1.行き倒れの双子
外敵の来ることもない、もはや湖というべきかもしれない広さの泉の水底でダンジョンマスターはひたすらスライムベビーと戯れていた。
「おまえの弱いところはここだろ!」
つついた時の揺れや振動の違いでなんとなくスライムベビーの弱点が分かるようになるほどの時間、ダンジョンマスターはただスライムベビーで遊んでいた。
しかしふと魔力の揺れを感じてダンジョンマスターは顔をあげた。
「上の様子がおかしい?」
いつもはせいぜい動物か魔物が水を飲みに来るだけなのに慣れない力の波動を感じてダンジョンマスターはスライムベビーから手を離す。
そのまま上に向かって泳ぎ始めるとスライムベビーもそれに続いた。
ほどなくして到達した水面から顔を出すとダンジョンマスターはボロボロで半分意識もなさそうな2人の少女を発見した。
2人は12歳くらいで、華奢な性別をまだ感じさせない体つきに、そっくりな見た目をしている。
すぐに気づける差異は目の色で、片方の少女は晴れた空のような綺麗な水色、もう片方の少女は血のような赤色をしていた。
自分と同じような見た目の生物を初めて見てダンジョンマスターは2人が双子ということにも気づかず、目を輝かせた。
「初めて見た! なにこれ!」
高いテンションのまま2人に突撃し、そのまま水の中に引きずり込む。
少女たちは弱々しく抵抗しているが、ダンジョンマスターにとっては小動物が甘噛みするようなものだった。
簡単に押さえ込んで目の赤い方の少女を持ち上げる。
「へー、おもしろーい!!」
体のあちらこちらから血が流れ少女たちの命が風前の灯火と化しているが、ダンジョンマスターはそれに気づかず少女を鑑賞する。
そのまましばらく持ち上げた少女を眺めた後、2人を水底に連れて行こうと水色の目の少女も掴んだ。
しかし水色の目の少女は水に落ちた際にうまく息ができなかったようで、ピクリともせずに青白い顔を向けている。
「どうして?」
自分にとっては心地よい水が他の人の命を脅かすと気づかず、ダンジョンマスターは首をかしげた。
持ち上げた方の少女も異変に気づき、再び暴れだす。
「おねちゃ……! おね……!!」
赤い目の少女は口から牙を伸ばしてダンジョンマスターに噛み付き、爪を尖らせて振り回した。
それには流石にダンジョンマスターも驚いて赤い目の少女から手を離す。
けれど赤い目の少女の体力が限界に到達したようでそのまま力なく水面に浮かんだ。
「えっと……?」
流石にこれは良くないのではないかと、ようやく思い至ったダンジョンマスターは2人の少女を掴んで陸に上がった。
でもその後の対処法が分からない。
とりあえず仰向けに寝かせてみて2人の少女を凝視していると、スライムベビーも陸地に上がってきた。
「ぷるっ!」
スライムベビーは任せろと言うかのように自信満々に震えたあと、巨大化し、平べったく伸びる。
すると、スライムベビーに覆いかぶさられた2人の少女は傷がみるみる癒えていった。
最後にスライムベビーは魔力の操作をして飲み込んだ水を口から吐き出させ、再び丸いフォルムに戻った。
「ぷるる!」
顔がないので分からないが、雰囲気的にドヤ顔をしていそうなスライムベビーをダンジョンマスターは撫でる。
「おまえ、一体何をしたの?」
じとーっとスライムベビーを見ると、スライムベビーは何か言うかのように震える。
でもやはり何を言っているのかダンジョンマスターには分からなかった。
「やっぱりダメか……」
早々にスライムベビーとの会話を諦め、ダンジョンマスターは2人の少女に向き直る。
持ち上げていた赤い目の少女は苦しげに咳き込んでいるが、意識ははっきりしているようだ。
