お嬢様にも秘密がありそうです。
扉をノックしてから現れた女性はふくよかな女性で、気の優しそうな顔をしていて、立ち振る舞いは上品である。
この人こそ、私に男爵家のお嬢様と入れ替わって入学して欲しいと頼んできた、乳母の女性だ。
「あら、丈がぴったりですね。もっと詰めなければならないかと思っていましたよ。貴族学校の制服の丈が余っていたりすると、それだけでよからぬ噂を立てることになりますから」
乳母の女性、サリーさんはそう言ってから、自分についてくるように身振りで示した。
「本当に、いきなりのお願いを聞いてくださってありがとうございます。普段滅多な事ではわがままを言わないお嬢様なのに……突然、貴族学校に行きたくないのだと泣き出してしまってから……毎日を泣いて暮らして、食事も喉を通らないご様子で。みるみる痩せ細っていってしまうので、当主様も奥方様も、無論使用人一同もとても心配しているんですよ」
「お嬢様がそんな風になるきっかけが、あったのですか? ……失礼しました、それは私から聞いて良い事ではありませんでしたね」
聞いて、その突然の豹変の仕方から、ちょっとこの男爵家の令嬢さんは怪しいぞ、とポケットの中の機械に手を伸ばして、そのつるっとした手触りを確認した。
しかしこの屋敷内で、オーパーツらしき物は何も見つからないので、微妙なラインという感じだ。
事実私からの報告を待っている解析班の人達からの、私にしか聞こえない指示も、沈黙を保っている。
さて、通りすがりの平民の女の子……本当は二十歳超えている……が貴族のお嬢さんの事情を聞くのはあまりにも、立場をわきまえていない発言だ。
そのため慌てて謝罪したのだが、サリーさんは首を横に振った。
「いきなりこちらの驚くべきお願いを聞いてくださったのですから、そういう事を聞きたくなるのはわかりますよ。しかし、私達もわからないのです。お嬢様はカントリーハウスにいた時からずっと、この王都の貴族学校に入学する日を指折り数えて待ち望んでいらっしゃったはずで……突然の発言をしたあの日だって、学校で使うための髪飾りを注文するために、わざわざタウンハウスに人を呼びつけないで、自分で行くのだと張り切っていらっしゃって」
サリーさんは一緒について行かなかったのだろうか。乳母という人は、貴族令嬢が外に出歩く際には常に一緒にいるような、身を守るための人でもあるのだ。変な噂を立てられないようにするための人とも言える。
乳母とか家庭教師とか、そう言った人が貴族令嬢と行動を共にするのは珍しくもなんともないのだ。
ならば当然、お嬢様だってサリーさんと一緒にいたはずなのに。
サリーさんが原因を知らないというのも不思議だった。
「五分間だけ、お嬢様の髪飾りの注文のために、お嬢様を店のテーブルでお待たせしたのよ。その時に何かあったとしか思えないのだけれど……店の人間にこっそり聞いてみたのだけれど、お嬢様は優雅な所作でお茶を楽しんでいたとだけ言われて」
サリーさんもこれではわからないに違いなかった。
聞いている私の方もわからない。お嬢様は何があってこんなわがままを言い出すのだろう。
私達乙ハタにとっては渡りに船の申し出でも、ここの人達にすれば一大事に違いなかった。
「一体何なのでしょうね」
私は当たり障りの無い発言しか出来ずに、サリーさんが案内するままに一つの部屋に到着した。
「お嬢様、身代わりになってくださる方を連れてきましたよ。こちらのお願いを聞いてくださったのですから、ご挨拶だけでも」
「……わかりました」
サリーさんの扉越しの声に対して、私とは比べものにならない可憐な声が返事をしたので、私は促されるままに中に入った。
そして目を疑いたくなって、この人の身代わりとか到底無理じゃね、と真剣に思った。
「あの、えっと、すみません、発言良いですかね!?」
「どうぞ?」
「なんで私、こんな可憐で華奢ですばらしい美貌のお嬢さんの身代わりになるんですか!? ちょっとまってまってまって!! 美人! 絵の中から飛び出してきたんじゃ無いかという美人! 驚きと感動を覚えるほどの美人!!」
寝台の上に横になっていた彼女は、泣きはらした真っ赤な瞳を除外すると、私が身代わりになるのがおかしいほどの可憐な美少女だったのだ。お肌もつるつる、色白すぎるからかそばかすの散った顔にはかわいらしさが匂い立って、唇はぷるぷる、まつげは長くて瞳は大きく、輪郭は綺麗な形、耳の形まで整っていると言う絶世の美少女だったのだ。
いくつかの世界を渡ってきた私が見た中でも、びっくりレベルの美人さんだった。
「……」
私の渾身の叫びに、お嬢様が目を丸くしてから、言葉の意味がわかったのかくすりと笑った。
「あなた、とっても変わっているのね」
「美人を美人って言う事の何が変わっているんでしょうかね!? この人の身代わり!? え、大丈夫なんですか? 貴族学校にお嬢様のお知り合いがいたら一発で身代わり露見しませんかね!?」
「大丈夫、知り合いの皆様は六歳の頃にカントリーハウスで遊んだきり、お手紙のやりとりしかしていないから」
「……え-」
なんだその信用できない不安要素たっぷりの発言は。
手紙の中身も暗記しなくちゃいけなかったりするのか?
