第十二話「出産」
「お母様陣痛が始まったって!」
ヒミカは知らぬ間に妊娠していた。
俺が気付いたのは、ある程度お腹が大きくなってからである。
どうやらソフィア、親父、侍医たちだけの秘密になっていた。
理由はわからない。
ソフィアに弟子入りしてからというもの、ヒミカと会う機会なんて、週に一度あればいい位に減っている。
それはここ数年で、彼女の正室としての業務がやたら忙しくなったことに起因する。
朝は議会に出席、
昼は書類に目を通し、
夜は他の側室、家臣とその妻などとの付き合いがある。
正直いつ寝ているのかわからない程だ。
そんな状況で、どのタイミングで致したんだろうか。
俺は少なくとも親父の顔を一年は見てない。
どうせ帝都にいるか、出征してるかのどちらかだ。
この世界の移動手段は、地竜や馬が主流である。
一応飼いなされた飛竜や魔導式の飛空艇などの高速移動手段はあるが、あれは生産手段が限られていて、基本戦時や緊急時に使うものだ。
飛竜を調教する調教師も、魔導艇の燃料、整備し運転できる者も超貴重。
何よりこの世界の空は、野生の飛竜や魔獣に遭遇する確率が莫迦にならんようで、ある意味地上を行くより危険らしい。
つまり費用対効果が悪いのだ。
いくらウチが超絶裕福だからと言って、子作りのためだけに、それを使うとは考えにくい。
しかし、ほかの側室もけっこうな頻度で妊娠していらっしゃる。
ヒミカのことだから、もしかしたら転移・転送魔術でも使ってるのかもしれない。
一定距離を超える転移・転送魔術は、どこの国でもバレたら死罪レベルの禁術らしいが。
ところはティンバラスール城本殿。
「お師匠、大丈夫なんだよな?」
古傷まみれの精悍な顔を情けなく歪ませて、ヒミカの手を握っている赤髪の男。
トライスである。
「君はもう沢山の子供がいるというのに」
「今まで立ち会ったのはレイスと双子だけだから。それに慣れるようなもんじゃねぇだろ」
「スヴァルガ第一の英雄たる君が――――」
「はぁッ……ソフィ、うちの人をいじめないであげて」
「わかってるよ。情けない弟子に発破をかけただけさ。ミカは大丈夫、問題はない」
トライスも師匠の弟子なのだ。
若い時に武術と兵法を学んだらしい。
「母上」
「お母様」
二人で空いている手に触れる。
「安心なさい。あなたたちだって問題なく生んだんだからこの子だって……」
ヒミカには余裕があった。
汗をかき息は少し荒いのに、全然苦しそうにしない。
陣痛の痛みなんて経験したこともないからわかりようもないが、きっとヤバい位に痛いんだろうに、気高さと俺たち双子に対する優しさを感じる。
「それに……ソフィやうちの人が居るもの。あなたたちを取り上げたのもソフィなのよ?」
知らなかった。
そんな素振り一度も見せなかったぞ我が師匠は。
そらもう足向けて寝られない。
妄想のネタにし辛くなっちゃったかも知れん。
というか、今更だけど出産まで手掛けるのかこの人。
ソフィアに侍医に助産師も多数。
大丈夫だ、大丈夫。
「……ッ!」
それから九〇分ほどして無事出産を終えた。
男の子だった。
初の同じ肚の弟である。
すでに弟は何人かいるが、会ったことはない。
その義母たちも一部の人以外は顔に馴染みがなかった。
妹がよかった、とかは口が裂けても言わない。
麗しいヒミカの子である。
将来かわいい男の娘かイケメンになる可能性は大だ。
男の娘ならよし、イケメンなら連れて歩けば自慢できる。
今から全力で可愛がってやる。
実際かわいい。
舐めまわしたいほどである。
俺と同じほんの少し赤みがかった金髪で、母親譲りの顔立ち。
