますの」
決して声を荒げないように、淑やかに見えるように。私の大事な彼から(王家経由とはいえ)いただいた愛しい証拠たちを、丁寧になぞっていく。
「ねえ殿下、私もいただいたことの無いような、素晴らしい数の宝石が装飾された首飾りをメアリ嬢に渡そうとしたそうですわね」
「なっ…」
「我が公爵家ほどとはいかないまでも、何にも秀でているところのないレイジー男爵家に、便宜を図ろうとしたこともあったとか」
「…」
あらあら、顔が青ざめていらっしゃるわ。どうしたのかしら?
国宝級の首飾りをただの女に渡しても、女のために便宜を図ってくださってもいいのよ?──婚約者さえいなければ。
ご自分でも分かっていらしたでしょうに、私のトム様に自分の頭で考えもせずに聞いて、お仕事を増やして、お疲れのご様子を見せるまでにして。
怒りのままに、更に証拠を述べていく。殿下の顔が真っ青を通り越して真っ白になったタイミングで一度、呼吸をいれた。そして、今まで以上にしっかり声が届くよう、お腹に力をいれる。
「これらの証拠を以て、婚約を破棄させていただきたいと思います」
一瞬の静謐、そして弾けるような拍手の渦。
あのおバカさんたち以外は、皆さんこうなることは予想していたようね。周りを蔑ろにし続けたからよ、ざまぁみなさい。
一仕事を終えてため息をつこうと思ったら、信じられないような光景が目に飛び込んできた。私のトム様が盛り上がる会場から背を向けようとしている!
「お待ちになって。…トム・スミス様、共にきてくださいませんか」
慌てて呼べば、ギギ、と音が鳴りそうなほどぎこちなく振り向いてくださった。ああ、トム様と目があっている!
興奮のあまり思わず目に力が入ったのだろうか、一瞬びくりと震えたように見えた。ご自分が呼ばれたことが信じられないようで、左隣にいらしたお友だちを見ては激しく首を振られ、右隣にいたお友だちの婚約者を見ては、扇で私の方を示されている。
それを受けて覚悟を決めたように、先ほど以上の注目を集めながら、ゆっくりと私たちのもとへと来てくださる。慎重な彼らしく、足取りは重い。
「…お呼びになられましたか」
「ええ。此度のこの騒動は、貴方の働きがあってこそおさまりました。感謝いたします」
落ち着かない様子のトム様に、まずは心からお礼を申し上げた。殿下にしたときよりも細心の注意を払って、カーテシーを披露する。
「いえ、僕は職務を全うしただけです」
トム様も少しだが落ち着いたようでうっすら笑みを浮かべて、片手を胸に当て、礼を返された。
ああ、相変わらずなんて私の心を騒がせる表情をする人なのかしら。
そこで昔と変わらず、悪知恵がはたらく。ことなかれの慎重な彼のこと、外堀を埋めていけば私の方を向いてくださるんではないかと。
「あの…」
素早くこの後の算段をつけながら、トム様にまた声をかける。
「私と、婚約していただけませんか?」
「…は?」
デジャブのように一瞬の静謐、そして弾けるようなざわめき。完全に思考の止まった様子ですら素敵なのだから、また心惹かれてしまうのよ。
家に帰るなりお父様に事の顛末を伝え、おバカさんの会計係からの異動にちょっとだけ口をだす。財務部財務局、秘書係。財務大臣である、お父様の側近へと。
上司の命令は断れない彼の事ですもの、お父様に頼めば必ずやってくる。
王宮でどのようなやりとりがあったかは知らないが、予想通り後日トム様が公爵家に訪ねてきた。ここまでくれば、あとは私の仕事。
待っていてね私のトム様、必ず口説きおとして差し上げますわ!