第九話「メイドさんの副業・前篇」
※流血表現注意
クケイはたまに外出する。
三日で帰って来ることもあれば、半月ほど帰って来ないこともあるのだ。
今回は二〇日ほど帰って来なかった。
俺と鸞子は帰城の一報を聞きつけてから、ティンバラスール城と中区市街を渡す関所で待っていた。
「どうしたんですかその怪我!?」
ティンバラではまず見ることのない道袍。
その上に民族的なローブを羽織っている。
どちらも漆黒に誂えてあり、ソフィアの着ていたものとほぼ同じだ。
腰には小太刀を差している。
顔だけみても痛々しい生傷だらけ。
道袍も無数に切り刻まれていて、服の切れ目からは赤々とした切創が見える。
どれも一目で深いとわかるものばかりだ。
「私のささやかなる癒しでは治し切れませんでした」
淡々とそこらへんでコケたかのように言う。
違和感。
怪我はともかく、何か違和感を感じた。
関所の照明は松明だけで薄暗く、居るのは俺たち三人と数名の衛兵。
クケイはハッと目を見開く――――
「影っ!」
鸞子が叫ぶ。
クケイの足元に伸びる影が蠢いたかと思うと、一気に膨れあがり、人の形となった。
「隙をみせたな小娘!」
クケイの背後に初老くらいの魔術師然とした男が現れた。
小汚い小枝のような杖を構えている。
「祝福されし我が同胞の許に送ってやる」
男は杖を振る。
何か魔法がくる。
何故か全てがスローにみえる。
ズキン!
頭痛とは違う衝撃が脳内に響きわたる。
なんだ……?
術者含めここにいる全員がズタズタに斬り裂かれ死ぬビジョンが観えた。
論理的に考えてる暇はない。
これを喰らうのはヤバい。
俺は手癖で魔法を二種、同時発動した。
ヴァトファーシオで杖を吹き飛ばし、麻痺せよで動きを封じる。
既にクケイは姿勢を低くして振り向きざま逆手抜刀の動作に入っている。
淀みのない初動から、跳躍しながら股下から正中線、脳天までを綺麗に斬り上げ、そのまま中空で一回転すると、俺たちの前に着地した。
持ち手を替え正眼に構えて残心。
「あ……く……」
男の口元は一度だけ開いて閉じ、そのまま仰向けに倒れる。
追う様にして男の正中線に切創が現れると、ぱっくりと体が縦に割れ、派手に血が飛び散った。
「ふぇっ!?」
「そこの人たち、何してるんですか!」
鸞子を引き寄せて胸に抱き、呆然として動こうとしない衛兵を叱咤する。
幼い子にこんなショッキングなもの見せたら生涯のトラウマになりかねんわ。
クケイは思い切りの良い血振りしてから納刀し、呼吸を整えて、
「お怪我はありませんか」
「……、」
お怪我してるのはアンタでしょうに。
賊の亡骸は衛兵に任せた。
「放っておいても一日ほどで完治いたしますし、お城の先生方がお暇なら……」
「僕が治します」
「お手を煩わすわけには――――」
「いいから来てください」
感情に任せてクケイの手首を雑に掴み、グェムリッド宮殿の寝室へ。
侍女に湯と大量のタオル、着替えを注文してから、クケイを化粧机の長椅子に座らせる。
「私はあなた様方に仕えさせていただいている身です。いわば奴隷のようなもの。そのようなことをなさってはいけません」
「喋らないでください」
「……、」
何も言わなくなった。
唐突な奴隷宣言にも触れず、彼女の上着と道袍を脱がせる。
姉がオロオロしているので、
「姉上は師匠を呼んできてください」
「うん!」
衣がこすれる度、
「……!」
痛いだろうというのは明らかなのに、目をほんの少し細めるだけで、声もあげない。
痛々しく切り刻まれ、下着に真紅の血が滲んでいる様は芸術的で、美しくすら思えてしまう。
切創は数えきれないほどあった。
頭の天辺から足の爪先まで全身である。
不自然なまで血を流していないのは、血流操作に加えて、自身の穴道を封じているからだろう。
それが余計に痛々しさを強調させている。
「どうしてこんなことに?」
「……、」
傷だらけなのに能面のような表情を崩さず、こちらをじっと見るだけで何も言わない。
守秘義務でもあるのか。
もやもやしながら施療を始めることにした。
「あ、喋ってもいいですよ」
「必要最低限の脈しか通しておりせんので、鎮痛に関わる点穴はお控えください」
自分の事ではないかの如く事務的に報告してくるのとは対照的に、テンパり具合が際立つ。
落ち着くのだ。
指先に魔力を集中させ一つ一つ、Lv3のささやかなる癒しで治していった。
指先から迸る黄緑色の光が傷に触れた瞬間、切創は癒えていく。
俺のささやかなる癒しはクケイのものより優れている。
魔力操作の巧拙の差と言うべきか。
とはいえ、クケイはLv3まで魔法を使える中級者でありながら、武術家としては超一流の域にある。
か弱そうな七、八歳の少女にしかみえないのに。
この子も紛れなく神童だ。
「ふう」
「感謝いたします」
濡らしたタオルで全身を拭く。
「クケイさん」
「おおせのままにいたします」
立ち上がって衣服を着はじめる。
まだ何も言ってないのに……。
「クケイさん?」
「なんでございましょう」
「何か、師匠に危ないことでもさせられているんですか?」
ドロワを穿きながら、
「……お答えしていいかわかりません」
本人が頑なに答えない以上どうしようもない。
何かないかと、言葉を探しているうちに着替え終わってしまった。
「お騒がせしまして申し訳ございません。本日はこれで失礼いたします」
恭しくカーテシーしてから、寝室から出て行こうとする。
訊きたいことは沢山ある。
でも息が詰まったみたいに『行かないで』という言葉がでてこない。
ドアノブに手を掛け、扉を開けたその時。
「おや」
ソフィアが鸞子を抱いて現れた。
鸞子はソフィアの腕の中で眠っていた。
目尻は少し赤みがかっている。
多分ソフィアのところに行った時点で泣いたのだろう。
泣き疲れて、ソフィアの腕の中で眠ってしまったようだ。
いつの頃からか鸞子は、俺の前じゃ泣かないようになっていた。
おそらく姉としての自覚が強くなったのだ。
今でも本当は泣き虫、バレバレなんだけどね。
鸞子を寝かせてから話を聞くことにした。