第二話「婚約阻止」
ヒミカはナイノミヤ王国の王女として生を受けた。
ナイノミヤ王はナイノミヤ王国の首長で、『鬼道』という独自の魔術でスヴァルガ帝国を守護し維持する役目を担っている。
あまたあるスヴァルガ帝国領邦の中で最も重要で、皇帝に次ぐといっていい地位だ。
ヒミカは幼い頃から優秀で、実父であり師匠でもあるナイノミヤ王ナナクモ・ヌの寵愛を一身に受けて魔法や魔術を高いレベルで修めた。
王位継承の順位は血統などの条件を満たせばあとは鬼道の実力によって決まる。
血統も申し分なく、兄弟で一番優れていたヒミカが継承第一位になるのは当然のことだった。
とはいえ先王の崩御からまだ日が浅く、継承順位がそのまま権威につながることから、順位上昇を望む兄姉や王妃たちからは度重なる嫌がらせを受けた。
食事に毒を混ぜられたり、暗殺者を送り込まれることもあった。
その度なんなく切り抜けるので兄姉たちを余計にイラつかせた。
かっこいい騎士様や魔王が現れて誘拐でもしてくれたらいいのに。
ヒミカはいつもそう空想していた。
将来の夢はお嫁さんというような少女らしい感性を持っていたが、それを表に出さなかった。
正確にいうと、出せなかった。
宮中で生き残るためには一切の隙も見せてはならず、実父や実母はもちろん、誰にだって軽口はたたけないからである。
弟妹たちと仲良くできないのもこれが理由だ。
「ヒミちゃん、あんたはスヴァルガの将来を担ううちの大事な跡継ぎなんやから、相手は慎重に選ばへんとね」
「……はい、お父様」
立場上我が儘とわかりつつも、よくわからない男と婚姻させられてしまうのは嫌で仕方がなかった。
ある日庭園を散策していると一人の青年と出会った。
「花畑に女神様か。今日の俺は運がいいな」
トライス=ユーゼン。
ナナクモに珍味珍品の献上という名目で定期的にご機嫌取りにきているスヴァルガ帝国の騎士だ。
新進気鋭の猛将で、今上帝ダンライフⅥ世の皇太子時代には、ともに戦場を駆け回り義兄弟の契りまで交わした仲だという。
今はナイノミヤよりはるか西のティンバラという古都に封じられている。
取り入るためだとしても、ヴァラスーナ大陸本土からこのナイノミヤ群島に足しげく通うとは抜け目のない男である。
「ッ……!」
出会い頭にキスハントしてきたのを思わず魔法でぶっ飛ばすという最悪の出会い。
以降はよく逢瀬を重ねた。
彼は大柄で厳つい見た目と裏腹に、優しく聞き上手だった。
無口なわけでもなく独自の世界観を持っていて、好みの匂いを漂わせたいた。
ヒミカはあまり喋る方ではなかったのに、トライスの前では饒舌になってしまう。
これが恋愛感情だということにまだ気づいていなかった。
一〇歳を迎えてから本土にあるスヴァルガの帝都へ行くことになった。
次期ナイノミヤ王の最右翼であるヒミカを世間に披露し、王配となる都合のいい貴族との婚約を発表するためだ。
お相手はチョウ・シゲファース=アシリンクという貴族。
皇太后と関わり深い人物で、やはり政略である。
でっぷりとした三十男でトライスに劣らない勇名を誇り、重要な地域の総督を歴任し家柄も申し分ない。
特に異民族統治に関しては名声高い。
一方で支配地域における、避けられたはずの虐殺の数々。
殺されないまでも、彼から課せられた目標を達成できず、手足を落とされた奴隷は数知れない。
女子供に対するよからぬ噂も付きまとっていた。
会ってみると見た目と噂通りのヒミカの一番嫌う人間性の持ち主だった。
アシリンクはヒミカを見ると、いつもぐふふと嫌らしい笑みを浮かべていた。
もう人生終わりだ。
と、悲嘆に暮れながら婚約披露の日を迎えた。
このまま婚約成立――――
――――とはいかなかった。
諸侯の集まる宴の最中、トライスが異議を唱えたことで頓挫したのだ。
トライスは異議を唱えたあと、諸侯の面前でヒミカへ求婚した。
「好きだ、俺と結婚してくれ」
飾り気のない無愛想な言葉だった。
答えは当然イエス。
婚約破棄……ではなく婚約阻止。
ナナクモとアシリンクは激怒したが、トライスとの婚約は後日成立し、とんとん拍子で婚姻まで至った。
トライスは義兄のダンライフⅥ世を味方に付け、諸侯に周到な根回しをしていたのだ。
「嫁いでも、ナイノミヤの継承順位から外れることはあらへん」
