第三十話「見えない声・前篇」
魔力増幅のダメージから快復してしばらくの間は、関係者への快復報告に時を費やした。
最後に訪れたのはハールマ城である。
城の門前に到着したときから、なにやら不穏な空気が漂っていた。
まず、馬車まで迎えにきた家令の女史と使用人たちの様子が変だ。
次に、ここ最近は出入りのたび、城主であるマーグラに挨拶するのが習わしなのに、今日に限って体調不調を理由になかった。
女史に訊くとあたふたと、誤魔化すのだ。
それから次男タカイスも神妙な面持ちをしていた。
「今日、どうしたんだよ? お前ん城の雰囲気おかしくないか?」
「……レイスが帰ってきた」
「どこに?」
「この城にだよ。お前が寝てる間にな。イーラム殿が箝口令を敷いていて、知っている者はハールマ城の関係者に限られてる。プシュケ、説明してやれ」
「はっ」
セイカイ城の戦い。
スヴァルガ北西面、帝国が起こしたロウカン族との戦だ。
長男レイスもこの戦に参戦したようだが、親父とその謀臣イーラムは策を用いて敵を切り崩したため、直接的な戦闘はあまり起こらなかった。
今より少し前、係争地だったセイカイ城をスヴァルガ側が奪還し、ロウカン族との間で話がまとまりかけていた。
ところが、獣人たちとの間で無用な諍いが起きた。
きっかけはスヴァルガ側の兵士が獣人族の娘を乱暴したという出どころ不明な噂。
そこから末端の兵士たちの間で話が大きくなり、局地的な対立に発展した。
その対立のスヴァルガ側の矢面に立ったのがレイスである。
直接的な戦闘の少なさに不満を抱いていた一部の血気盛んな兵士たちを煽り、事態を悪化させてしまったのだ。
噂の真偽はともかく、トライスはそれに怒り、秘密裡に強制送還させたというのがことの顛末である。
軍規に照らせば極刑は免れない。
そうならないのは、帝国やアンガー領貴族同士の対立、レッドソード王国との関係もあるだろう。
帰還を大っぴらにしないところに、トライスのせめてもの怒りが込められているように感じる。
「リョウ、お前もうハールマ城に来ないほうがいいかもしれん」
「どうして」
「レイスは当面の間この城で謹慎する。アイツはお前をみればきっと気に入る。そうなれば――――」
「俺を?」
「そうだ。ワシはもうレイスの顔も見たくないし、親父と母の手前関われない。これだけは約束してくれ。この書斎から出たらすぐに帰れ」
ひどく心配している様子だったので、頷いておいた。
書斎から出て、女史に案内され玄関へ。
(助けて)
声がした。
女史とうちの侍女の顔を見比べる。
この人たちではない。
(助けて)
また聞こえた。
「何か聞こえませんか?」
「いいえ、私にはなにも」
俺だけが聞こえている?
(おねがい、誰でもいいから助けて)
玄関から踵を返し、階段を駆け上がり、ひと際大きな扉に辿りつく。
物理的に声がしているのではない。
俺の脳内に直接誰かが語りかけているのだ。
「ここは城主マーグラの寝室です。本日は体調優れぬゆえ、どうかお帰りください」
(助けて)
静止する女史の手を振り解いてノックする。
この城の造り方からして、声を張れば扉越しでも届くはず。
「リョーリです。挨拶が遅れ申し訳ありません、お加減はいかがですか?」
二〇秒ほど間が空いた。
女史を見ると眉間にしわを寄せて何回も首を振っている。
「……ごめんなさいね。具合が悪いから今日のところは帰ってちょうだい」
マーグラの声。
「よろしければ脈だけでも――」
「帰れって言ってるでしょう!? 聞き分けのない子ね!」
「(この子ならあるいは……いや、だめよ)」
確信した。
頭に響くこの声とマーグラの声は一緒だ。
交わしたばかりのタカイスとの約束が頭に過ったが、ええいままよと、意を決して部屋に闖入する。
入ってすぐ、いつもの豪奢なドレスではなく、簡素な肌着姿のマーグラが扉にもたれ掛っていた。
散々な恰好なのに、俺をみる彼女は今まで見たこともない位に嬉しそうな顔をしていた。
が、すぐ不安そうな顔に戻る。
「大丈夫ですか?」
「帰ってっていったのに……」
俺が駆け寄ると女史が忙しく扉を閉めた。
お香だろうか独特の香りがする。
部屋を見渡すと、奥に複数人の男女が寛いでいた。
こっちをみてニヤけている。
「賭けは僕の勝ちだね、母さん♪」
声の主は褐色肌の青年。
次男タカイスに姿形は少しばかり似ていて、顔も悪くない優男。
なんとなく詐欺師っぽい胡散臭い雰囲気を醸し出していた。
長男レイスだ。
自己紹介されなくてもわかる。
顔立ちの良い男女を侍らせ機嫌よさそうにしている。
「なんの賭けですか?」
「……(あなたが入ってくるかどうかで賭けたの)」
「そうですか」
マーグラは驚いていた。
精神感応の原因はわからない。
しかし、彼女も意志疎通ができることを理解して、順応し始めている。
俺も、今は細かいことは考えないでおこう。
「僕が勝ったから、もう逃げないよね?」
「この子は帰してあげて」
「そいつも堕としちゃえばいい。あの時のラヴァナみたいにさ」
「(お願い、今からでも帰りなさい)」
「僕に助けを求めたのは貴女じゃないですか」
「妾身はそんなこと求めてないわ(そうだけど、あなたみたいな子供に何ができるっていうの?)」
「何ぶつぶつ言ってるのかな? ほら鍵をかけてよ」
「……はい(い、いや)」
マーグラは、扉までよたよた這って、言われた通り鍵をかける。
明らかに様子がおかしい。
「どうしてあんなやつの言う通りに?」
「(わからない。妾身は昔からレイスに強く言われると、抗えないの)」
「二人ともこっちにおいでよ」
「(ああ、ダメ……)」
ずん、と全身が重くなり、レイスに命じられるがまま歩みを進める。
これは、一種の暗示か催眠術の類だろう。
魔力や内力を使ったものではない。
見たところ内功はそこらの武術家に毛が生えた程度だし、何より、ややこしい術式を組みそうにない。
部屋を漂うお香は何らかの特殊な薬品、独特の口調と身の振り方で相手を催眠状態に陥れ洗脳している?
