第一話「転生」
ここはどこだ。
メイド服を着た初老の女性が俺を覗いている。
体が揺れる。
いや、これは揺られているのだ。
「――……――……!」
なにを言っているか理解できないが、悪口というのはわかる。
初めてみる人だな。
こっちをみて怖い顔してる。
白眼視。
まるで、忌み子に石を投げつけるかのような。
何か悪いことしたか。
まぁいい。
昔から一方的にそんな目でみられるのは慣れてるんだ。
「――……!――――――――!!」
その隣で、金髪の少女がメイド服の女性を捲くし立てると、俺を奪い返すように横取った。
金髪の少女は、一〇歳を過ぎた位で、白く煌びやかなドレスをまとっている。
美少女といっていい。
この人はもう何度も見たことがある。
あまりに美しい。
慈しむような表情。
全身に感じる、彼女の心臓の鼓動。
全てが俺に安心感を齎す。
体は重いし常に眠い。
思考もまとまらない。
齎される安心感に感けて惰眠を貪り続けた。
***
なんとなく、二年の月日が流れた。
メイド服の女性は入れ替わって定着しなかった。
期間はまちまち、大体一週間から一ヶ月ごとに替わる。
いつも居なくなる直前にドMには堪らない視線と、捨て台詞みたいなものをついて消えていく。
認知力がしっかりしてから理解した。
あの女性たちは乳母候補で、俺の体に問題があった。
寝覚めるとたまに男の子の象徴たるおち○ちんが消え去り、肉体的な性別が女の子に転換していることがあるのだ。
そして不定期に元に戻る。
いつだったかおむつを交換してもらった時にふと気づいた。
現時点でわかるのは、寝て覚めることがトリガー足り得るということだけ。
乳母候補たちは気味悪がって白眼視しては、さまざまな理由で辞めて行く。
その都度、金髪の少女は俺を抱き上げながら哀しい顔をする。
彼女の哀しい顔をみると自分まで哀しくなる。
二歳になって、周りの事をよく理解できるようになった。
まず、ここはユーゼンという家で自分は『リョーリ』という名であることと、金髪の少女は乳母でもなんでもなく母親であるということを理解した。
「ははうえ」
リスニングは完璧。
発声はそこそこ。
「なぁに、おなか減ったの?」
「な、なんでもありません」
呼んだだけ。
母親の名はヒミカ。
見た目は十三歳くらいの少女。
まだ胸も膨らみ切ってない彼女の乳を、一歳を過ぎるまで吸っていた。
思い出してもムラムラしないのは親子故か、己が年齢故か。
どっちもだろう。
父親の顔は覚えていない。
トライスというらしい。
二年間で数えるほどしか見えなかった。
どうやら単身赴任しているようだ。
筋骨隆々の壮年の大男だったように思う。
ロ○コンめ。
こんな可憐で幼い美少女が大男に穢されるとは、自分も一年間彼女の乳を吸っときながら肚立たしい。
俺なんて二十九歳にして、彼女いない歴二十九年の童貞だったというのに。
もしこれでお妾さんとかなら絶対に許さん。
自分とそっくりな姉も居た。
双子の姉だ。
「りょ、こっち」
「いたい。あねうえひっぱらないで、いたいです」
「ラン、もっとやさしくしないと駄目よ」
「はぁい」
ラン。
彼女は可愛いらしく活動的で、何より俺を虐めるのが好きだった。
転生している。
長年待ち焦がれていたことを、二年かけてじっくり理解した。
***
どうやらここはアンガー領、領都ティンバラという土地らしい。
スヴァルガと呼ばれる帝国を構成する領邦の一つ。
トライスはその領主だが、ほとんど領地に居ない。
家に帰って来ないだけかと思ったらそもそも領地にすら居なかった。
主には帝都に滞在しているか、出征して戦地へ。
なので筆頭家臣のイーラムという人が実務を代理している。
「キャドワラ村の鉱山ですが、よい鉱脈を当てたようでしばらく収支が上向くと鉱山長から報告がありました」
「キャドワラ村は鉱物中毒が広がっていると」
「その件は都のトライス様に仔細を上疏し、鉱山運営の新たな指針と策をいただいております。解毒がすすんでおりますし、補償も等級に応じて改めました」
「あの人に上疏したのは形式上でしょう? イーラム殿には頭が上がらないわ」
「これは、いやはや」
痛い所を突かれたイーラムは、誤魔化すように茶を進めた。
イーラムは報告を兼ねてご機嫌伺いにやってくる。
毎日こんなよくわからない話をヒミカの膝の上で聴いていた。
ランは長ったらしい話にすぐ飽きて母の手を引き剥がして遊び始めるのだが、俺は一度座ると地蔵の如く動かないので定位置と化している。
最初こそ意味不明なやり取りだったのに、回数を重ねるにつれ何を言っているかわかるようになってきた。
難しい単語が飛び交うので、言葉を覚えるのにもうってつけだった。
「リョーリ様は聡明であらせられますね」
「ええ、あなたからいただいた童話集ももう読み終えてしまいました」
「つぎは少し難しい説話にでもしましょうか」
「お願いするわ」
童話をヒミカが読み聞かせてくれるのも大いに役立ち、2歳半ばにしてリスニングと発声ともに完璧になった。
「おや、リョーリ様のお顔が赤い。いつものご病気では」
