第十話「メイドさんの副業・後篇」
寝室から出てすぐにある衣裳部屋。
そこそこ広く、収納やハンガーラックだけでなく、化粧台と、部屋の中央には長方形の机が一つある。
普段は可動ラックごと寝室まで持ってくるので、俺が入ることはあまりない。
「リョウ君には聞かれても問題ないよ」
「承知しました」
頷いてから、クケイは静かに語り始めた。
『恐ろしい毒蛇』
リヴルという村にそんな名の魔術結社が住み着いている。
クケイはその秘密結社を斃しに行ったらしい。
首魁と構成員のほとんどを斃し目標を達成したあと、帰りの道中に、
『蛇王の毒杯』
とかいう兄弟組織が現れ、襲われたのだ。
「二十五名全員が一斉に同様の魔法を使ってきたのです」
「それは仕方ないね。で、どうしたんだい?」
「首魁と思われる者だけが忽然と姿を消しました」
「気配を完全に消してケイの影に隠れていたんだね。実体まで状態変化させる使い手だと危なかった」
「はい。リョウ様の咄嗟の判断で危なげなく斃せました。お二人を危険に晒したことについては如何様にも罰を受けます」
「次に生かせばいいよ。ご苦労さま、これでリヴル村の人々も幾分か心が休まるだろう」
師匠の顔を見ていなかった。
ここしばらく忘れていた。
この人は恐ろしい人だと言うことを。
ここ最近ソフィアに対して恐怖心を抱かなかったのは、勉強を教えてもらい、修行して、一緒に風呂入って、鸞子とともに添い寝してもらって、親近感を覚えていたからだ。
「な…ンで……」
対するソフィアは冷たく、
「おや、師匠に意見するのかい?」
ビクッ、と背筋が伸びる。
いつもの優しい声色じゃない。
そんな不安をかき消すかの如く、微笑んだり、はにかんだりするクケイの顔がチラつく。
息を吐き、拳を握り、心に溜まっていた蟠りを一気に吐き出すように、
「……なんでこんなことやらせてんだよ」
クケイは少し驚いていた。
こんな口調の俺をみたことないからだろう。
ソフィアは怒るでもなく、柔和に微笑んでいた。
いつもの顔。
この野郎、また俺を験しやがったな。
「……リョウ君には、私が子供に残酷なことをさせている妖女のようにみえるのかな」
「そういうことではなく、僕個人が気に入らなかっただけですね」
「ふ……やはり、君はミカにそっくりだね。ついこないだ同じように叱られたのだよ」
この世界はそんなもんなのだ。
弱いモノは駆逐され、強いモノが蔓延る、弱肉強食の世界。
少なくともスヴァルガではそうだ。
盗賊や人攫いはそこらじゅうに居る。
新聞には毎日のように、武芸者や魔術師の殺し合いや、大量殺人の記事が並んでいる。
都から離れるほど人を襲う魔物や獣の出現率も増えてきて、集落が壊滅レベルの被害を受けることもある。
要するに治安が悪い。
日本のような、ある程度安全が保障された世界とは違う。
わかってはいても、俺には既に、クケイに対する独善的な想いがあった。
日々世話をしてもらって、彼女の良い部分をたくさん知ってしまった。
クケイに死んでほしくない。
いわゆる『第3話の悲劇』なんて来てほしくない。
ただそれだけだ。
「おいで、ほらケイも」
ソフィアは俺を抱き上げ、そのまま部屋の中央にある長机に腰を掛けた。
クケイもその横に寄りそう。
「ケイはね。望んでやっているんだ」
「本当ですか?」
「はい、望んでおります」
「チカラを持つものものは、義侠心を忘れてはいけない。リョウ君なら意味はわかるよね」
「なんとなくは」
義侠心。
弱者や困っている人に手を差し伸べたり、助けるために自己犠牲をしたり、仁義を重んじたりすることだ。
主に武芸者の持つべき信念とされている。
貴族の騎士道精神や、武士道にも共通する部分はあると思う。
大いなる力には責任がどうとかいうアレだ。
「アンガー領の外れにあるリヴル村で陳情があってね」
アンガー領リヴル村。
ここティンバラから真南、アンガー南部の領境に位置し、
西にベオバ騎士爵領、
南にはシゲファース辺境伯領。
統治機構が異なる三つの領地に跨った、放置された村である。
アンガーとシゲファースは強国だがリヴル村を重要視していない。
ベオバは帝国の直轄領で、ベオバ騎士団が実質統治する小国。
配属された騎士たちは流動的で、任期を全うすることばかり考えていて無茶はしない。
険しい山々に囲まれていて貧しく、騎士や冒険者の往来もあまりないため、無法地帯と化していたのだ。
「みんな見て見ぬふりをしていたんだ。倒しても得るものは少ないからね」
そのリヴル村を勝手に仕切っていたのが、『恐ろしい毒蛇』という死の女神を崇拝する魔術結社である。
魔術結社は勝手に税を貪り、密貿易の拠点、村人を奴隷にするなど好き放題していた。
ある名士がそれを見兼ねて、筆頭家臣のイーラムを介してソフィアへ陳情したのだ。
独自の魔法を扱い、正構成員は 中級者以上、幹部は上級者、用心棒に強力な武芸者を揃えている厄介な組織。
それをクケイは一人で、幹部と構成員を少しずつ確実に消していった。
しかしどこかのタイミングで、『匂い』という感知できない魔術を付与られていた。
ゆえに、ティンバラに帰る道すがら、兄弟組織の崩壊を知った『蛇王の毒杯』に襲われたというわけである。
「なぜ師匠が行かずクケイさんに?」
「第一に弟子としての教育、第二にこの娘ならやれると思ったからさ」
凄い信頼感である。
「そのためにこんな……」
「この娘の様子がおかしい、かい。誰だって精神を病むからね。だからケイにはまず、病まないように感情を殺すことを教えた。今習得させている内功のためにも必要なことだった」
感情を殺す、なんてことができるんだろうか。
ソフィアのことだ、できるんだろうな。
自己暗示的なもの?