ヒミカや鸞子が引く程に可愛がった。
しかし、その楽しい日々は一ヶ月で終了した。
弟は仁恤と名付けられた。
ヒミカの父親、ナイノミヤ王とかいう人に。
要するに祖父にあたる人物である。
俺たち双子の名前を付けたのもこの人らしい。
ナイノミヤ王はスヴァルガにおいて皇帝の次に権力を持った人物だ。
そんな人物に俺のかわいい『仁恤』は連れて行かれてしまったのだ。
納得いくわけがない。
クケイをお供に、本殿まで出向いた。
「なんでですか?」
親父を問いただした。
生まれて初めてまともに話しかけたような気がする。
「お前のおじい様との約束だ。話してもまだ理解できんだろう」
「この子は賢いからわかるわよ」
ヒミカに指摘されるとハッとして、
「……そうだったな。優秀だって話は聞いているよ」
大きく息を吐いて語り始めた。
ナイノミヤ王はナイノミヤ王領の領主である。
領地はスヴァルガより極東にある巨大な島を中心に無数の島々を従える群島国家。
その役割は、『鬼道』という独自の占術と呪術を用いて、スヴァルガ帝国の安寧と守護を担うことだという。
起源は約一三〇〇年前のスヴァルガ建国まで遡る。
ヒミカは幼い頃より鬼道と魔法に非凡な才能を見せていて、次期ナイノミヤ王にと、将来を嘱望されていたらしい。
六歳で最上級者になるほどなのだから、そらもう凄い。
俺だってまだ中級者だからな。
将来を嘱望されていたヒミカはトライスと結婚してしまい、有望な跡継ぎが消えてしまった。
悲嘆に暮れたナイノミヤ王は、
「結婚を許す代わりに、
『一人目とはいわへん、二人目は跡継ぎ候補として余にくりゃれ』
って言ってきてな」
言葉遣いから何となく日本の公家を連想する。
画像も張らずにスレ立てすると怒りそうな、そんなイメージの公家。
「二人目って、僕じゃないですか」
「あの時はヒミカが『一回目の出産だから』と言い張ってなんとか断わったんだよ」
横からヒミカは凍えるようにぽつんと、
「今回はさすがに無理ね。断わり切れない」
俺を人形のように引っ張り、思い切り抱きしめた。
赤子の頃とは比較にならんほど豊満になった両胸に挟まれる。
背も大分高くなってるし、胸だけならもう少しでソフィアに並びそうだ。
しかし、ここまで積極的なヒミカは久しぶりだ。
ソフィアが来る前はよく抱いてくれてたっけ。
余程ショックなのだろう。
俺だってショックだ。
「たまに会うことは許してくれたし、それだけでも……」
トライスは哀しそうに息子を抱く妻の姿を見て、
「すまん。俺が不甲斐ないばっかりに」
悲嘆に暮れた表情で俯いていた。
相手は舅でありスヴァルガのナンバー2。
仕方ないとはいえあまりに哀しい。
それからすぐトライスはまた出征して、ヒミカはいつもの生活に戻った。
できるだけ母に会おうと努力はしてるのに会えなかった。
以前よりまして、仕事がハードになった様子が伺える。
きっと辛いことを忘れるために仕事に没頭しているのだ。
でもたまに、父へのご機嫌伺いという名目で貴重な魔導艇をぶっ飛ばし、ナイノミヤ王領から帰ってくると、いい顔をしている。
俺はその様子をみて無事を確認する。
姉と二人して会いに行きたいとお願いしたら、
「姉上も行きたいって言ってるんですけど」
「絶対にダメ」
昔から俺たち双子を欲しがっているらしく、行けば必ず帰って来れなくなると釘を刺された。
孫がかわいいにしてもジジイはどんな強欲な奴なんだよ。
将来もっと強くなったら、弟を奪い返しに殴り込もうかな。
もし仁恤が変なジジイの所偽で変な子に育ってしまったらと思うと、居ても立ってもいられなかった。