第五話「ヴァトファーシオ」
魔法と魔術は Lv1~10までランク付けされている。
数字が大きくなるほど使用難度が上がり、魔力の消費量、効果ともに大きいものになる。
教科書に載っているLv1の基本的な魔法だけでも三〇〇ワードは優に超える。
冗長な呪文もあるのでなかなかに大変だ。
これでも厳選しているらしいが、使わなそうな魔法が八割方を占めていた。
ひどいものだと鼻毛を伸ばす魔法に、石鹸の減りを早くする魔法だとか、呪いの様な使い所のよくわからん魔法で溢れているのだ。
最初に覚えた魔法はLv1のヴァトファーシオという魔法だった。
本のページや扉を開閉する魔法。
ヒミカがよく使っていて憧れていた魔法の一つだ。
Lv1の魔法ながら、究めればモノを掴んで引き寄せたり、浮かせたりもできる。
かなり応用の幅が広い魔法である。
鸞子は指揮棒程度の杖を振りながら、
「暗い野に堕ちようとも右の者は衰えない
イーダデルの境界を此処に開く ヴァトファーシオ!」
手元の厚本はバラバラと勢いよくページが捲れていく。
「うー、できないよお。なんでリョウはそんな細くできるの? しかも詠唱も杖もなしで……」
ヴァトファーシオを使い本を読んでいると、鸞子が恨めしそうに抱き着いてきた。
「わかりません。なんでですかね? できるもんはできるというか」
教科書の通り、本のページを捲ったり扉の開け閉めは簡単にできた。
最初は長ったらしくオサレな呪文を詠唱して、回数を経て少しずつ端折り、最終的に無詠唱で行使できるようになった。
そこから先が難しかった。
ソフィアのようにものを浮かせたり、遠くから人の首根っこを掴んだりというのはどう頑張ってもできない。
しかも彼女場合は指すら振らず、不動のままやっている時もあり、まるで念動力のようにやってのけている。
「武芸だったり、戦術の一環で他の魔法を使ったりはするけど、大体はヴァトファーシオで済ませているね」
浮かせたり引き寄せたりするには専用の魔法がある。
それらは往々にして用途が決められていて、応用範囲の狭い魔法がほとんどだった。
対象を浮かせるならLv2の浮き上がれ。
引き寄せるなら同じくLv2の来たれ。
これらは応用が難しいとされる。
ヴァトファーシオがたまたま応用しやすいだけで、応用の難しい魔法は創られた時の術式と契約が関係しているらしい。
「エクストレーマにしたって覚えるだけで使わないのだよ」
ヴァトファーシオを使って本や扉を開けば、本来は兄弟魔法のエクストレーマで閉める。
「じゃあなんで教科書に……」
「才のない『普通の魔術師』は使うんだ。君は才能があるからきっとヴァトファーシオだけでなんとでもなる。もちろん戦術上必要であるなら、互換性のある魔法との組み合わせは大いに考慮すべきだけどね」
普通の魔術師でなくなれということか。
なんとなくだが、彼女のいう普通とは一般的な魔術師のことをいうのだろう。
一部の超一流を除けば、総じて魔術師は役割に応じた専用の魔法を使っている。
自分に合った杖を使い、役割に応じた魔法を詠唱するのだ。
それをソフィアは一つの魔法だけで済ませている上に、イレギュラーな動きをさせたりしている。
杖も使用していなければ詠唱もしていない。
魔法の習得そのものが怪しい人は向いている魔法を取捨選択。
一般的な魔術師は役割に応じた魔法をやれる範囲で習得する。
入門レベルの教科書にして薦められてる魔法の数が豊富なのは、これが理由なのかもしれない。
この世界の魔法は究めれば、少ないスキルでいろんな事ができる。
ヴァトファーシオ以外にも応用し易い魔法はあるが、当面はこの魔法を特化させながら他の魔法を習得していくことにした。
***
ある日の座学。
「私たちの住む世界ウルガトはどこの地域でも大体3つの身分がある。上から貴族、平民、奴隷だ。地域によっては僧侶が貴族の上に置かれていたり、奴隷と同等の扱いを受ける場合もある」