方法論はどうでもいい。
感情に左右されず物事推し進める。
感情的な苦しみを押し殺し、自分に課せられた使命や、道徳心、ここではおそらく義侠心を優先させるのだ。
「私もいつまでここに居られるかわからないからね。傍からみれば異常に見えるだろう。でもそれだけケイを信頼しているのだよ。近い将来この娘が私を超えて、大英雄になるかもしれないとね。今は教えたばかりでおかしく見えるけど、ケイの才能なら上手に操作できるようになる」
「……、」
英雄。
きっとソフィアは色んな所で、弱きを助け強きを挫き、人助けをしてきたんだろう。
だから皆から尊敬されている。
俺からみても英雄然としているのはわかる。
クケイもいずれソフィアのようになるのかも知れない。
黒髪ロングのぱっつん的な意味で、見た目も明らかにリスペクトしているのはわかるし、実力も相当高い。
「義侠心を掲げて行為を正当化しているわけじゃない。利害の一致といえばいいのかな。江湖を渡り歩くことは私の趣味だし、あくまで求められてるから、必要だからそうしているんだ」
「わかりました。そういえば、なんでクケイさんは怪我したまま僕らの前に……むぐ」
途中で口元に指を置かれた。
気になっていた。
望んでいたのなら、なぜ俺たちに帰りを知らせたのだろうか。
予期せぬ怪我は、何処かで隠れて治せば何をしてるかバレなかったはずだ。
結果的には潜む賊を斃せたし、その通りにしてたらヤられて帰ってこなかった可能性もあるので、間違ってはなかった。
ただ、彼女はどこかで知って欲しかったのかもしれない。
「君がケイを可哀想だと思うなら、たまにでいいから慰めてあげなさい」
傍にいるクケイがピクリと反応を見せる。
「師匠がやれば――――」
「それは私のやることじゃないんだよ」
わかったよ。
クケイが望んでる以上止められないし、できることがあるならやってやろうじゃないか。
「ところで師匠、さっきワザと声色変えませんでしたか?」
ソフィアは微笑んだまま、俺の頬を何回か指で突いて何も言わなかった。
やはり、この人は俺を験したのだ。
「私はミカのところへ行かないといけない。君たちは……ここで少しお話でもしていったらどうだい?」
俺を猫脚の椅子に座らせると、足早に衣裳部屋から出て行った。
二人きりになってから、しばしの沈黙。
偉そうに決心したはいいものの、生前までリアルの恋愛経験皆無、二十九歳童貞だった俺である。
何をしていいやら思いつかない。
「あ、あの、どうぞ」
小さな猫脚の椅子からちょっとだけ横に移動して、クケイに座るよう促す。
「おおせのままに」
遠慮がちに、スカートを抑えてちょこんと座る。
ニーハイとの絶対領域が堪らない。
黒々とした髪からは、少し土の香りがする。
きっと砂埃に塗れたんだろう。
「……、」
どうしたらいいんだよ……。
無理矢理話題を探す。
「リヴル村は今後どうなるんです?」
「賊が居なくなれば、イーラム様が騎士を派遣し立て直してくださるそうです」
「そうですか……」
再度の沈黙。
「なんであの時、奴隷がどうとか言ってたんですか?」
「見栄を張りました。私はスヴァルガの生まれではありません。ここに来る前までは平民でも奴隷でもなく、分類するならそれ以下の卑民でした」
スヴァルガやその周辺国は、貴族、平民、奴隷といった身分がある。
貴族は主に官僚や騎士。
平民は一般市民。
身分の外にある卑民は往々にして人間扱いされない。
言わば奴隷以下だ。
スヴァルガと無関係の国から流れてきた流民や、後ろ盾のない亜人族や魔族、奴隷の身分に嫌気がさして逃げた人々を指す。
ちなみに、ティンバラスール城に居る使用人は、貴族の子女から元卑民まで様々な身分の人がいる。
しかしどれも、鞭打って強制労働みたいなステレオタイプな奴隷扱いはされていない。
これは城主であるヒミカの方針だ。
また人族が極端に多く、亜人族や魔族は少ない。
「僕はクケイさんのことを奴隷と思ったことはないですし、母上や姉上だってそんな扱いはしてないですよね?」
「それはもう感謝に堪えません。ですが、そのご厚情に感けるのはいけません。本来もっと厳しく扱われて当然なのです」
「じゃあ本当に奴隷扱いしてもいいんですか?」
「お二人のお命に関わること以外なら、なんなりとお申し付けください」
ごくり。
終始能面の様な表情に、抑揚のない話し方。
普通ドン引きするようなことを頼んでも許容してくれそうだし、『死ね』と言っても死ぬのかも知れない。
もちろんそんなことはお願いしない。
「それじゃ命令しましょうか」
「はい」
手を取って、
「……少しでも苦しくなったら僕に相談してください」
「かしこまりました」
クケイは目を閉じている。
「絶対ですよ! 違反したら罰しますからね!!」
これ以上話すネタもなかったので、小さな椅子で身を寄せあってしばらく過ごした。
彼女の手はしっとりとしていて、熱くなっていた。