第六十一話「消えたメイドさん」
服飾創造の習得は軌道に乗った。
あとは日々修練し続けるだけである。
ティンバラスール城の大書庫。
俺は使わなくなった専門書の返却にきていた。
「いつもの司書さんはどうしたんですか」
「あぁブレシカさん? ご両親が病気らしくて二日前に職を辞して国に帰りましたよ」
お付きのマーグラと顔を見合せた。
いつも不機嫌そうに対応してくれる初老の女性司書が突然退職していた。
ごく短期間だが俺の乳母までやった人。
あれからヒミカには仔細を聞けずじまいだった。
複雑な感情を抱きながらグェムリッド宮殿へ。
「クケイが帰ってこないの……」
鸞子は余裕がなさそうにいう。
昼ごろにお遣いで北区へ行ったきり、帰ってこない。
北区の役所に問い合わせても屯所からは何の報告もない。
通信用の巻物で彼女にメッセージを送っても返事は帰ってこない。
有効範囲はティンバラ領内程度。
返信が来ないのはすでに領外へ出て届いてないか、別の事情があるかだ。
現在は午後七時。
クケイはいつも、夕飯時には俺たち双子かヒミカのそばに必ず控えている。
ここ二年間、無断で姿をくらますことは、とんとなくなっていた。
何かあれば必ず伝言なりを寄越すはずだ。
庭師モローと侍従ガレジェリに北区で聞き込みをしてもらうことにした。
二人とも元は北区に居たアウトロー。
ティンバラスールに彼らほどの事情通は他にいない。
未明、午前二時の旧本殿にて。
お願いして数時間で有力な知らせが舞い込んだ。
「……兄弟の方の伝手で露天商どもから面白い話が聞けたぞ。昨日の昼間、ビッツの露店街でわりと大きな刃傷沙汰があったらしい」
「ビッツといえば、クケイが贔屓にしてる柄巻師のいる近所ですね」
「ああ、黒ずくめの輩二〇人が女中姿の少女を襲って返り討ちにあったそうだ。何人か死んだみたいだけど死体はどこにいったかわかんねえ。少女は輩を問い詰めたあと突然みえなくなったって」
「なにゆえ報告に上がってないのだ」
王子サグラに問われて、モローは居住まいを正す。
「へえ、畏れながら申しますと、サルンという組織の箝口令が敷かれてました。輩がサルンの幹部と周辺の露天商と小役人を買収したんでさ」
「民はともかく従士や騎士のような領地の禄を食む者が賊に買収されるなど――――……リョウ!?」
その場にいた全員が俺を見ていた。
何人かの侍女たちと目が合うと、ビクつかれてしまった。
内息と表情を整える。
「なんでもありませんよ。もっと詳しく」
「……今は兄弟がサルンの幹部に脅しかけてるところ、結果待ちだ」
怒り。
俺は静かに、怒っていたんだと思う。
数を数えたりして治まるような衝動的なやつじゃない。
怒りすぎると、存外冷静になるものだ。
現在ヒミカと次男タカイスは、アンガーの真北にあるディヒャスヴァル聖国に招待されている。
ディヒャスヴァル聖国はスヴァルガの九王国の一つ。
十大神教やルヴァ教など、スヴァルガの主要な宗教の総本山で、多くの聖界諸侯たちを抱えている宗教国家だ。
ユーゼン家にとって重要なヒミカの不在と重なってるのは、何か理由があるのだろうか。
クケイの強さから物事を判断するというバイアスは、今は外しておこう。
姿を消したのは何か理由がある。
それに、今はまだ未来視や破滅的結末をみていない。
つまり決して悪くはならないと、ポジティブに捉えた。
一時間後、北区に居るガレジェリから詳細な情報が届く。
「例の黒ずくめどもは死の女神を信仰する邪教の一派で『死を齎す毒蛇』。最近アンガー南部にあるリヴル村あたりを根城にしているみたいでさ。吐いたら自分らも殺されるかも知れねえみたいで、かなり言い渋ってたそうです」
「……、」
「リョウよ、何か心当たりがあるのか?」
「ええ、まあ」
死の女神への信仰と名前の傾向からして、昔クケイが壊滅させた魔術結社の関連組織だろう。
そしてまたリヴル村である。
あそこには宗教的に重要なものでもあるのだろうか。
いずれにせよ、クケイはリヴル村に向かった可能性が高い。
「そのリヴル村に兵を派遣してはどうか」
「いけません」
「なぜだ」
「リヴル村は険しい山中にあり、兵站の確保が難しいので大軍は意味を為しません。政治的にも戦略的にもなんの魅力もない貧しい土地ですが、それでもベオバとシゲファースの領境にあります。多くの兵が動けばシゲファースも気付くでしょう」
「以前教えてくれた囲地という地勢か。ではどうするのだ」
「僕が一人で行きます」
「危険すぎる。余が行くのは反対しようからせめて親衛隊たちを連れていけ」
「サグラ、俺が一人で行く」
「!」
サグラは息を呑んで黙った。
俺は表情を崩して、
「……殿下は姉上をお願いします。時間が惜しいので、準備が整い次第、一度イーラムさんのとこへ寄ってからその足で出発します。殿下、ちゃんとみんなの意見を聞くんですよ」
「わかった。帰ってきたらクケイ殿に武術指導してもらおうと思うがよいか? それと、今度からは先ほどのように余の名を呼ぶのだぞ」
「わかりやすいフラグ立てないでくださいよ」
「ふらぐ?」
鸞子はサグラの側で、俯いて震えていた。
考えていることはわかる。
本当は俺を引き止めたいけど、クケイのことも心配。
自分が原因だと思ってるから口に出せない。
