第三十一話「見えない声・後篇」
ハールマ城、マーグラの寝室。
部屋の中央に立つのは俺と長男レイス。
肌着姿の子供と男が睨み合うという、なんとも名状しがたい状況である。
修羅場といえば、そうなのかもしれない。
城主マーグラは、合図したとおり毛布に包まり、ベッドの端に隠れて様子をみている。
「レイス、俺と喧嘩しようぜ」
「そ、その魔法使って僕をやるつもりか、タカイスみたいに」
「使わねーよ。負けたらなんでもいうこと聞いてやる」
どうせ負けたら死ぬよりひどい目に合うしな。
この発言にレイスはニチャアと気持ちの悪い笑みをこぼした。
俺が小動物系ヒロインなら、はわわと粗相している所だ。
「いいのかな。体が弱いって評判だし、そんな小さな体で、魔法も使わず僕に勝てるわけないじゃないか」
「タカイスに負けたのは、自分より優秀でガタイがいいからしょうがないって思ってるんだろ? 俺に負けた時に言い訳されちゃ困るから、お得意の催眠術でもなんでも使っていいぜ」
「う、うるさい! 受けてもいいけど、僕は負けても君のいうことはきかない」
「それでいいよ。ルールはクラブポイントの三十三番でいいよな」
レイスが在籍していた士官学校では後輩に対する数百に渡るシゴキが存在する。
クラブポイントの三十三番は『どちらかが倒れるまで一発ずつ殴り合う』というルールの殴り合い。
在学中はこういったシゴキに耐えて、一部の士官候補生たちの心を掴んでいた。
側に控えていた少女エヴォンと少年ナーリはその心酔した士官候補生だ。
英雄か罪人かはいつだって紙一重。
信じ難いが、こいつに付き従う人間は居るのだ。
レイスは生粋のサイコパスである。
自分の快楽のためなら、関わりのない些細な矛盾はどうでもよければ、世間との折り合いを一切考えないタイプ。
普通にやってるとペースにのせられてしまうし、そも話してわかるような相手ではない。
ゆえに、感じやすそうな両親と乳母アキノの話をして、コンプレックスになっているタカイスと、僅かながら思い入れのある士官学校のシゴキを引き合いにだして揺さぶった。
「……後悔したって知らないよ」
「人の後悔気にするタマじゃねーだろ」
俺は軽く手招きして答えた。
もちろんお先にどうぞ、という意味である。
顔を殴られたと同時に五メートルほど飛んだ。
我ながら上手に殴られたので、口の中を切った程度で問題はない。
まぁ、フィジカル差から当然と言えば当然だろう。
ただ、レイスの実力から言って、少々できすぎと思える一撃だった。
「タカイスから簡単に倒せるって聞いたの? 僕だってあれから成長したんだ! いくつかの戦場を渡り歩いてトゥッラ神から加護を貰ったりね」
そういうことか。
剛勇のトゥッラから加護を得ている。
剛勇のトゥッラは軍人や武術家に広く信奉されていて、一定の条件を満たせば加護を授けることがある。
つまり、肉体強化の契約魔法を行使している。
今のこいつはタカイスにぶちのめされた頃より、肉体の強度、格闘技術、催眠術の熟練度、全てにおいて比べものにはならない。
既に知っていたのにさほど重要と思わず、失念していた。
「……次は俺の番だ」
「魔法を使わないと勝ち目はないよ」
拳に内力と魔力を集中させる。
爬走在地。
内息を整え、限界を超えないように。
地を踏み抜き、一足飛びに殴りつけた。
レイスの体は中空で回転して、ゴロゴロと何度も木の床に打ちつけられながら転がっていく。
マーグラが不安そうにこちらをみている。
この期に及んで自分の息子は大切らしい。
「大丈夫ですよ。自分で提示したルールは守りますし、ご想像のようにはなりません」
「(……ごめんなさい。妾身はもう目を閉じているから、好きなようになさい)」
一発ずつだ。
それにしても、レイスがピクリとも動かない。
内力はかすかに感じるので、死んではいない。
横たわるレイスの顔を確認する。
「み、見えなかった。戦場でもこんなやつは……魔法は、使わないんじゃ」
「魔法は使ってねーよ。まだやるか?」
「……や、やる。だけど体が動かない」
「しょうがねぇな」
魔法は使ってないが、魔力は纏わせている。
しかしこいつもトゥッラの加護という、ある種の契約魔法を使ってるのでお互いさまだ。
軽い打撲傷と鼻が折れているのをささやかなる癒しで治療し、ショック状態にある脳と肉体に内力を入れて矯正してやる。
それから三十数回、一発ずつ殴り合い、毎回似たやり取りを繰り返した。
「おい、続けるぞ」
「も、もう僕を治さなくていい。なんで自分は治さない!?」
「なんだ? もう降参か」
「僕は負けてない!」
鼻息荒く、興奮気味に否定する。
