第1話 化け物令嬢
よろしくおねがいします。
「なんだ…… なんなんだ、こいつ……?!」
化け物だ。
化け物と呼ぶに相応しい。
フィントル=アイレイヤは目の前の少女の力量を見誤っていた。
王国一の剣豪、そして騎士団長として名を馳せる父から手ほどきを受け、その素質を十分に発揮し、周囲の期待も大きいフィントルが、何も出来ない。この異常さはフィントル自身が誰よりも理解していた。
鋭い剣撃をくりだしても、黒髪の少女はまるで蝶が舞うようにヒラリと躱す。
ならばと、得意の土魔法を使い、隙を作って攻撃しようとすれば少女は闇魔法で何事もなかったかのようにフィントルが放った土魔法を相殺する。
こちらは魔力を大量に使い息が切れてきているというのに、この少女はまるでただ散歩をしているだけだと言わんばかりに余裕がある。意味がわからない。この年齢でこれほどまでに魔力がある相手をフィントルは見たことがなかった。
一言で言えば為す術がない。
入学前、同年齢の生徒たちの中で1,2位を争うくらいには実力があるだろうと自負していたフィントルが、全く突破口を見いだせない。
「あら、もう終わり? うーん、やっぱり初期は“この程度”か……」
少女はフィントルが攻めあぐねているさまを見て、まるで小さな虫でも見るように、嘲笑を交えて小さくつぶやく。
手元で闇属性か火属性かわからない、見たことのない黒い炎を人差し指にともしては消している。どうやら暇で暇で仕方がないらしい。
自分はこの少女にとって暇つぶしにもならない?
このフィントル=アイレイヤが?
気に食わない!
実に気に食わない!!
自分は“この程度”などと言われるような男ではない。
王国に名をとどろかせる王国騎士団長、シルヴァン=アイレイヤの息子だ。温室育ちで努力の“ど”の字も知らないような、こんなお嬢様に負けるわけにはいかない。
そうだ、こんな女に負けるはずがない!
「あの子が危険な目に遭えば、もっと強くなるのかしら?」
「っ! 貴様……! どこまでも……!」
黒髪の少女が妖しく目を向ける先にいるのは、試合を見守る生徒たち。その中でひと際目立つ、ある少女に黒髪の少女は邪悪な視線を向けている。
まるで白金を溶かし込んだようなプラチナブロンドの髪の華奢な少女。
フィントルが生まれてはじめて、恋をした少女、ニーナ。
黒髪の少女はまるで壊しがいの有るおもちゃを見つけた子どもみたいに、意地の悪い視線をニーナに向けていた。
そう、あろうことか、黒髪の少女はニーナを、フィントルが恋した少女を害そうとしている!
お前の大好きなあの女を危険な目――つまり、殺そうとすれば、お前はもっとやる気を出すのか。この怪物はそう言っているのだ!
――下衆が! ニーナに指一本触れさせるものか!
フィントルは駆ける。
地面を力強く蹴り、辺りに砂埃が舞う。
並の学生ならフィントルの動きに反応できないだろう。フィントルが近づいていることを理解したその瞬間に勝負は決している。そう、並の学生であるならば。
王国一の騎士に指導され、その才能をいかんなく発揮するフィントルに反応できるならば、それは並の学生ではない。
そこいらの兵には全く劣らない、洗練された鋭い一閃。
身体強化魔法で強化された、稲妻の如き一閃。
――いける。
手応えは十分だ。
どうだ、これこそがフィントル=アイレイヤだ。家の中でだらだらと過ごしているお嬢様には反応できるはずもなかろう。
胴を狙った重い一撃だが、殺してしまうことはない。フィントルが使っているのは訓練用の剣であるし、そもそも致命傷を無効化する魔法が試合会場に張り巡らされている。多少痛い思いをするだろうが、フィントルの憂さ晴らしにはちょうどよい。
存分に痛い思いをしろ――!
「突然びっくりするじゃない」
一瞬、世界が止まった。
いや違う、フィントルの思考が止まったのだ。
止まらないほうがおかしい。
こんな現実があっていいはずがない。
「…うそ、だろッ……?!」
フィントルの希望がことごとく打ち崩される。
少女は長い黒髪をなびかせ、なんでもないといった感じで、自身の持つ訓練用の剣で完璧にフィントルの攻撃をいなしていた。
フィントルの頬を嫌な汗がつぅっと流れる。
あの攻撃が全く効いていない――?
王国一の騎士に、この一撃は私でも危なかったと言わしめた、渾身の一撃が――?
