第三話「師匠との出会い」
三歳の誕生日。
俺の住むティンバラスール城に一人の女性が来城した。
「これから君たちの世話をする、ソフィア・リコ=キリューインです」
でかい。
彼女を見た時まずそう思った。
ソフィア・リコ=キリューイン。
背は一九〇センチ位。
前髪をぱっつんとさせて、腰まである黒髪に癖はなく美しい。
凛とした女性だった。
ティンバラではまず見ることのないであろう漆黒の道袍は、洗練された印象を受ける。
彼女の堂々とした様をみれば誰が見ても徳の高い道姑と判断するんじゃないか。
こう、オリエンタルな見た目な人はわりと親近感を覚えちゃう――――
――――はずなのだが、一言挨拶を受けてからは、体躯よりも雰囲気に呑まれた。
俺はもともと人の目を見るのは得意な方ではないが、彼女の目は、遭ったら最後そのまま操られてしまいそうな錯覚に陥る。
得体の知れぬ雰囲気を漂わせていてそこはかとなく恐ろしい。
空間全体を支配されていて、頭を撫でられているような感覚に陥る。
この人に嘘はつけない、ついてはいけない。
そんな気がした。
「ほら、お前たちの師匠となる人だ。ちゃんと挨拶しないか」
父上、そんなこと言っても動けないんですよ。
俺は棒立ちで視線が離せないし、隣の鸞子は今にも泣きそうだ。
親父。
最後にみたのは二年前か。
ソフィアと同じ位たっぱがある。
違いは筋肉量と肩幅くらいだ。
顔には無数の古傷。
恐らく全身傷だらけなのだろう。
歴戦の勇者然としている。
「リョウは恥ずかしがり屋でランは泣き虫。ソフィ、これからお願いね」
母上、双子のこの惨状を見てどうも思わんのですか。
両親に恨み言を心の中で垂れていると、ソフィアはやおら近づいてきて腰をおろした。
なんかの花の香り?
芳しい、甘い香りがした。
「おっ、うっぷ」
口元を抑え、吐きそうになるのを我慢する。
全身、何かの病気なんじゃないかと思う位にガクガク震えている。
匂いがキツいわけではないし、こんな綺麗な人を前にして吐き気を催すほど美的センスは狂ってない。
彼女の重圧に、俺の自律神経が耐えられないのだ。
「こわいよね、ごめんね」
彼女に胴体のツボを、ばしばしと三ヵ所突かれる。
すると不思議と吐き気と震えが収まった。
書物で読んだ、『点穴法』ってやつか。
流れるように俺とランの手を取り微笑む。
目線の高さが合うと不思議と彼女に慣れてきた。
そうだ挨拶しないと。
「ぼっ、僕はりょ、龍鯉です。リョウと呼んでください。こっちは姉の――」
直感的にこの人こそ『相応しい人』だと思った。
恐怖を押し殺して、慎重に口を開いた。
泣きべそかいてる鸞子を軽く肘で小突くと、はっとして滲む涙を拭いながら、
「あっ、わたしはラン……」
「よろしくおねがいします!」
目配せして、二人してできるだけ大きな声を張った。
「リョウ君にラン君。これから一緒にがんばろう」
「ランがさき、わたしがおねえちゃん」
ランが姉の意地を張ると、そうかそうかと二人同時に抱きしめられ頬を合わせた。
いい匂いの発生源はこの綺麗な黒髪についてる整髪料か。
自然と鼻息が荒くなっちゃったけど、バレてないかな。
すんすん、バレてませんように。
頬を合わせるというのはスヴァルガでは家族やそれに近しい人に対する親愛行動らしい。
この世界の人はどうやら身内に対しての距離が非常に近い。
前の世界でも似たような習慣の地域はあった。
しかし、俺の住んでいた日本では、身内に対してもそこそこ距離が遠かったように思う。
満員電車や祭りみたいに密着するしかない状況を除けば、親兄弟でもそこそこ距離を置く人は多いだろう。
