とある子どもたちの旅立ち
ずっと焦がれていた女の子が、自由を求めて、星空の向こうへと駆け出す。翼を広げて飛び立とうとする彼女の赤い瞳が、今までで一番輝いて見えたから。
「忘れ物だぞ、ローズ・アンジェリカ!」
「えっ?」
驚く彼女に向けて、彼女の名前が彫り込まれたアミュレットを投げる。手元へと吸い込まれたそれを見て、ローズは真紅の瞳を大きく見開いた。
「これ……」
ローズはアミュレットを両手で包み込むと、目に涙を浮かべた。
「…ありがとう」
ふわり、あいつが儚げに微笑む。どんな時でも、何があっても前だけを見て向いて耐えていたあいつの、やわらかく繊細な心に触れて。
「ローズ……」
彼女へと思わず手を伸ばそうとした、その時。
「ローズ!」
あいつの仲間の少女の声が、尖塔の小部屋に響いた。はっとあいつが振り返る。
目を向けると、銀の月が輝くバルコニーの向こう。漆黒の竜に乗ったヴィータとスピネルがローズへと手を伸ばしていた。
「早くこっちへ!」
「逃げるぞ!」
身を乗り出して、早く逃げるぞとふたりが叫ぶ。ローズは視線を彷徨わせると、俺へと手を差し伸べた。
「あんたも一緒に……!」
俺を見つめる真紅の瞳が揺れる。一緒に逃げようと手を差し出すあいつに、俺は伸ばしかけた手を下ろした。
「いいや、俺はここに残るぜ」
首を横に降り、精一杯の虚勢を張って笑って見せた。
「だって俺は、陽の国の騎士だからな」
あいつの手を取る代わりに、仲間の元へと送り出す。それが俺ができる、騎士としての最後の役目だ。
あいつはぐっと歯を食いしばると、ポロリとひとつ、涙をこぼした。そしてバルコニーへと駆け寄り、仲間の手を取った。ヴィータとスピネルがあいつの手を掴み、竜の背へと引き上げる。
これでいいんだ。小さく笑って、ローズの背中を見送る。
あいつにはこんな狭い檻の中じゃない、自由な空がよく似合う。俺じゃどうしても、空には連れ出せないから。
ローズと同じ場所で育ち、痛みも苦しみも分かち合ってきたあいつらに、大事な幼なじみを託すのだ。
蒼い夜の闇の中へと竜が羽ばたく、一瞬。翼の向こうから見えたあいつが、大きく手を振ったのが見えた。
「ありがとう、エメラルド!じゃあね!」
泣きながら笑っていたあいつは。出会った時と同じ、太陽のように笑っていた。
竜が空へと舞い上がる。銀の月に照らされて空へと駆け上がる竜の姿は、力強く、美しかった。
「…じゃあな、ローズ」
竜の姿が遠くなっていく。拳を握りしめ、蒼い夜の闇へと消えていく幼なじみを見送り。くるりと踵を返した。
「…よかったのですか、エメラルド」
気遣わしげな声が、静かになった小部屋に響く。扉の陰から姿を現した人物に、俺は拳を握りしめたまま頷いて見せた。
「当たり前だろ、母さん。だって俺は、騎士として、一番大事なものを守れたんだからさ。…それよりも」
扉の向こうを睨みつける。地鳴りのように押し寄せる足音が、もうすぐここに騎士団が駆けつけると報せてくる。
あいつらを逃す手引きをした俺はもちろん、裏で騎士団の妨害をしていた母さんも、処罰は免れない。もしかしたら俺も母さんも、生きてここから出ることは叶わない可能性もある。
覚悟を決めて、扉へと向き直る。もしそうだとしても。ローズを逃がせたのだから、俺に悔いはない。
騎士団の到着を待つ俺に。
「エメラルド、私の自慢の息子。共に正義と誇りを貫きましょう」
母さんはしっかりとした口調で言うと、凛と背筋を伸ばして騎士たちを待ち構えるのだった。