「大丈夫ですわ。リョウは恥ずかしがり屋なのよ」
俺はいつの間にか顔を赤くしていたようだ。
「可愛らしいですな」
ヒミカの膝の上で、表情を隠すように俯いた。
生前褒められたことはないに等しい。
慣れていないのだ。
旦那の居る若い女の許に足しげく男が通えばあらぬ噂話にもなりそうなものだが、問題ないらしい。
きっと、彼の誠実さと忠実さが主君の親父のみならず、世間でも認められているからだろう。
実際ヒミカとは仕事の話ばかりで色目の一つも見せないし、単純に近況報告を兼ねたご機嫌伺いである。
***
この国の文字は大きく分けて二つある。
一つは『スヴァルガ文字』というアルファベットのような母音と子音を使った表音文字で、規則性があり覚え易い。
もう一つ、漢字と似た『照文字』、一般に『照字』と呼ばれる表語文字も使われている。
書物によってスヴァルガ文字とミックスされていたり、あるいはどちらか完全に分けて使われている場合もある。
書物には、スヴァルガ帝国では帝都から北か東に行けばいくほど照字が使われていて、逆に南か西に行けば行くほどスヴァルガ文字が使われる傾向にあると書かれていた。
照字はもともと照国という国の文字だ。
彼の国は古代、世界最大規模の帝国を築いていた。
八〇〇年前の最盛期には現スヴァルガ領にまで勢力を伸ばしており、その時照字は流入し、スヴァルガ文字と合わさり独自に言語変化したそうだ。
スヴァルガと照国は現在直接隣接していないので文化的に疎遠にはなってきている。
両国を大きく隔てる北東面では小国同士の小競り合いが超長期続き、小国群では照字を国字に採用している国が多いため、スヴァルガも未だ間接的に影響を受けていることは否めない。
父の夕泉闔良漪漱、母の陽甕という名も照字由来で、つまり、我が両親の故郷では照字がよく使われている。
我らが親父が侯に封じられているアンガー領は、スヴァルガの帝都から南に三〇〇〇キロ程離れている。
どちらかというとスヴァルガ文字由来の名を付けるのが一般的なのに、龍鯉と鸞子と名付けてくれているのは、やはり二人の故郷が関係しているのかも知れない。
「姉上、今日は『ツィルクネリと不死鳥の羽』のお話をしますよ」
可愛らしく口に指を当て、
「それはなぁに?」
「ツィルクネリっておじさんが、王様に頼まれて死なない鳥の羽を探すお話です」
「ふぅん」
ランはどうも集中力が足りない。
そりゃ、まだ二歳を過ぎたばかりだからな。
理解できるだけでも及第点、仕方のないことだろう。
だから俺は読破した童話や又聞きした政治のことを、ベッドで子守唄代りに語り聴かせることにした。
できる限りかみ砕いて。
「『この国は余のもの。つまり、余の国に住むお前のものも余のものだ』」
「それでそれで、おじさんはおうさまになんていったの?」
「『この不死鳥の羽を献上すれば、王様は不死になるかもしれません。ですが、諸国はどう思いますか。我が国を欲するのではありませんか』」
「どういうこと?」
「どこの王様も不死鳥の羽で不死になりたいんですよ。王様が不死鳥の羽で不死になっても、国の力自体は変わりません。争奪戦が始まってむごい戦争に発展するんです」
「ふぅん」
どこの世界にもありそうな説話。
所々、頭上に疑問符を出しながら、理解しようという気を見せてくれる。
ランは話を聴きたいし、俺は話したいがために本を読み漁った。
一石二鳥である。
***
この体はひ弱で病気がちだが、学習面においてかなりスペックが高かった。
貪欲に知識を吸収し生かせるだけの知能があった。
生前無駄に蓄えた薀蓄がそっくりそのまま頭に残っているので、わからない所はそれと照らし合わせている。
時が経てば前の世界の知識だって忘れてもおかしくないだろうに、全く忘れずに活かせているのは転生ボーナス的な何かなのだろうか。
お蔭でこの世界を『剣と魔法の世界』であると知り、魔法と武術に憧れを持つのに時間は掛からなかった。
あくまで憧れただけで学んではない。
あらゆる本を読んで、この世界における魔法や武術の重要性を理解しただけだ。
とても魅力的で興味深く、早く学びたい衝動に駆られていた。
魔法に関してはヒミカが日常生活で使っていて、それに憧れていたの志した理由の一つ。
指を振るうだけで本のページを捲り、蝋燭やランタンは火が点いたり消えたり、手を翳せば重たい扉だって開閉できる。
本当に憧れた。
「もう少ししたら、相応しい人が教えてくれるわ」
「もしかして僕は覚えられない?」
「そういうわけじゃないのよ」
ならどういうわけだ。
ヒミカは、何度それとなく乞うても教えてはくれない。
魔法、武術について客観的意見が述べられているふわっとした本はいくらでも読ませてくれるのに、入門書ですら読ませてもらえなかった。
まだ学ぶなということなのだろうか。
『相応しい人』がいつ来るかはわからない。
隠れて魔法だけでも独学で学んだら、ヒミカはどう思うだろうか。
喜んでくれるとは限らない。
哀しい顔、失望させちゃうかな。
そう考えると俺は大人しく待った。
幼さ故か体感的に時が過ぎるのがやたら遅かったが、待ち続けるしかなかった。