幕間 不吉は近づく
とある深夜一時半、一人の男が薄いインスタントコーヒーに大量の牛乳を注ぎ込んで、一気に喉の奥に流し込んでいた。
隈の無い目の下、この男は心底本物の規格外だった。
本部局局長は、疲れ果てた頭の中で、久しぶりの休みが明日から始まるとわかっていて、深夜に大浴場で長々と浴槽につかって心底心地よくなった後、食堂に来ていたのだ。
喉の渇きを覚えたからである。そして彼の求めていた物は、大浴場に併設された飲み物売り場では手に入らないし、そもそもこの時間に飲み物等を売る売店は閉まっていた。
彼は相手に声をかけた。顔を見るのは久しぶりだ。仕事の領域が異なる結果とも言える。
仕事の報告は上がっているので、動向は知れるが。
明日から休みとあって、本部局全体が、仕事を一旦中断しているのは、本当に久しぶりの大規模休暇だからだった。
「どうした。お前が夜中にそんな考え込んだ気難しい表情で、好みのコーヒーを飲んでいるなんて珍しいじゃ無いか」
「……ああ、だくおむそいくし。君の顔色からして、今回もなんとかなったってわけだけれども」
相手は、局長が今ではほとんど呼ばれない名前を呼んだ。覚えていたのか。そこに少し驚く。興味のない事はあらかた忘れる男が覚えていたのだから。
「解析班で暴れ回っているお前が、今更そんな表情になる難問の案件なんかあったか?やっと”プリハイ”も”パイ恋”も決着がついたんだ。明日からこの本部局は全員そろっての一時休業だぞ」
「そうだ。それはそうだが、こちら……自分だけだが、難問が一つ残っている」
「お前が難問だという異世界が、ほかにあったか? 何年も最初の一人にたどり着けなかった”プリハイ”も、世界に渡る事自体を封印せざるを得なかった”パイ恋”も片付いたんだぞ」
「そこから戻ってきたかがやまちの探知機の事さ」
「……まだ報告が上がってないぞ。彼女の探知機がどうした」
「まあ、局長まで報告が上がるのはまだ時間がかかるかもしれないわけだったが……見なよ、こいつを」
解析班の怪物はそう言って、何でも入っているポケットから、問題の探知機で有ろう物を取り出した。
それを見て、だくおむそくいしは顔色を変えた。
「おかしくないか。なんでこんな状態に破壊されている?」
「そこなのさ、だくおむそくいし。探索班の所持する探知機は、神の加護が強い物だ。その珍しさから奪われる可能性はあっても、こうも破壊される事は今まで無い。そしてあり得ない」
「……」
「これを破壊したのは”パイ恋”の世界の海賊の男。使用されたのは彼等のよく使う短剣。……探知機の中心部を貫通するわけが無いんだ。普通は」
また喉にコーヒーなのか牛乳なのかわからない物を流し込んで、解析班の最も恐ろしい男は言う。
「これは普通は壊されない。水没しても壊れない。一トンの重さが踏みつけても壊れない。そういう風に作り上げた物が、こうも簡単に壊れている。……何かおかしい。おまけにこれを所持していたかがやまち自身の負傷も異常だと治療班から流れてきた」
「手のひらを貫通した傷だろう。それくらいの怪我は探索班の中でもまれにある物だと青宿まがるから聞いているが」
「傷跡が消えない」
「……なんだって?」
「本来こちらで治療班という神の意志すら宿す人間達が、急ぎ治療した傷は跡が残らない。だというのにかがやまちの手のひらには、貫通した傷が残っている。あちらで急ぎ治療する事になった、あの世界の時のあおやどまがるとは違うんだ。あり得ない事が起きている」
だくおむそくいしは顔が硬い状態になった。……新人のかがやまちは、あり得ないほどの豪運を持ち、サバイバル能力に特化し、そして気配を探知するという驚異的な能力を持った新人だ。
入って半年のうちに、いくつもの世界を救うための重要な行動を取れた新人でもある。
「探知機も繰り返しデータの精密検査を行っている。何がどうして壊れたのかを調べるためのブラックボックスも開けた。と言うのに繰り返しエラーが起きて調べられない。だくおむそくいし、あの世界は何かある」
そう言いつつ、解析班でも最も長く在籍する、局長だくおむそくいしよりもこの世界に居る経験の長い男は、低い声でそう言った。
「しばらく、かがやまちを扉のある部屋に近付けるな。……第六感がそう言っている。だくおむそくいし、かがやまちにそうきっちり通達しろ。あの事件の再来が起きたら、もうしゃれにならん」
あの事件と聞いて、本部局局長は真顔になった。前の局長が退任せざるを得なくなった事件だ。乙ハタで最も問題となった事件とも言える。
「あおやどまがるはどうにか見つけ出し、帰還させる事が出来た。だがそれは、探知機が瀬戸際で作動できたからだ。探知機を所持しない状態でかがやまちが同じ状況になったら目も当てられないぞ」
「お前がそれほど警告するんだ、その可能性が五割以上なんだな?」
「そうだ。頭の中で可能性の積み重ねをいくつかしたところ、五割を超える計算になった」
「……わかった。かがやまちには、手の傷が消えるまでは総務課待機を命じておく。……じょなさと、お前も少しは休め。探知機が気になるのはわかるが、お前の目つきはオーバーヒート手前の時の修羅場の目だ」
解析班で最強の解析を行う、神と冗談を言い合うとすら言われる男が目を瞬かせてから、軽く笑って頷いた。
「了解。……ああ、仕事がないってあの子が言うなら、解析班の手伝いに回してくれる? 細かい雑用はいくら手があっても足りないってのが相場だ」
「わかった」
局長はそう言い、そこで喉の渇きを思い出し、冷蔵庫から清涼飲料水を取り出して、コップに注ぎ数度喉に流し込んだ。
その間に、彼に警告をした男は、壁をすり抜けてどこかに去って行っていた。




