第十九話「落書き」
無事八歳になった。
相変わらず修練と勉強日々。
変わったことと言えば、合い間にタカイスの所に行ったり、たまに鸞子にお願いされてお姉さま方とのお茶会にお呼ばれしたりしている位だ。
弟たちとはどうも話が合わない。
六男リンと八男ツェーザルはまだ幼すぎるし、一つ下の四男ヴェンツェルと五男ヤスワロフは、二人ともジャ○アンな子だった。
きれいなやつならよかったんだが。
ある日ハールマ城に行く道すがら、子分みたいなのを一〇人引き連れて悪さをしているのを見かけたことがある。
知らん人の家の壁に落書きしていたのを軽く咎めたら、
「俺らの領地なんだからいいだろ!」
小難しい理屈を並べてもわかってくれなさそう。
「俺らのじゃない。領地や領民の建物に落書きするのは、父上や母上の顔に落書きをするようなもんだぞ」
「う、うるせー、女みたいな顔しやがって兄貴面すんな。チクったらハブだからな!」
ヴェンツェルが子犬のように恫喝してくる。
捨て台詞を吐き、手下を率いて逃げていった。
身分を隠し家主に事情を聞くと、どうやら定期的に被害にあっているようだった。
この日は形成せよで綺麗に修繕しておいた。
「あなたも、一緒に落書きをするの?」
「はい。ちゃんと家主に話を通して後始末はするので、半月ほど猶予がほしいです。サリヤ、エリーザ両義母上には事情を説明して静観するよう母上から伝えておいてください」
どんな理屈を並べてもあの二人は落書きをやめないだろう。
なので、押してダメなら引いてみることにした。
「俺も一緒に遊んじゃダメかな?」
「兄貴面しないならいいよ。リョーリは、魔法はできるけど体が弱んだろ? 俺たちが守護ってやるよ。な、スヴォー」
「うん。これからよろしく」
守護ってやる、ね。
この子たちは、普通だった。
とはいっても、タカイスや鸞子を知っているからそう見えるだけで、そこらの子供よりフィジカル的な才能は優れてはいる。
俺は一〇日間、彼らに徹底的に付き合うことにした。
落書きの行為自体を褒めて、彼ら以上のものを一緒に描いた。
どんな遊びでも、軽く動けば勝ってしまうので常に手加減しないといけない。
俺の体は弱いことになってる(実際虚弱体質ではある)ので、彼らも彼らで、いつもあと少しで負ける兄を気遣ってくれた。
それに答えるように、転んで怪我でもしたらささやかなる癒しで治してやったりもした。
子供時代にこんな子供らしく遊んだことはないので、本音を言うとちょっと楽しかった。
落書きの原因は、彼らの遊び場に至るまでの道中に、たまたま描きやすい大きな壁があったからだった。
決まった特定の家の壁に落書きをする。
チンピラが縄張りを誇示するためにやるものではなく、子供特有の唐突な好奇心によるもの。
「毎日描いてんのに、おばさんもう怒んなくなったなー。諦めて負けを認めたとか?」
「でも、いつも綺麗になってるよ」
そら付き合って描いたあと、毎日こっそり形成せよで消してるからな。
十一日目。
彼らとの遊びを唐突に休み、その日の夕方、クケイにいつもの犯行現場の様子を見に行ってもらった。
「どうですか、落書きしてました?」
「……しておりませんでした」
次の日も、その次の日も、落書きはしていないようだった。
「罰も与えず、一体どんな魔法を使ったのかしら」
「彼らのやる気を削いだだけですよ」
心理学でいうアンダーマイニング効果というやつだ。
趣味でやっていたことに何か報酬が絡むと、意欲低下しちゃうというやつ。
今回は落書きという行為を褒めることで、意欲を抑制させた。
つまり、俺が彼らの報酬となった。
上手くいくかどうかは博打だったが。
「サリヤとエリーザは喜んでたわよ。しかしなんで、こんな回りくどいやり方で、しかも落書き程度にこだわったの?」
「罰を与えてやめさせるのもいいんですが、弟たちはきっと別のイタズラを始めますし恨みます。それに落書きみたいな些細なことでも、しっかり対応していけば、長期的に見ると治安の改善につながったりするんですよ。道ばたのゴミを拾ったり、割れた窓や半壊した廃屋を処理することも同様です。今はイーラムさんも不在で、肝いりの治安政策も停滞気味。少しでもお役に立てたらいいかなと思いました」
「凶悪犯罪を厳しく罰するだけじゃだめなのね。そこは盲点だったわ」
「治安良化の目覚ましい、貴族や裕福な平民の多い中区と南区なら問題ありません。道徳的に独自の文化を持つ他の区で突然やると住民の反発を喰らう可能性がありますし、件数が膨大すぎて費用対効果が悪かったりするのでご注意を」
「そ、そう。あなたどこでそんなことを覚えたの? ソフィはそんなこと教えてくれなかったでしょう」
「え!? あ、えっと、『大事は小事より起こる』というじゃないですか」
「あなた今度……いいえ、まだ早いわよね」
なんとか誤魔化して切り抜けた。
遊びに行かなくなってから一〇日後、ヴェンツェルとヤスワロフがグェムリッド宮殿まで訪ねてきた。
すごく申し訳なさそうにしていた。
「二人とも元気ないな」
「俺たちの所偽だよな」
「なにが?」
「俺たちがリョーリに悪いこと教えた所偽で遊びにこれなくなったんだろ?」
「違う、もともとそんな長く遊べる体質じゃないし、事情もあるんだよ」
「……、」
二人は泣きそうになっていた。
「俺は落書きをやめさせるためにお前たちと連んだんだよ。ごめんな」
「そんなこと知ってる!」
「ヴェンツェルあとから気付いたんじゃん」
二人と近所の子たちは、俺の目的と自分たちの過ちにあとから気付いて、落書きをしていた家の家主に謝罪しにいったようだ。
ヴェンツェルは恥ずかしそうに、
「……もう落書きとかしないし、兄貴として認めてやるから、たまには遊びにきてよ」
「わかった。二人ともこれからよろしくな」
たまに顔を出すくらいなら……。
弟たちはよく言えば男の子らしく腕白だ。
悪ガキではあるが、悪いやつではない。
しかし、今回は上手くいったが、この調子だといつか大きなことをやらかしそうで心配だ。
弟といえば、ナイノミヤ王領に預けられた仁恤はどうなったんだろうか。
気になってヒミカに訊いてみると、
「あなた程じゃないにしてもかなり優秀ね。意思もしっかりしてきてるし、鬼道の才は目を見張るものがあるわ」
そう言いながら哀しそうな顔をしていた。
三歳位か。
優秀ならナイノミヤ王に気に入られてしまうじゃないか。