もうひとりの水色の目の少女も意識を取り戻したようで、ぐったりしながら荒く呼吸を繰り返している。
ダンジョンマスターはその様子をただ眺めていたが、咳き込んでいた少女が再び襲いかかってきた。
「人間め! 許さない!!」
牙をむき出しにして襲ってくる赤い目の少女をダンジョンマスターは軽く避ける。
かわされたことで少女は砂に突っ込むかと思ったが、腕をバネに方向転換してダンジョンマスターを狙う。
この少女の牙や爪が微弱とはいえ痛みを与えると知ったダンジョンマスターは2度目の突撃もひらりと避けた。
生まれたてで戦闘経験もなかったが、ダンジョンマスターにはまだ余裕があった。
「ねえ、人間って何?」
「うるさい! 死んで!!」
少女は問答無用とばかりに尖った爪でダンジョンマスターを切り裂こうとする。
その攻撃もダンジョンマスターに当たることなく、再度砂に突っ込んだことで少女の傷が増えていくが、少女は気にした素振りも見せない。
「人間のせいで!! 人間のせいでみんな……!!」
憎悪と悲しみの入り混じるセリフを吐きながら少女の赤い目からは涙がこぼれ出ていた。
既に戦える状態ではなかったが、それでも少女はダンジョンマスターを襲うことをやめなかった。
技術もなく、ただ突っ込んで何かを仕留めるにはスピードも足りない。
こんな攻撃では不意打ちはできても大抵の人がよけられるだろう。
疲れからかスピードも徐々に落ちてきている。
「そろそろ諦めたら?」
自分がなぜ襲われているのか分からなかったが、ダンジョンマスターは少女のむき出しの手足から流れる赤色の血が気になって仕方がなかった。
ダンジョンマスターには体を血が流れているという認識も大量に流すと死に至るという知識もない。
でもボロボロになりながらも向かってくる少女がなんだか可哀想に思えてきた。
「なんで君はこんなことをするの?」
肩で息をし、恨みつらみすら口から吐き出すことのなくなった少女にダンジョンマスターは近づく。
「そもそも人間ってなに? 教えて?」
2度目の質問はようやく少女の耳に入ったようだ。
人間にしては不可解な質問に少女が動きを止める。
「人間……じゃ…………ない……?」
会話のできる生き物に初めて出会ったダンジョンマスターに少女が憎しみをぶつけ続けるには、ダンジョンマスターの知識が圧倒的に足りていなかった。
「あなたは……誰……?」
今までの憎しみのこもった言葉とは違い、ささやくような少女の呟きは暑い日差しの中に消える。
急速に力の消えた目で見上げてくる少女の前にダンジョンマスターはしゃがみこんだ。
「誰? 誰って誰なんだろう?」
職業を聞かれればダンジョンマスターと簡単に答えることができる。
でも誰という問いかけに対してダンジョンマスターと答えるのは何か違う気がした。
「……記憶喪失なの?」
「記憶……」
ダンジョンマスターでも記憶という言葉は知っている。
ただ生まれたばかりでも記憶がないのはおかしいのかもと思い、一瞬返答をためらってしまった。
その沈黙を少女は肯定と捉えたようで声をあげて泣き始めた。
「おがぁざーん!! おねーぢゃーん! おどぉぉぉざぁぁぁん!!」
ぎゃんぎゃん泣く少女にダンジョンマスターの目が丸くなる。
「えっ、えっ? 急にどうしたの?」
少女の変化が分からず、ダンジョンマスターは一歩後ろに下がった。
そんなうろたえるダンジョンマスターとは異なり、動いたのは荒い息をしていた水色の目の少女だった。
泣き叫ぶ赤い目の少女の声を聞いて震える足で立ち上がり、少女を抱きしめる。
「リリー、大丈夫だから。落ち着いて……」
宥めるように背中を撫で、子守唄を歌う。
到底同じ年齢とは思えない。
けれどそれを異常と気づける人は誰もいなかった。