ぐるぐると思考が回っていく中で、お嬢様が言った。
「突然、通りすがりだというのに私達のお願いを聞いてくれてありがとう。……私、どうしても学校に行きたくないの」
「学校に行きたくないという考え自体はありふれていますが、楽しみにしていらしたって聞いてますけど」
「……言えないわ。あなたにも」
「そうですか、ならここでしつこくしても意味がありませんね」
私はあっさりと引き下がった。
ただお嬢様はこういう。
「本当に、ありがとう。私の身代わりになってくれると言ってくれて。入学年齢になっているのに貴族学校に入学しないと、致命的な不具合があると社交界で噂になるから、お父様もお母様も身代わりを捜し回っていたの」
でも身代わりをする人間を発見するのが難しかったのだろう。何故なら。
「この、黒くも茶色にも見える男爵家特有の髪の毛に、よく似た色の髪の毛の同じような年頃の人が、なかなか見つけられなくて……」
そこである。このプリハイに酷似した世界では、この地味色の髪の毛の方が希少価値が高いほどで、皆パステルカラーだったりビビットカラーだったり、鮮やかさ満点な髪色の人が大多数なのだ。
日本人としてありふれた髪色は、そうそう現れない世界観なのである。
男爵家の人達も、この男爵家特有の髪の毛の色に似た髪の人間を探すのは大変だっただろう。
染め粉を使えば良いとか言われるだろうが、この世界の染め粉は色を地味にする物は入手が出来ない。皆鮮やかカラーなので、地味色の需要がないからである。地味色は鮮やかかラーに憧れて染め粉を使うわけだしね。
「乳母やがあなたを見つけられて本当に良かった。……私、学校の近くを通ろうとすると、息も出来なくなるくらいに胸が苦しくなるから、本当に」
そう言って力なく笑った彼女は、本当に体の具合も悪いのか、また寝台の上に体を倒した。
「ごめんなさい、学校に行きたくないと思うようになってから、体の調子も悪い日が多くて……あまり長い時間起き上がってもいられないの」
大丈夫かそれは。と内心で思った私は、この部屋に到着してからのやりとりを、たまごっちもどきで解析班に生中継している。今頃解析班は、お嬢様の発言なども聞いて色々な手元の情報と関連があるか調べているに違いなかった。
「今日からあなたも、このタウンハウスでしばらく暮らす事になるわ。せめて食事のマナーだけでも覚えて欲しいの」
「わかりました」
ありがたい事なのか、異世界の食事マナーはほとんど皆同じなので、ちょっと習ったふりをすればある程度の見られる物にはなる。
それに乙ハタの関係者は神の加護が有るわけで、そう言ったマナーを覚えるのも早くなるという特別スキルも持っているので、激務の一日になったりは、しなさそうな気がしていた。
「本当にありがとう。娘の入学があと一週間と迫っている時に、こんな問題になってしまって本当に困っていたんだ。娘は体調をあっという間に酷く崩してしまったし……あんなに学校に行くのを楽しみにしていた子が、学校に行かないと言い出して倒れて……以来寝台の住人になって。学校に入学取り消しの連絡を入れようにも、娘の症状を聞いた学校が世間になんと発表するか考えると頭が痛いところもあってな」
お嬢様の後に挨拶をした男爵家の家長は、まともな人格の人間らしく、伏せったままの娘の事と彼女の未来を心配していて、彼女の具合が良くなった時の事まで考えている様子だった。
奥方様も
「いきなりの病で……お医者様に見せても異常は無いと首をかしげるばかりで……このままだと、あんなに努力家だった娘が、怠け者のレッテル付きにされそうで。具合の悪い娘に無理に学校に行けなんてとても言えないし、あなたをサリーが見つけてくれて良かったわ」
と言う反応だったので、お嬢様の学校に行きたくないからの倒れて寝込むと言う状況は、本人含めて誰も予想できなかった事なのだろうと推測できた。
ちなみに全員に近付いても、ぴいぴい音は鳴らないので、男爵家は最初の一人でも、転生者を抱えているわけでもなさそうだった。
「あなたには、このネックレスをいつもつけてもらいます。顔の認識がぼんやりしてしまうと言う男爵家秘蔵のネックレスなのよ。そうすれば、娘が回復した後に入れ替わって、徐々に顔の認識がはっきりしていくという段階を踏んでも、顔が違うと怪しまれないですからね」
奥方様はそう言って私にネックレスをかけた。鏡で見る自分の顔の認識すら、怪しく感じるほどの物なので、これはまじもんの秘蔵された一家伝来の秘宝であろう。
というか、顔の認識がバグるネックレスとかの需要ってどこにあったんだろうね。
と思いつつも、これも解析の結果白なので、この世界では存在しうる物なのだろう。
お嬢様、当主様、奥方様に挨拶された私は、与えられた客間を見回して、とりあえずいじめみたいな事は起きなさそうだと判断し、お嬢様らしく見えるように一週間所作をたたき込まれて、入学式に望んだのであった。
あ、休日はちゃんと現代世界に帰った。この世界の神様が、時空の隙間を開けてくれて、この世界では一時間しか経過していなくても、現代世界では二日休日が取れるように世界をいじってくれたので。
神様側からしても、なんとか最初の一人を見つけたいから、こういう特別措置をしてくれたに違いなかった。
……異世界のパンよりも、日本の食パンにマーガリン塗った方がおいしい。
私は食堂の持ち主不明の食パンに、持ち主不明のマーガリンを塗りたくって食べながら、そう思ったのであった。




