第五十四話「二人だけの部屋」
隠者の部屋の魔術で、新たに誰にも見つからない部屋を作ることにした。
二つ目を作る理由。
それは表に堂々と出しておけない品物の保管場所を確保するためだ。
日々増え続ける領地の機密資料から、仮装パーティーで使う衣装まで。
もっとも、ほんの少しだけ下心もあったりする。
場所はグェムリッド宮殿の五階、西側にある一室を選んだ。
前の部屋と違って、いかにも下級官吏の執務室っぽい手狭な部屋。
五畳ほどで窓はなく、事務机に壊れた座椅子と丈夫そうな長椅子が一つずつ。
本棚には古びた食器皿とコップが置かれている。
簡素なクローゼットと三点式のユニットバスも完備。
五階にある執務室風の部屋ほぼ全てに、こういった設備が誂えられてある。
歴代の城主の配下たちは各部屋に押し込まれて仕事に追われていたのだろうか。
物が少なく手狭な部屋。
クケイも居るので掃除はすぐに終わった。
「何をなさるのですか?」
「今から空間を拡げます」
「空間を……?」
今回は隠者の部屋で認識を阻害する前に、空間を拡大させる。
『空間拡大』
サムタヴネリ封印・結界術の書、中巻の『次元の章』に書かれていた次元魔術である。
その名の通り空間を拡大する魔術だ。
高級馬車や送迎車、魔道具に使われている拡大魔法と体系は異なるが、同工異曲だろう。
世間で使われている拡大魔法はLv4以上で、主には専門職の上級者が施術している。
術式のベースは隠者の部屋の魔術とほぼ同じ。
魔法陣と呪符の内容は全く違う。
天井、壁、床、四方にチョークで魔法陣を描く。
羊皮紙の呪符には、古スヴァルガ文字と大賢者サムタヴネリの独自文字が書かれている。
部屋全体に一メートル間隔で貼り付けた。
「始めます」
「……、」
手を繋いだままクケイは静かに頷く。
俺は地面の魔法陣へ空いてる方の手を翳し、
「『我 次元を支配する者
用いるは 第五元素 暗黒物質 空間を 拡大せよ』」
唱えると同時に四つの魔法陣は水色に瞬き、呪符は呑み込まれて見えなくなる。
どのくらい拡げるかは術者の想像力と意志が肝要――――
「おおっ!?」
天井、壁、床がグンと一気に拡がっていった。
扉と家具の位置は変わっていない。
素材はきめ細やか、引き延ばしているのではなく、新たに構築し直したのだ。
広さは約三〇畳で天井の高さは五メートル。
面積はイメージ通り拡がったが、少し天井を高くしすぎたかもしれない。
周りに影響がないかクケイに確認してもらうと、
「宮殿全域を見回りましたが影響はございませんでした」
一度小さな布袋で実験してみて問題なかったからな。
念のため人払いもしておいた。
次は外部からの認識を阻害する隠者の部屋だ。
前の部屋でやった魔法陣と呪符を使った術式に、一つ変化を加える。
「よければクケイの血と涙が数滴ずつ欲しいんですけど……」
「私の、ですか?」
「はい、術に必要なもので」
クケイは表情も変えず数回パチパチと瞬き、右目から涙を一筋流した。
悲しそうな顔をしているわけでもないのにドキッとしてしまう。
クケイが修めてる八監派の内功は、感情を操作しないといけない。
任意に泣けるまでになったようだ。
しかも器用に右目だけ。
右頬に流れる彼女の涙を食指でめいっぱい掬い上げて、地面の魔法陣に向かって散らす。
「次は手を、少し痛いですよ」
斬り裂けの魔法でクケイの親指に小さな切創を作る。
切創から血がじわりと滲み、やがて魔法陣へ滴り落ちた。
「もう治りかけてますね」
切創は閉じて既に膜らしきものを張っていた。
ビスケットオ○バもビックリな治癒能力。
昔傷だらけで帰ってきた時より確実に身体機能は向上しているようだ。
だがささやかなる癒しで完全に治しておいた。
「リョウ様?」
「へっ? あっ!」
無意識に、自分の手に付いたクケイの血を舐めていた。
「すみません気持ち悪いですよね……なんでこんなことしちゃったんだろう」
「いえ、そのようなことは」
クケイはそう言ってくれるが、人の血をペロペロするのは普通じゃない。
いかに守備範囲の広い俺でも能動的にやるわけがないし、何より前例がなく完全に無意識だった。
龍鯉自身の体質なのか、それとも真気を吸い取る八監派の内功が深くなった所偽なのか。
体質というより嗜好だったり?