「じゃあ治してやる」
「……、」
治してやったのに、レイスは黙りこんで立ち上がらなかった。
「……レイス、お前はいつ死んでもおかしくないし、いつかは死罪になる。なってないのは父親と母親の血、ユーゼンとレッドソードという出自があるからだ。生まれが恵まれててよかったな」
「しっ、知ったことじゃない」
「いくら人を殺めたからって『死の女神』は大好きなアキノを返してはくれない。彼女はお前に首を絞められて殉教したんだから」
「うァ……うぅ……いっそ殺せぇ!」
「お前をどうするかは俺が決めるんだよ。わかったら、言うこときいて従いやがれ」
仰向けのまま、涙と鼻水をだらだら流している。
よほど悔しいのだろう。
こいつは今まで多くの人に折檻されたり殺されかけているが、心から屈服したことは一度もない。
単純に叩きのめされたくらいで屈服するようなやつじゃない。
それは、誰もこいつの弱いところを理解し得なかったからである。
数分間ほどの沈黙ののち、限りなく小さな声を絞り出した。
「……わかった、君に従う」
レイスはそのあと大粒の涙を流し続けて、何事かぶつぶつ呟いていた。
聞いてみると、ほとんど心の病のようなとりとめのない内容だったが、無性に腹が立ったので尻を一発蹴っておいた。
先ほどみえたいくつかの破滅的結末、全てにおいて俺はこいつにひどい目に合う。
だのに尻を蹴るだけにとどめたのは、マーグラの心境を現在進行で読み続けているから。
「義母上、決して悪いようにしませんから、僕に任せていただけませんか?」
「妾身はもはやものを言う立場にないわ(どんな罰でも受けるわ……)」
「ただ見殺しにはしません」
外が騒がしくなってきた。
と、同時に、突然ぬるりと一人の少女が目の前に現れる。
「お、クケイさん」
「状況の把握に苦しみますが、随分と無茶されたようですね」
おそらく、天井に一つだけある隠し戸から入ってきたのだろう。
擦り傷だらけになった俺の顔面を労り、ささやかなる癒しで治療してくれる。
「ありがとうございます」
「お部屋の前に我が城とマーグラ様の家臣が、ハールマ城の周辺に有力貴族の関係者も詰めかけて混沌としております。いかがなさいますか」
「そうですね……。とりあえず義母上のお召替えを、服を着ながら言い訳を考えます」
毛布の隙間から覗く少々汗ばんだ小麦色の肌。
こんな扇情的な佇まいのまま表にだすわけはない。
横たわるエヴォンとナーリに活を入れて起こし、レイスの身だしなみも整えさせる。
よし。
部屋を出ると、通路に一〇〇人ほどの家臣が詰めかけていた。
「リョーリ様、ご無事ですか!」
「何かあったら許さんからな」
「何かとはなんだ! わけあってお忍びで帰ってこられたとはいえ長子であるぞ!」
「三男の家臣如きがこのハールマ城で調子に乗るな」
男どもが喧々囂々と不毛な言い争いをしている。
俺が咳払いをすると少しだけ静まり、注目する。
「我が兄レイスはご乱心召されました。ゆえに心落ち着くまでしかるべき所でお休みになります」
「誰の権限でそのような!」
「父と母の名において、ユーゼン家三男リョーリが、責任を持ってレイスを休ませます。側室マーグラからも委任を受けています」
マーグラが控えめに頷くと、再びざわつき始めた。
根も葉もないことをまくし立てている。
「地位を利用してウチの城主様を脅したんだろう!」
「幽閉するおつもりか!」
どこからか小石が勢いよく飛んできて俺の頬をかすめた。
ウチ所属の衛兵が投げ主を見つけて殴りかかっている。
ワラワラと人が蠢く。
端的にいってカオスである。
クケイが耳を塞ぐジェスチャーをした。
俺とマーグラが耳を塞ぐと同時に、
『お静かに!』
クケイの、城全体が揺れるほどの大きな声。
音功の一種で、我が八監派では蒲牢功という名の武功である。
いつも消え入りそうな声量でしか話さないし、あまり好んでなさそう。
しかし、乱闘は収まった。
レイスは処分が決まるまでハールマ城の地下牢に入れることにした。
地下牢の護衛もとい、管理はティンバラの役所から比較的利害関係のなさそうな部署を選んで当たらせる。
「あくまで一時的ですよ。義母上はティンバラスール城に来てください」
「妾身をヒミカの前で晒しものに? (この体で会うのはちょっと……)」
「母上のことですから、ひどいことはなさらないでしょう。僕が付いてますし、お嫌なら対面しなくてもいいです」
いずれにせよ、脳内へ直接アクセスしてくるマーグラの声はなんとかせんといかん。
馬車に乗る直前。
バルコニーにタカイスがいる。
目が遭うと一度だけ頷いてから視線を外し、プシュケと消えた。