「近くで見るとすごくかわいいなあ。女の子みたいだね。エヴォン、ナーリ手伝ってあげて」
レイスと同い年くらいの男女。
使用人、という雰囲気ではない。
エヴォンという少女が俺を確認する。
「レイス様、正真正銘女の子であります。ランコ様では?」
「一人でハールマに来るってことはリョーリだよ。男にも女にもなるって噂は本当なんだね。それとも、ずっと女の子だったのかな。タカイスに気に入られているそうだけど、今どんな関係?」
「今からでも遅くないからこの子は解放して!」
「うるさいなあ」
「うっうぅ……(ああ、ヒミカ、あなたの子が……ごめんなさい)」
母であるマーグラの頬を掴んで、聞くに堪えない単語を並べている。
しばらくするとこちらに近づいてきた。
「怖がらなくてもいいよ」
自我は保っているが、催眠の深度がより深くなっている。
だが傾向からして、もしかしたら彼の術はここまでなのかもしれない。
ただ、このままだと文字通り飛んで火に入る夏の虫、ミイラ取りがミイラになって終わってしまう。
レイスは下卑た笑みを浮かべている。
俺の顎に手が回った時だった。
ズキン!
頭の中に多くの情景が浮かぶ。
いつぞやの未来視とは違ってかなり情報量が多い。
脳内へ無理やり情報をダウンロードしたみたいな感覚。
時間にして一秒も経ってない。
内容は、マーグラとレイスが生まれてからどういう人生を送ってきたか。
そして、複数にわたる俺に関する破滅的結末。
タカイスに教えられたことと合わせて全てのピースがハマった。
情報として濃いのは、彼の犠牲になったハールマ十八人の使用人の末路と俺の終わり方だ。
一コマずつ、無駄に臨場感がある。
「僕の術が解けた……?」
「『坊ちゃん、これからも主に忠実であってください』アキノの遺言をまだ守ってるんだな」
「なぜ君が知っている!!」
レイスの表情は一変し、力任せに肩を掴まれた。
「……宇麻鹿也の叔父さん、アバーフォース島。知られたら困るもんな」
「だ、だめ!」
「母さん大丈夫。僕が口を封じるよ」
「痛くしないんじゃなかったのかよ」
「気が変わった。どこで聞いたか知らないけど、君が僕の秘密を知ってるなら、あらゆる方法でなぶり殺しにしてやる!!」
おお、こわいこわい。
何を隠そう今知ったばかりである。
そして、もし俺が負けた場合はコイツの言葉通りにやられてしまう。
負ければ、だが。
アキノはレイスの乳母で、催眠術を教え込み、殺人などを唆し育てた人物。
敬虔な死の女神教の信者で、またハールマ城における連続殺人の最初の犠牲者でもある。
ウマカヤはトライスの実弟で、今は伯爵としてアンガー南の領地に赴任している。
アバーフォース島はアンガーよりはるか真西にある大きな島で、トライスが若いころに攻略し一時期は総督に就任、現在は帝国の属州になっている。
マーグラはこの島でレッドソードの敵対国に捕えられてる時にユーゼン兄弟と出会い、関係を持った。
お姫様を助ける勇者二人みたいな、ベタな英雄譚は割愛。
その時にできた子がレイスなのだ。
どちらが父親か、なんてことはレイスも気にするところだ。
「まずは舌と歯を抜いて喋れなく、いや、先に立場をわからせ――――ぎゃっ!?」
黄緑色の閃光。
レイスを巻き上がれで天井に叩きつけた。
そのまま落ちると、反動で床を転がっていく。
間髪いれず、エヴォンとナーリが飛びかかってきた。
「邪魔」
ぶっ飛べで二人を両端の壁に叩きつけて昏倒させてから、レイスの様子を窺う。
鼻血を拭ってゆっくりと立ち上がり、忌々しそうにこちらを見ている。
俺は怯えるマーグラに合図してからレイスを睨み返した。