そんなフィントルの心の内を読んだかのように、少女はその紅く吸い込まれそうな瞳を細め、小さな赤子をなだめるようにフィントルに言葉を紡ぐ。
「別にあなたのことを貶しているわけじゃないわ。あなたは素晴らしい才能を持っているのだから、将来的にもっと強くなれる。
ただ、今は学院に入学して直ぐだもの、まだまだこれからよ。スタートから強かったらビックリだものね。もしそうならバグね」
少女はニコリとしてクスクス笑う。
一見すれば慈愛の微笑み。
彼女の言葉も相まって、それは聖母のごとく見えたかもしれない。
しかし、彼女に限ってそれはない。
あの辺境伯家のご令嬢だ。
彼女は「学院に入学したばかりなのだからしょうがない」と言った。
フィントルが試合に負けても仕方がないと言っているのと同義だ。
お前は弱いと言っているのと同義だ。
お前はまだスタートラインに立ったばかりだ。お前の歩んだ入学までの15年間は私にとっては羽虫にも劣る。思い上がるな。
彼女はそう言っているのだ――。
現に、彼女の表情をつぶさに観察すれば彼女が慈愛の微笑みをしているのではなく、それは人をバカにするような嘲笑う笑みであることは明らか。ニヤニヤと人を馬鹿にしたような薄ら笑いだ。
フィントルはぎりっと奥歯を噛みしめる。
――こんなやつに俺は負けるのか?
――この俺が、こんなやつに?
「先生、試合はこれくらいで良いですわね?」
少女は目の前で勝負しているフィントルをそこら辺の石ころだと思っているのだろう。
そうでなければ、試合中によそ見をするなんてことはありえないし、離れて二人の試合を観察している先生に話しかけたりもしない。
徹底的にフィントルを侮辱するつもりなのだ。
この試合の終了は、相手にまいったを言わせるか、あるいは致命傷の一撃を入れるか(つまり辺りに展開されている、致命傷を無効化する魔法が発動するか)、その二択しかない。
――舐めている。
こんなこと、自尊心の高いフィントルが許せるはずがない。
なんとかして彼女に致命的な一撃を入れなければアイレイヤ家長男として、騎士団長の一番弟子として、自分自身を許せるはずがない。
「……このっ!」
よそ見をしている少女をフィントルは後頭部めがけて訓練用の剣を振り下ろす。
完全に不意打ちだ。
騎士としてはあまり良くない、恥ずべき行為だ。
しかし、なんとしても勝たなければ。
フィントルの頭はその思いで埋め尽くされていた。
少女の後頭部に不意打ちの剣を振り下ろす中で、フィントルは必死に自分を正当化していた。騎士としては恥じるべき行為だが、いざ実戦になれば、結局は勝ったものが正義だ。
そもそもこの少女は、悪名高き、あの辺境伯家のご令嬢だ。今回の試合だって彼女の実力ではないはずだ。きっとなにか細工をしている。そうでなければ自分が負けるはずがない。
そんな小細工をする輩に不意打ちをしたところで、誰もフィントルを責めやしない。それどころか、この少女に勝ったフィントルを皆褒め称えるだろう!
――これで決着だ!
「……先生と話しているときに不意打ちはやめてくださいな。
私の顔に傷が残ったらどうしてくれますの?」
これで駄目なら、どうしたらこいつに勝てるのか――。
少女は自身の影を闇魔法で操り、瞬時にフィントルの剣を受け止めた。
ニッコリと恐ろしいまでに美しい笑顔で言葉を放つ彼女には、どうやっても太刀打ちできない。そう、痛感させられた。
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うわ、怖っ!
対人戦素人の私でもまだまだ対応できるくらいだから、やっぱゲームのストーリー始まって直ぐはこのくらいだよねって思ってたら、フィントル不意打ちとかしてくるし怖ッ!
やっぱりゲームの主人公ちゃんが危険に陥るイベントが発生しないと覚醒しないのかな、とか思ってた矢先にこれだよ!
やっぱり対人戦闘は難しいな!
結局は戦闘経験が物を言うんだよね。
早いとこ試合終わらせたくて先生に終わってもいいか聞いてたらガンガン攻撃してくるし、レベル差なかったら完全に私やられてましたね! 終始ガクブル状態でしたよ、コッチは!
ガクブル状態をさとられないために頑張って笑顔を絶やさないようにしてたけど、無理無理無理!
淑女として、笑顔は大事だって言うけれど、戦闘中も終始笑顔に努めるってのも結構難しいよ! ていうか、笑顔の美少女にあんだけ無慈悲に攻撃できるフィントル君はやっぱり騎士なんだね。
慈悲がない! フィントルの鬼! 悪魔! すっとこどっこい!
私みたいな美少女の笑顔見たら普通攻撃なんて出来ないでしょ!
……あー、結構疲れた。今日はベッドでぐっすりコースですねぇ……