やはり身分制度はある。
それも厳格そうなのが。
「ユーゼン家はヴェーア系諸族の流れを汲む貴族で、街で過ごしてる民たちのほとんどは平民。奴隷については……リョウ君はわかるね?」
「はい」
あらかじめ予習してるしな。
事実上身分によって就ける職業が決まっているくらいに厳格だった。
カエルから虎を生んだとして、その人が優秀でも上の身分の職業には就きにくい。
大きな功績を挙げて、権力者から特別に便宜を図ってもらい、身分を変えてもらわない限り無理なのだ。
きっかけは高度な魔法を使えたり、
高名な武芸者だったり、
学術的に評価されたり、
戦争や国政などで功績をあげたり、
賄賂で贔屓されたりといった所。
この世界『ウルガト』には人、亜人、魔族、多種多様な形態の知的生命体がいる。
市井で生活する上では種族的な外見で迫害されることはそこまでない。
しかし、魔族を嫌う人は少なからずいる。
イデオロギーや原理主義的な宗教観によっては、魔族のみならず人と亜人の血統次第で、なんらかの被害や理不尽な扱いを受けたりもする。
スヴァルガ、レーモス、スカイミア、照。
大きな影響力を持つ人族の四ヶ国である。
共通するのは覇権主義的で、ヴェーア系諸族という人族と亜人族が中心になっているところだ。
ヴェーアはラルクソーンとかいう数千年前の勇者を始祖とする血統で、魔族と対立が深まると必ずヴェーア出身の勇者が現れ解決に導いてきた歴史がある。
このことから支配の正当性の根拠にもなっていて、為政者がヴェーア系諸族出身でなければ反乱が起きることだってある。
ヴェーア系諸族出身者に身体的特徴があるわけではない。
そのほとんどは人族で稀に亜人族がいる。
国によっては身分と血統を判別するため、非ヴェーア系諸族の平民や奴隷に特定の色の衣服しか着せなかったり、特殊な刺青を入れたりすることもあるらしい。
「この三つのどの身分にも属さない人も居るんだ」
本には書いてなかった。
「それは?」
書物には書いてなかったのに、大体予想はついた。
「人ならざる者たちだ。卑民という」
「それはどういう扱いになるんですか?」
恐る恐る聞いてみる。
「文字通り人として扱われない。住む場所を制限されて、端的にいえば魔物や獣の如き扱いを受けるのだよ」
予想は付いていたのに、絶句した。
ソフィアはそんな俺を見かねて、
「卑民に対してそういう扱いをする人たちは大勢いる。それが世の中の趨勢といっていいだろう。しかしだね、私は貴族に対して便宜的に敬意を払うことはあっても、卑民に限らず、他の身分の人々に対してそういう失礼な扱いをしたくないんだ」
俺が頷くとソフィアは続ける。
「リョウ君には身分や血統で失礼な振る舞いをする人にはなってほしくない。言うに事欠いて、失礼だとも思わず振る舞う莫迦者にはなって欲しくないのだよ。君は幼いわりに分別ついているから早めに教えたけど、ラン君にもおいおいしっかり教えるつもりだ」
「卑民は身分に縛られずに生きてるんですかね?」
「うむ、彼らは総じて裕福でなく決して清廉潔白というわけでもない。むしろ悪党が多いしね。しかし悪党じゃない卑民もいるし、奴隷たちよりもある意味人間らしく暮らす者も多い。迫害はされても搾取はされないからね。生活が余りに辛すぎて自ら卑民になる人も居るくらいだ。身分社会にいれば迫害されるだけで彼らの中にも多少の上下関係はあるし、暮らしぶりを見れば普通の人と何ら変わりないよ」
ソフィアの考えは恐らくこの世界においては異端なのかも知れない。
「身分制度はこの世界の根幹を成す。生半可な考えで口を出せば、身を滅ぼしかねない。私は君に莫迦者になって欲しくはないが、莫迦者にならないために身を滅ぼしてほしくもないんだ。よく理解するんだよ」
「わかりました、師匠」
その異端な考えを俺に押し付ける彼女は嫌いじゃなかった。