風呂場の扉が
探知機の修理が終わらず、総務課で勤務する事数ヶ月。総務課の激務にも慣れてきて、私はこのまま総務課でもいいかもしれないと思うようになっていた。
異世界に行かなくて済むので、毎日大浴場の大きな浴槽に体を沈めてあーと言えるし。
ご飯はおいしい日本のご飯だし。
異世界はお風呂事情も現代日本とは大違いの場所ばかりだし、食事も日本の味とは懸け隔てられた味の場所が多い。
地域性という奴も大きいのだが、お風呂と食事に相当な執着を見せる日本人の技術と比べてはいけないという奴なのだろう。
その日も私は、激務で深夜に近い時刻まで、局長やその他の先輩の皆様方とともに、総務課で色々な仕事を行っていた。
人員配置のあれこれの手伝いもしていたのだ。
”プリハイ””パイ恋”という難問二大巨頭が解決した事もあって、人員配置に多少の余裕が出来ているのが最近で、その他の異世界担当の人間を、少し入れ替える事も可能になったのだ。
有休を取りたい人もいれば、指定休をとりたい人も居る。長期休暇が欲しい、日本でしばらく過ごしたいと切望する人も居る。
異世界で長期滞在していれば、皆日本が恋しくなるわけだ。
界渡達は、日本の文明の利器を、絶対に異世界に持って行かない事が絶対の規約であるわけで、中には
「もう火打ち石と火打ち金で火をおこしたくない! マッチかライターが欲しい! チャッカマン最高!」
「ソーラーライトが欲しい。電気が無いってつらい……」
などと、死んだような目で言い出す人達も居るわけで、そう言った人達に日本の文明に触れて正気を取り戻させるのも大事なのだとか。
「探知機の修理が長いな、いつ終わるんだ」
私に直接そう言ってきたのは、とむかしぶ先輩で、彼も数回探知機を壊したクラッシャーだそうだが、こんなに何ヶ月も修理が終わらない事は、経験上ないらしい。
「いくら特別仕様でも、そろそろ直って、異世界に行く順番になっているはずなんだが」
こんな事を言うのはやかぶ先輩で、……後で聞いた話だと
「かがやまちが介入すると、比較的早く”最初の一人”が見つかるから、かがやまちが入る異世界は当たりで、そっちに行きたがる奴も多い」
そんな謎の考えの人がそれなりに出てきているらしい。
私は一生懸命に仕事を全うしているまでの事だが、多分変な物を引き寄せる運の悪さというか、間の悪さとかが、”最初の一人”を見つけるタイミングに全振りされているのだろうと思っている。
私も最初の頃は、ちゃんと探索班に戻らなくてはと思っていたわけだが……探知機がなかなか直って戻ってこない事と、総務課で日本の世界で過ごす便利さがいかに便利かをしみじみ体感した事もあって、探索班に戻りたくないな、と少し思うようになってきてしまったのだ。
五月病に似た感じなのであろう。あれも一気に休暇で緊張その他が抜けてしまって、仕事や学校に行けなくなる病だと誰かに聞いた覚えがある。
そんな事を思いつつも、きっと戻りたくないと言ったら局長が泣いちゃうんだろうなとも思いながら、私は風呂に向かって、いつも通りの格好……そう、”パイ恋”に落ちた時とほぼ同じような格好で、自室から大浴場に向かっていたのだ。
「今日もお風呂に入れるって最高……お風呂のガス代を気にしなくて済む生活って最高」
都市ガスだろうがプロパンだろうが、ガス代という物は場合によっては精神を病む金額になるものなので、自費でそれらを気にしなくて良い生活は最高である。
仕事上がりの風呂は最高。そして一気に飲み干す好きな飲み物も最高。
私はそんな事を考えて、脱衣所で衣類を脱いで、がらりと浴場につながる扉を開けて……開けた、はずだった。
「!!」
開けた扉は大浴場のそれだった。いくら長時間労働をしていても、扉を見間違えるわけも無かった。
だというのに。
開いた扉が、一気に私を引っ張り込んで、全裸で逃げる事もままならない状態で、私は扉の中に飲み込まれていったのだった。
「あなた、入り口で滑るなんて本当にドジなのね、大丈夫?」
「う、うう……」
「あらやだ、男の子? ……ごめんなさい、ちゃんと女の子ね」
飲み込まれて意識がちょっと飛んだ。そして転んだように倒れ込んだ状態で意識がちょっと飛んだので、私は変な場所に倒れていたらしい。
後ろから声をかけられて、痛みを覚えながら起き上がると、綺麗な緑の髪の女性や、ピンクの髪の毛の女性達が、私を見下ろしていた。
現代日本に、こんな不自然でない染まり方をするカラー剤はない。緑の髪もピンクの髪も、地毛である事を照明するように付け根からその色。暗い色の髪の毛を脱色した後に見受けられる、痛みその他が一切無い天然のキラキラカラー頭髪。
そこまで見て取って、私は思いきり引きつった。
ここはどこだ。
「……すみません……今退きますね……」
混乱してパニックに陥ってはならない。全裸山の中サバイバルより、全裸風呂場の方がいくらかまし。そう思いつつ、私は身を起こして、入り口から退いた。
「あなた汗臭いわね、まあだからお風呂に入りに来たんでしょ? 見た事のない人だから、初めての人ね? ここ珍しい、蛇口のあるお風呂場なのよ。使い方を教えてあげる」
起き上がって端に寄った私に、緑の髪の人なつこい女性が声をかけてきてくれた。
ありがたい。情報が手に入れやすいという意味で。
「そうなんです、このお風呂場を使うのははじめてで……」
「総督閣下の優しさで運営されている、大浴場にようこそ。使い方を教えてあげるわ、この持ち手をこうひねると、何とお湯が出てくるのよ! 東の方のお風呂文化と、西の方の魔術文化がこの島で奇跡の大融合を遂げたの」
「そうなんですね……」
緑の髪の女性はニコニコ笑って、蛇口からお湯が出てくる使い方を説明してくれた。
それから
「あなた、ここを使うのがはじめてだから、石けんを入り口で買わなかったのね! 大丈夫、あんまり質のいい物じゃ無いけど、この中にも備え付けの石けんはあるのよ。髪の毛ぎっしぎしになるけど、清潔になれるからいいわよね」
そう緑の髪の女性は親切にしてくれて、とりあえず私は頭を落ち着かせるために、体を身ぎれいにして、髪の毛も洗って、浴槽につかった。
緑の長い髪の毛を、丁寧に丁寧に洗った彼女は、髪の毛を手ぬぐいで包んで湯船に入っている。
「総督閣下は、恋人の故郷のお風呂を真似したってお話があるのよね。ここからとても遠くて、お仕事のある総督閣下はそちらに行けないそうだけれど」
「文明を発展させた方なんですね……」
これって乙ハタ的にアウト案件じゃ無いだろうか。日本の文化を持ち出した誰かがいるのではあるまいか。
仕事病なのか考えた私に、緑の彼女は聞いてくる。
「私はエバンズ。あなたは?」
「ま、マチです」
「そう! マチちゃんっていうのね。私は宿屋エバンズを経営している宿屋の女主人なの。もしもまだ今日の宿が決まってないなら、うちに来てちょうだい。こうして出会ったよしみがあるし、お安くしてあげるわ」
彼女はたくましくそう言ってウインクをした。
私はそんな彼女に曖昧に笑ってから、大真面目にこう思った。
探知機が無いから乙ハタに連絡が取れねえ……どうしよう。