ナナクモは思い通りにいかない悔しさからか、度々水を差してきた。
ヒミカにとってはもはや好きな人と結婚して、ナイノミヤから離れられることの方が重要である。
水を差されることくらい些細なことだ。
婚姻と同時に、それに伴う化粧料として、スヴァルガ貴族ティンバラ女公爵の爵位と、ティンバラスール城を賜った。
トライスは帝国貴族ティンバラ伯爵から、スヴァルガ貴族アンガー侯爵へ陞爵。
ヒミカの方が爵位が高い理由は、ダンライフⅥ世の従妹にあたるのに加えて、さまざまな政治的思惑が絡んでいた。
ティンバラはアンガー領にある古都。
表向きは封地で帝国統治を強め、正当性を担保させるためだとかそんなところだ。
トライス率いるユーゼン家は分家だった。
本家はアンガー領よりはるか北東にあり、当主は彼の父であるテラザール侯ユーゼン。
テラザール侯は先々帝の時代、大功を立て、名誉称号としてユーゼン公爵を賜った。
世間ではテラザール侯のことを、ユーゼン公と呼んでいる。
本家とは政治面では協力しているが、基本的に仲は悪い。
その昔、トライスは庶子ということで疎まれ、スヴァルガの正規軍に預けられた。
ダンライフⅥ世の許で功を重ね、爵位を賜ってから渋々分家として認められた経緯がある。
恨んでこそいないが、お互い今でもよくは思っていないのだ。
それ故か、本家ユーゼンの当主と見えることは一度もなかった。
***
婚約から婚姻にともなう十数種類に及ぶ儀式を駆け足で済ませて、アンガー領ティンバラに入った。
ティンバラは帝都と遜色ないくらい栄えている都市だった。
トライスにつき従う領邦の富をここに全て集めているのだ。
居城はティンバラスール城に新しく建てられた本殿。
城の規模は広大で宮殿はいくつもあるのに、わざわざ新しく建てた。
側室は既に三人いた。
鳴物入りで、他を押しのけて正室になってしまった。
きっといい感情は抱いてないはず。
何事も最初が肝心、控えめにいくぞ。
他の二人は快く迎えてくれたものの、今まで実質正室扱いだった側室マーグラ・レッドソードの掴みに失敗してしまった。
というのも、最初の宴で実母のナイノミヤ第三王妃リーナ・オブ・リーリエがマーグラと本人の出自を差別するような発言をしたのだ。
そこから明確に亀裂が入り大嫌いな派閥闘争に発展することになる。
嫁いでしばらくの間、トライスの寵愛を一身に受けていたのも、拍車をかけた。
リーナは最初こそ婚姻に反対していた。
しかし莫大な化粧料を賜り、トライスの権力と軍閥の強さを把握してからは態度を一変させた。
ヒミカがナイノミヤから離れると、自身の後宮での立場が危うくなる。
窮地でもあり好機でもあった。
機に乗じてアンガーへ移り、生母として権力を握ろうとしたのだ。
リーナは自分の娘を道具としか見ていなかった。
「カレリューモア伯ウマカヤとマーグラはただならぬ関係だとか。この弱みにつけこみ、主導権を握るのです」
母のためにならない助言。
リーナはご存じなかった。
トライスとその実弟ウマカヤは同じ肚の兄弟であると同時に、いくつもの戦場をともに戦い抜いた戦友で、それがどういう意味を持つかを。
彼らにとってこの三角関係は若かりし頃からのよき思い出で、必ずしも弱みにはならない。
要らぬことをすればこちらが取り返しのつかないことになる。
ヒミカは母の不祥事を粗探しして説得し、ナイノミヤへ送り返すことに成功した。
男女関係の弱みを利用しようとした本人にして、お付きの護衛武官長とただならぬ関係にあったのだから、世話がない。
しかし、もはやマーグラとの関係はこじれにこじれ、修復の難しい段階にあった。
こじれたまま一年経ち生活にも慣れたころ、新たな側室が嫁いできた。
オウヨウ・ラというショウ国出身の女性だった。
数年前ダンライフⅥ世に謁見した名士の娘という。
年はひとつ上。
しかしスヴァルガ語はたどたどしく、自分や他の側室と違って年相応の純粋な少女。
異国にきて戸惑ってるはずだ。
正室だからとか、先輩風を吹かせないよう心掛けながら接した。
とてもいい娘で、よき相談相手というか、友達みたいな関係になった。
それからまもなく妊娠の発覚。
トライスは小躍りして喜び、無事出産するために、ソフィアという名医を紹介してくれた。