俺の場合は違う意味で親との距離が近く、精神的な意味でかなり遠かった。
結局高校卒業して家出したし。
基本ハグというのは感極まった時にしかやらないものだ。
まあ、する機会はなかったが。
ライフワークの妄想の中で二次嫁と抱き合う程度である。
前世で培った常識、特に性根も相俟って、挨拶代りに気軽にハグしたり頬を合わせたりする度ドキドキする。
頬を合わせるどころかキスなんてされたら、昂ぶりすぎて頓死するかもしれない。
ソフィアは赴任したその日に質問を投げかけてきた。
「リョウ君は何か学びたいことはあるかい?」
少なくとも三歳になったばかりの幼児にかける質問じゃない。
何かを待ち焦がれている俺を推し量った上でのこと。
きっと鸞子にはこの手の質問はまだしない。
「その前に、あなたは僕に何を教えられるんですか?」
「君が望むことならわかる範囲でなんでも教えよう」
ここで馬鹿正直に幼児らしからぬ答えをしたら、『やはり悪魔が憑いてる』とかで市中引き回しの上張り付け獄門や、生きたまま火焙りにされないだろうかと不安になった。
「んー、まだわかんないです」
「リョウ君」
「……!」
あらゆるものを吸い込んでしまいそうなどす黒い瞳。
優しい目付きの裏に潜んでるものが怖い。
『本当は学びたいことがあるんだろ?』
という目だ。
本当になんでも教えてくれるだろうか。
「……この世界のことと、武術と魔法を学びたいです」
「ほう、それはなぜ学びたいのかな?」
「世界を学ぶのは生きる上で必要だと思うし、母上が魔法を使っているのをみて、格好いいと思ったからです。武術は本で読んだことしかないのでわかりません」
「うん、もう終わりかい?」
「あと……」
絞り出すように、
「強くなりたいです」
最強になりたい、とまでは言わなかった。
笑われそうな気がして。
うちの部屋の本棚に、
『昨今における武功と魔法の地位について』
とかいう、どストライクな本があった。
その本自体は武術と魔法をやたら賛美するだけの内容の薄い本だったが、どちらかを少し齧るだけでも、この世界では一定のイニシアチブが取れると知るには十分だった。
これを読んだことを契機に、いろいろな武術や魔法の知識本を読み漁り始めたのだ。
思ってることはほぼ吐き出した。
あとは肚を括って待つほかない。
「あ、あの本当に教えてくれますか」
「リョウ君が望むならね。君はまだ幼いし体が弱いから武術は様子を見よう」
ソフィアはそう言うと相好を崩して俺の頭を撫でた。
***
「君たちは今から八監派の門弟となる。我が流派に大層な文句はないが、私を師と仰ぎ学ぶ覚悟はできているかい?」
「もちろんです!」
「もちろんですわ!」
「よろしい。私の足下へ三回叩頭しなさい」
鸞子と二人して土下座、額を三回地に突ける。ソフィアは俺たちの頭を撫でながら、
「これで君たちは正式に私の弟子だ。よろしくね」
と、優しく微笑んだ。
次の日から座学が始まった。
鸞子はまだ精神的に幼かったので、直近で必要な言語教育に貴族の子女たる情操教育、興味のありそうな基本的な剣法の型を中心に習い始めた。
まだよちよち気味にしか歩けないのによくやらせるものである。
鸞子は俺と別行動が多く不貞腐れることもあった。
だが、ソフィアの飴と鞭を両立させた効率良く愛のある教育法のもと、いつの間にか弟の体まで心配してくれる立派なお姉ちゃんになっていた。
貧弱な俺は座学中心で、壮健な鸞子は実践中心。
俺に関してはかなりの英才教育を施されたように思う。
「スヴァルガ語は問題ないね。まずは照語を学ぼうか。これを公用語の一つにしてる国は少なくないから覚えておくべきだ」
ソフィアは基礎教養の修学と並行して、さまざまな言語を叩き込んだ。