バレバレだけどあえて俺は知らんぷりをした。
不可視の体も触れるべきではない。
鸞子は俺の前では強い姉でありたいのだ。
たとえ自分を責めて泣きじゃくりたい時でも、それだけは変わらない。
彼女の重要なアイデンティティの一つ。
ここが崩れると精神的に崩壊しかねない。
慰めるのは今はサグラに任せて、俺は帰ってきてからの話だ。
何もいわずハグとキスを交わして旧本殿を後にした。
午前四時すぎにグェムリッドに戻った。
準備といっても大したことをするわけではない。
準備はすでにできている。
次元収納の修練ついでに備えていた。
あとはリヴル村方面の詳しい地図を用意して、軽く身辺整理するだけだ。
「送り出すのは慣れています。妾身のいうことは聞いてくれないのでしょうからお引止めはいたしませんわ」
涙目なマーグラ。
ちょっとあの頃の皮肉っぽさが戻ってきてませんかね。
俺をぎゅっと抱きしめたあと、お互いの片頬同士を合わせて、
「(どうかこれが最後の挨拶にならぬよう)」
と念話を送ってきた。
マーグラに最大限のハグをもらってからティンバラスール城を出発。
行きがけに南区にある宰相イーラムの住む役宅の門を叩いた。
まだ日も昇ってない早朝。
非常識極まりないが、先に使いを出していたのでスムーズに面会できた。
イーラムは冴えない顔をしていた。
「母上はなんと言ってました?」
「先ほどディヒャスヴァル聖国から『ウチの子は止められない。好きにさせなさい』とだけ」
彼女らしい返答だ。
「しかし本当にお一人で!?」
「僕の母上ならどうしたと思いますか?」
「それは……」
「母上は君主として、『自分を押し殺すこと』と『何もしないこと』の重要性をわかってます。それでもきっと僕と同じ選択をしたんじゃないでしょうか」
「その通りでしょうな」
「イーラムさんに知らせたのは、少しでも母上と派閥の立場を悪くさせないよう策を……誰だ」
ヴァトファーシオで扉開ける。
そこには寝間着姿で聞き耳を立てる青年と少年が居た。
「申し訳ありません、これは私の愚息たちです」
「父上、止めるべきです」
「やめろってリョーリ様だぞ。僕らは意見する身分じゃない」
「身分? いやしい奴隷の女は捨て置いとけばいいだろ!」
「……奴隷の女?」
抱いてはいけない感情が湧いたが、なんとか自制する。
少年の方がやたら噛みついてくる。
不可視の体から察するに、単純な性格のようだ。
「ロバート、謝りなさい」
「なんで俺が謝る必要があるんだよ!」
「お前は今の発言のあやうさが理解できないのか。それにこの件は元を正せば私の所偽でもある」
「なんでだよ。天下のアンガーの筆頭従事はこんな小さいやつのいうことを聞くのかよ」
「ブルース! この愚か者を連れていけ」
少年は青年に引き摺られて退場。
「愚息の非礼をお詫びします。私に免じてどうか命だけは」
「わかっています。ところでイーラムさんの所偽とは?」
「以前、神医ソフィア殿を通してクケイ殿にリヴル村の一件を依頼したのも、後処理をして騎士を置き、最近その配属した騎士が殺されたのにもかかわらず、従士団の新設などの懸案を優先させて対応を遅らせたのも私です。結果再び邪教を領内にのさばらせてしまいました」
優先順位は間違ってない。
俺や不在のヒミカを慮って、責任を感じているのだろう。
「本来私が処理すべき案件を、クケイ殿は己の残した仕事だと考えたのではないでしょうか。この際、シゲファースのことなど気にせず兵を出すことも考えています」
「イーラムさんらしくない。それに僕一人の方が都合いいですし、相応の覚悟はしています」
「……承知いたしました。誰か」
使用人に持って来させた木箱から一〇枚程度の羊皮紙を取り出した。
「これは死の女神教の概要です」
信仰と儀式の内容から、信者が使用する魔法の傾向などまでびっしりと書き込まれている。
最後にブルースの署名があった。
「息子さん、優秀なんですね」
「ブルースは宗教学が専門で、お役に立てれば幸いです」
次元収納に登録しておこう。
「ご武運を」
「ティンバラスールに書類と策を残してます。前ハールマ城主に預けてるので、もしもの時はアレを使って上手いこと立ち回ってください」
「……さすが用意周到ですね」
イーラムなら、どんな状況でも上手く俺を見捨ててくれるだろう。
窓をみると、外はもう明るくなりはじめている。
イーラムへ会釈。
このまま次元移動で外へ移動――――
「そっちから出たぞ!」
「ぷぁ」
「ご主人様捕まえた♪」
これはミルドの胸。
外へ出た瞬間、空中でミルドに捕まった。
「なにしてるんですか」
「クケイちゃん探しに行くんだろ。あたしたちも連れてってちょうだいよ」
下を見るとモローが高級馬車の横で得意気にしている。
「俺らくらいなら別に居てもいいだろ。みんな言ってんけど、天下のリョーリ様が従者の一人もつけないのは許されんことよ」
「城のみんなにとってあんたもクケイちゃんも大切なんだよ」
「……死んでも知りませんからね」
「怖けりゃ高級馬車くすねてここまで来ねえって」
「そうですか。そろそろ領民たちも起きる頃合いです、人に見られる前にさっさと行きましょう」
ジワリと胸が熱くなるのを感じながら、高級馬車に乗り込んだ。