出産へ臨むには些か幼すぎたからである。
背の高い麗人。
一瞬、この人もトライスの妾の一人かとも考えたが、曰く師匠という。
対応や風貌の立派さから納得した。
ソフィアはヒミカの知る誰よりも博学で魅力的だった。
医術、魔法、武術、気功、言語などなど。
知識的に優位にあるのは家伝の鬼道くらい。
ヒミカは妊娠期間中、彼女からあらゆることを学んだ。
***
無事、双子を出産した。
ソフィアの指導のお蔭である。
姉を鸞子、弟を龍鯉と名付けた。
スヴァルガ風ではなく、自分たちと同じ東側の名前。
名付け親はダンライフⅥ世とナナクモ。
わざわざティンバラまで来てトライスそっちのけで考えてくれた。
「一人目とはいわへん、二人目は跡継ぎ候補として余にくりゃれ」
ナナクモは去り際、どちらか一人を引き渡すよう言ってきた。
とんでもないことだ。
だが婚姻を許してもらった負い目がある。
初めての子ということで、次の子ができたら引き渡すというその場しのぎの約束をして許してもらった。
ソフィアは遠方に急用ができたらしく、双子を取り上げてからすぐティンバラを発つことになった。
またいつ来てくれるかは未定。
「女の子の方は健康そのものだ。男の子の方は経絡とおそらく魂に異常がある。だけどここ先生方に任せておけば当面は大丈夫だよ」
経絡の流れがおかしい。
つまり、虚弱体質ということだそうだ。
虚弱体質だけならよかったのだが、次々に奇病にかかったり、変な体質を持っていた。
一番目を引くのは龍鯉の性別である。
日によって男の子になったり、女の子になったりするのだ。
これの所偽で乳母が定着しなかった。
神話に出てくる破壊神にそういった性質があり、民たちは皆気味悪がった。
巷で悪魔の再来だとか噂が流れたり、ルヴァ教を深く信奉するある乳母候補には暴言ともとれる台詞をつかれたこともあった。
貴族は、育児は乳母にさせるものだ。
しかしその乳母が定着しないのだから、ヒミカ自身が育てるしかなかった。
龍鯉は大人しく、赤子らしい鸞子とは対照的に泣くことはほとんどなかった。
鸞子が這って歩けるようになってからも、龍鯉はいつも座ったままキョロキョロしていた。
抱き上げれば挙動不審になるし、乳をやる際にも、直前に「いいんですか?」みたいな、どこか遠慮した表情をみせる。
で、いざ吸い始めるとこの上なく幸せそうな顔をする。
まるでこちらが痛がらない様に優しく、控えめに吸う。
ふつう気持ち悪がるべきなのかもしれない。
ヒミカにはそういった負の感情は一切湧かなかった。
先天的な頭の病気なのかも、もしかしたら呪われてるのかもと、一抹の不安はある。
自分も赤子の時、大概おかしかったことを聞いていて、こんなもんなんだと割り切れていた。
ある日、側室マーグラにコテンパンに嫌味を捲し立てられて城に逃げ帰ってきたときのこと。
鸞子はいつも通り元気そのもの。
龍鯉は、こちらの目をみて膝に手を置いてくる。
慰めてくれているのだ。
かわいい。
明らかに、こちらの感情を読み取り理解している。
この時ヒミカは龍鯉を天才だと思った。
きっと自分を超えるほど逸材。
すなわち、父ナナクモに渡せばナイノミヤ王の継承序列に組み込まれてしまう。
渡すことは考えられないし、会わせることは極力避けるべきだろう。
ふと、テレパスで彼の心の中を読んでみることにした。
術の性質上使うことは少ないが、得意な術である。
「……ッ!? きゃああっ!!」
まだ表面に触れてしかいないのに、どす黒い、自分のチカラを超える何かがあった。
ソフィアの言っていた異常とはこれだ。
ヒミカの叫び声に呼応して鸞子が泣き始めた。
龍鯉も不安そうな顔をしている。
龍鯉は巨大な何かを秘めている。
恐ろしいのはずなのに、不思議と嫌な気はしない。
これ以降、相応しい時がくるまで我が子の心を読むことはしないと決めた。
旦那様は出征し、頼みのソフィアもいない。
側室マーグラとの対立は深まるばかり。
これが自分の選んだ道。
アシリンクみたいな男と一緒になるよりはマシだ。
龍鯉は悪魔の再来?
知ったことか。
直観と直感を信じれば邪悪さは感じないし、二人とも可愛い可愛い我が子だ。
まだ幼いヒミカは、我が子へ全力で愛情を注ぎ、溢れてくる不安を誤魔化すのだった。