王侯の子女においては、まず言語習得が将来への最大の布石になるのだそう。
ある程度の地位に居ると、他国の使節団やお偉いさんとお話せんといかん場面が多い。
爵位を継ぐような身分でなくても、言語に堪能であるのは生きて行く上で優位に働くからだろう。
一つの言語を、二ヶ月~六ヶ月かけて日常会話と最低限の読み書きができるまで集中的に詰め込む。
こんな雑に学んで大丈夫かと半信半疑だったのに、意外に上手く行ってしまった。
***
ソフィアから基礎教養を学びながら、スヴァルガ各地の新聞を読んでいくうちに土地の事情もよくわかるようになってきた。
ヴァラスーナ大陸中央部を支配するスヴァルガ帝国。
どうやら最近はその帝国とやらの支配力が低下気味のようだ。
端的に言うと乱世である。
汚職、皇族と諸侯の派閥争い、宦官や官僚の専横が続いて国力低下。
とどめに暴君が現れ政変が起きて社稷が変わる、というのはどこの世界でもみられる王朝滅亡のモデルケースだろう。
スヴァルガはしぶとく、そうはならなかった。
滅亡の危機が訪れると、トライスのような英雄が出現して最悪を免れるというのを何百年にもわたって繰り返していた。
ちなみに滅亡しないのは、ヒミカの実家である『ナイノミヤ王家が代々スヴァルガを守護りつづけているから』と多く書物に書かれている。
なんとも信じ難い話だが、
「その通りなのだよ」
「ええ、その通りよ」
ヒミカやソフィアどちらに聞いても肯定された。
彼女らが言うならそうなのかも知れない、と思ってしまう。
なぜ「その通り」なのか二人に聞くと、
「詳しい術式はしらないけどそういう契約になってるのだろう」
「ナイノミヤ王、あなたのお爺様だけが知っているのよ」
と答えられた。
俺が魔法や魔術の素人だからって煙に巻いたのかも知れない。
真相に近づくと怖い人たちにやられちゃうような都市伝説案件?
ひとまず納得した振りをしておくことにする。
閑話休題。
アンガー領はスヴァルガの領邦の一つで、領都ティンバラを中心にして最近トライスがまとめ上げた軍閥というのが一般論だ。
アンガー領は天然資源が豊かで、あり余る広い領土を農地として利用、その巨大な富はティンバラに集中している。
領都ティンバラの歴史は長く、もともと栄えてはいたのだが、父親のトライスがアンガーを統一して以降、領内の天然資源発掘、農地開発、治水事業が躍進して人が集まり始め、最近では交易都市としても機能するようになった。
帝国を支える最も重要な都市の一つといえよう。
ティンバラは東西南北中央五つの区に分かれていて、
東区は歓楽街、
西区は平民のベッドタウン、
南区は貴族のベッドタウン、
北区はスラム、
中区は公官庁関連の施設が集中している。
ティンバラスール城の敷地は中区と一部南区にまで及ぶ。
どこの区画にも必ず一城以上は城ないし砦が点在している。
形態は城郭都市、城下町など種々雑多で、長い歴史の中で大きな戦が起きる度新しく建てられていったのだ。
城から出たことのない身でいうのもなんだが、城めぐりでもしてみたいくらいに領内の城は豊富だ。
出たことがないというより、連れ出してもらったことがない、いつもの如く許可がでないといった方が正しい。
俺の幼さ故か政治的な理由はわからない。
もっとも、毎日の勉強が忙しすぎて外に出る暇がないというのが実情で、城の外に出るのを望んでいるわけではない。
まだ魔法についてすら教えられてないしな。
しばらくはティンバラスール城を把握するだけで精一杯。
インドア派だし、極わずかなアウトドアな欲求は無駄に広すぎる城を探検するだけで満たされるのだ。