もともと臓物系の料理は好きだ。
取り敢えず術を優先しよう。
「今から隠者の部屋という、他者から認識され難くなる魔術を発動します。詠唱が始まったら、クケイはこの部屋を隠したいと念じながら僕のことを頭に想い浮かべてください」
「おおせのままに」
術式を理解していないクケイにもこの部屋の管理権を持たせるためである。
必要なのは管理権を分けたい者の血と涙、そして意思の統一。
これによって絆を紡ぐ。
ちなみに例の魔導書には、
『血は絶対必要である。涙が出ない場合は情を伴う体液で代用せよ』
と意味深なことが書かれていた。
おしっこや唾液鼻水などの体液は駄目らしい。
「『我 隠棲を好む者
属性は水 土 金
求むるは安寧 人の目を避けよ』」
魔法陣は赤黒く瞬いて、張り付けた無数の呪符と共に跡形もなく消えた。
「ふぅ、術式は全て終わりました」
「……、」
クケイも安堵したように小さく息を吐いている。
「これだけ広いと公にしたくないものを隠すだけじゃなく、秘密の修練部屋としても使えますね」
「この魔術は外に情報が漏れないようになっているのですか?」
「はい、おそらく母上でも認識できないと思いますよ。連絡用の巻物は機能しますけど、探知は難しいと思います」
クケイはしばらく何事か思案し、一瞬だけ顔を赤らめて、すぐ表情を戻した。
何か思い出したのだろうか。
それともよからぬことを思いついたのだろうか。
「とにかく、ここはクケイが管理してください」
「私にはこのような高等魔術を扱う知識はございませんので……」
「そのために血と涙を流して絆を紡いでもらったんです。感覚で使えると思うので、自分の部屋みたいに使ってください。わからないところがあればとことん教えます」
無事、クケイと部屋の管理権を共有した。
俺の世間的な立場はユーゼン家の三男。
暫定的にグェムリッド宮殿を与えられている。
グェムリッド宮主。
正式ではないし儀礼称号みたいなものだが、一応宮殿内のものは自由に家臣たちに与えられる立場にある。
ティンバラスール城でのクケイの扱いは十五歳未満の侍女のトップ、つまり事実上のメイド長と目されている。
これも正式ではなく、あくまで立場はいちメイド。
もちろん彼女をただのメイドとして扱う人間はこの城にはいない。
とはいえ、何もない彼女に何か少しでも与えてあげたかった。
「ラン様にこの部屋のことは」
「しばらく内緒の方向で、どうせ今は殿下に夢中で気付きませんしね。マーグラ、ミルドとモロー、エレシュとイナンナあたりの秘密を守ってくれそうな人には教えておきましょう」
ちなみに鸞子は春のイアライ宮殿を与えられている。
だのに大体グェムリッドの俺の寝室で寝泊まりしているのはご愛嬌。
鸞子は暇を見つけては王子サグラのところへ通っている。
まるで通い妻だ。
存分に可愛がられるのが幸せなのだろう。
俺はと言うと、やれヒミカとの領地の相談あるだの、お姉様たちとの臨時勉強会があるだのと理由をつけて、できるだけ回避している。
今回は、
「新しい魔法の習得に集中したいので二日ほどお時間をいただきます」
と断わりを入れて難を逃れた。
最初に作った俺の安息の地を『五階東の部屋』。
新しい隠し部屋を『五階西の部屋』と呼ぶことにした。
この際なので東の部屋のことはクケイにだけ教えた。
東の部屋のことになるとクケイの様子が少しおかしくなるのはどうしてだろう。
まさかあの部屋のことを知ってたとか……。
ないない。
何回も後をつけられたことはあるけど、隠者の部屋の認識阻害が働いてまいているはずだ。
***
次の日、五階西の部屋にベッドやソファなどの家具を搬入。
自室にあった領地の資料、しばらく読まなそうな参考書、クケイが趣味で集めている武具や魔道具をこちらに移動させた。
次男タカイスの侍女プシュケが定期的にプレゼントしてくれる、仮装衣装や改造メイド服なども収納。
ソファでうたた寝して、
「(俺の居ない時にあのメイド服を着てみたりするんだろうか)」
とか思っていたら、いつの間にか着替えて横に座っていた。
「その服もしかして好きなんですか?」
クケイは少し恥ずかしそうに頷く。
「……正直いいますと嫌いではありません。それにプシュケ殿、マーグラ様、ミルドは私がこのような使用人服を着ればリョウ様が喜ぶと」
もちろん喜びますとも。
今回のものは比較的控えめな意匠だった。
とはいえ標準のメイド服と比べれば、だいぶ攻めてはいる。
黒のガーターベルトから察するに、下着はおそらくすべて黒。
「ぱっつん止めたんですね」
「いつまでも届かぬお師匠様の後ろ姿を追うべきではないと思いたちました」
艶やかな長い黒髪。
クケイは最近前髪をきっちり切り揃えるのをやめている。
レディ=ブロックハンドっていう剣客の墓を建てた辺りからだろうか。
年頃の少女らしく髪型を気分で変えるようになった。
「お気に召さないようでしたらまた……」
「いえ、このままでもいいですよ。かわいいですし」
「……、」
嬉しそう。
広々とした部屋。
そのまま時間の許す限り、寄り添って過ごした。
数日後。
今日はクケイと午後五時に五階西の部屋で落ち合う約束。
先に部屋の整理をお願いしておいた。
現在は午後四時。
日課→使用人たちからの相談→ヒミカからの政治的な質問。
組んでいた一連の予定が思いのほか早く済んでしまった。
今日は扉からではなく次元移動で瞬間移動して入室。
管理権があれば次元移動でも入室可能。
布袋と小物でさんざん実験済みだ。
驚いてくれるかな、みたいなほんの出来心である。
部屋の隅。
すぐさま本棚の横へ隠れる。
ソファにはクケイが寝ているのがみえる。
いつもより隙をみせている。
調子でも悪いのだろうか。
いや、アレは……!?
咄嗟に気配を消し隠れよを発動。
クケイはビクッと上体を起こし、キョロキョロと辺りを見渡している。
一息つくと、再びくてっと倒れた。
これは早く外に出るべきかも――――
「リョウさま……」
!?
いかん!
後ろ髪を引かれる思いで次元移動を発動。
そのまま五階東の部屋に駆け込んだ。
午後五時。
約束の時間。
「ノックなどしなくても」
「癖なんですよ」
「……、」
クケイはいつも通り瀟洒な佇まいに戻っていた。
この部屋は二人だけの部屋。
あそこまで油断していたのは、ある意味俺への信頼の証左なのかもしれない。
そう思うと、知らない振りをせずにはいられないのだ。




