屋根裏の扉が
「え、エバンズさん!!」
私はそりゃないぜ、と言おうとして、エバンズさんが視線だけで
「ちゃんとお客さんをとってね」
と言ってきたから、味方になってくれる未来を諦めた。キャプテン・シンは相当に金払いのいい客なのだろう。上客と、下働きの女を天秤にかけたら、よほどの事が無い限りは上客の方を優先する。それが世の習いだ。私だって知っている。
そのため私は、機嫌よさげにくつくつと喉で笑ったキャプテン・シンが、上から私を覗き込んで来てこう言うのを受け入れるほか無かった。
「お前の部屋はどっちだ? 千里眼」
「千里を見渡す両目があるなら、私はあなたに見つけられないと思わないのでしょうか」
「そんな口調はお前に似合わない。前のように話せばいいだろう」
私はだんまりを決め込もうかと真剣に考えた。キャプテン・シン以外の人々は、私の一挙一動を面白がっているのか、嫉妬しているのか、関係性を疑っているのか、そんな気配ばっかりだった。
私はじっとキャプテン・シンの方を見上げてから、息を一つ吐き出してこう言った。
「一番せまくて暗くてさみしいのが私の借りている所です」
「お前の価値は見た目では計れないからな」
そう言って、キャプテン・シンが私の肩を抱く。そして部屋に行くぞと無言で促してくる。
これはこの宿屋ではありふれた流れとも言えた。気の合う女の子と、連れだって女の子の部屋に行く。それは懇ろな仲になる事を意味していて、女の子の方にも一応拒否権が多少はある事も意味している。
ここで嫌だと私が突っぱねたら、本当だったら多少は配慮してもらえるのだが……キャプテン・シン相手だと雲行きが怪しかった。
ほかの女の子の中でも、私と同室の女の子達がこそこそと部屋に戻っていこうとするのが視界の隅に映る。出歯亀でもするつもりなのだろうか。やめてくれ。
そう思いながらも、私はじっと動きを待っているキャプテン・シンの方を見上げて、首を一度振って焦りを振り払おうとしつつ、彼に肩を抱かれた状態で、屋根裏部屋に上がっていったのだった。
「お前……前の所以上に待遇が悪くなっていないか」
「……あなたが誰と私を比較しているのか全くわからないのですが」
「言い逃げをして誤魔化そうとしてもそうはいかない。俺はお前を何から何まで覚えている。俺を知らないとは言えない身の上だろう」
「本当に知らないと言っても?」
「じゃあ身体にでも聞いてみるか?」
この期に及んでと言われるかもしれないが、まだ誤魔化せるギリギリかも、と私はあがいた。あがいたが一蹴されて、私は木枠に申し訳程度の布が乗せられている寝台の上に座った。隣に逃がさないと言わんばかりに、キャプテン・シンが座る。きしむ音が生々しい。大変にいやだ。
身体に聞くと言われたら、私は身を固くするしか無い。……キャプテン・シンはものすごく手練手管に長けているのだ。無駄なくらいに長けている。経験値の少ない私が、どろっどろにとかされてぐずぐずになる位の事は朝飯前なのだ。
それをされたら、頭の中身がでろでろになって、隠し通すなんて事は叶わなくなる。
やばいという奴としか言いようが無い。絶体絶命。命かかってないけど。
「……俺は会いたかった」
色気で背中が粟立つような雰囲気を醸し出していたキャプテン・シンが、不意に私の手の方に視線を向けて呟いた後に、再び私の顔を見る。
「お前を忘れた日など一日も無い。何度も俺はお前を取り戻す方法を考え続けていた」
「……そんな事を言われても、私はあなたを……」
「知っているはずだろう。俺の千里眼。嵐を読み船を読み、人の生き死にまで読む女」
そう言って、キャプテン・シンがぐっと距離を詰めてくる。逃げだそうにも初手が遅れて逃げ出せない。私はただ、男が唇を重ねてくるのを受け止めるほか無かった。
「……っ」
深かった。息継ぎが出来ないんじゃ無いかという位深かった。身体が溶けていきそうな接吻であった。
必死に、前の経験を引っ張り出して、鼻呼吸を思い出さなければ窒息していた。
唇が離れたら息も絶え絶えな私を、ぐいと寝台に押し倒して、キャプテン・シンが私を見下ろしている。この男しか、存在が認識できない。周りに聞き耳を立てている同室の女の子達が何人も居るはずなのに、その気配を探れない。
くそ、感覚がおかしくなってやがる。
そう思いつつ、私は……ものすごく眠たくなってきた。
「……どうした」
「ねむい」
「は? この期に及んでなんだそれは」
「ここのところずーっと……寝不足で……眠い……」
「俺が居ながら寝るのかお前は」
「もう勝手にしろ……私は寝る……」
呼吸があやふやになり、一気に眠気と疲れが身体を襲ったのだ。その結果私は大きくあくびをして、……さみいなと思って、キャプテン・シンを引っ張り寄せて抱きついて、目を閉じてしまったのであった。
男の体温は残念なくらいに温かく、ここのところ季節的なあれそれなのか、寒くてたまらなかった寝台の上で、過去一温かい状況になっていた。
「……なんだこの状況は」
周りの音というか濡れ場の音が何一つ無い夜というのも久しぶりで、私はかなりぐっすり寝ていた。そのためぱっと目が覚めて、自分を抱き込んでいるやたらがたいのよい誰かの腕の中にいた現実と向き合うほか無かった。
慣れ親しまざるを得なかったこの体温は……前”パイ恋”で何度も重なった男の体温だ。
「おいおい勘弁してくれっての……」
ぼやいたところでどうにもならない。今は何時だ、そして朝一の仕事をしなければ。洗面器に水をためるための労働が、起きたらすぐに私の仕事だ。
私はそう思って、腕の中から抜け出そうと四苦八苦し……叶わなかった。腕は私が抜け出そうとした途端に、がっちりと抱き込み始めたのだ。起きてんじゃねえだろうな。
しばらくじたばたしていた時である。不意に腕の持ち主の気配が変わって、視線を上に上げると、いい物を見ているという顔で、キャプテン・シンが見下ろしていやがった。
「おはよう」
「ああ、いい朝だな、お前が腕の中にいる」
キャプテン・シンはそう言うやいなや、また私に唇を押し当てる。
それから逃れられず、私は何度も顔やら首やらに唇を受け止める羽目になり、もう勘弁してくれという気分にさせられた。
恥ずかしい。なんなんだこのゲロアマ空気は。こんな空気は私の知らない世界だ。
「……起きたら身支度をして出て行くのがやり方ですよ」
「そうだな、……お前はどこに行こうとしている」
「どこって水くみにですけれど」
「下働きしてるな」
「下働きですから」
「ああ、そうだ。……この傷が有るというのに、俺を知らぬ存ぜぬと言うのは大きな間違いだからな」
キャプテン・シンはそう言うやいなや、私の貫通した痕のある手のひらに口づけた。
「これは俺がつけた傷だ。……忘れたとは言わせないからな」
逃げ場は本気で無い感じだった。
これ以上は誤魔化せない。私は白旗を心の中で揚げて、口を開いた。
「女が逃げるとか思って、阻止して短剣投げてくる男なんて怖すぎじゃないの、シン」




