幕間 解析班の不思議な人
やっと日本に戻ってきたというのに、私は大浴場にたどり着けない。
もうあちこち汚れてくたびれて疲れて切っていたから、異世界から戻ってきた昨日は、寮の部屋のシャワーを使ったのだ。
そのためゆっくりと足を延ばして、なんて事は望めなかった。
それでも寮の部屋全部に、きちんとお湯が出るシャワーがついているって、結構なすごい事だと思う。
ちなみに洗濯機は共同だった。洗濯機も、探索班の服はかなり汚れる事もあって、かなりハイレベルな洗濯機だった。
ちょっとそこんじょそこらじゃお目にかかれないぞこんなの、と思うような、コインランドリーに設置されていても驚かない奴だ。
そこに、自分の番号を入力し、番号というのは社員番号である……スイッチを押すと洗濯機が動く仕組みである。
とっても便利だが、一人当たり一日に三回までという回数制限がかかっている。
もっとも、皆三回以上使ったりする事は滅多にないから、上限を超えた人というのはいないらしい。
私もたくさんの泥にまみれた衣装を、一度シャワーで流してから、濡れた服を絞って洗濯機を使わせてもらった。
大変に素晴らしいふわふわ具合になったので、これがうれしい。
家が燃えてしまったため、私の手持ちのタオルとかも少ないから、これは後でどこかで仕入れて来なくちゃいけないけれど、明日は休みではないので、保留である。
どこかのホテル並みに、誰でも使っていいリネンがいっぱいあるのは、ここで本当に命とかを削っている人たちに対する、気遣いのような物だろう。
料理自分で作らなきゃいけないけれども。
さてそれは置いておいて、私は迷っている。本当に大浴場が見つからない。
おかしい。この通路をまっすぐのはずなのにどうして……私は何度も通路を見回してみるのだが、ちっとも大浴場にたどり着けない。
困ったな。
そんな事を考えながら私は、踵を返して、元来た道を引き返そうとしたのだけれども。
「なんだなんだ、風呂に行きたいんだろう、こっちだこっち」
死角から声をかけられて、ちょっと大げさに反応してしまった。
「うぎゃわああわ!!」
「おお、愉快愉快。さて若い新人の女の子よ、広い風呂に入りたいのだろう」
声をかけてきたのは、一本道のどこから現れたのか、全く見当がつかない所から、首だけ出てきた異様な人間だった。
顔立ちは割と中性的で、太い黒縁の、どう見ても馬鹿っぽく見えてしまう眼鏡をかけた人だ。
髪の毛はぼさぼさで、それを豚の尻尾のようにくくっている。
「生首が喋った!」
「ああ、体の移動を忘れていた、失敗失敗」
その黒縁眼鏡の生首は、ぐいと前に進んだように見えた。
すると壁から、お化けのように体が現れたのだ。
人体通り抜けとかあり得ない。
ここはオトハタ、なんでもありなのか!?
色々なショックが頭をめぐる中、その黒縁眼鏡の男性は、全身を壁から出して、手を差し出してきた。
「初めまして新人の若い女の子。僕はじょなさと。リンゴが好きだからこんな名前になった解析班でも、結構長く勤めているみょうちきりんだよ」
「解析班の人ですか……」
差し出された手を思わずしっかり握ってしまう。ちゃんと感触があるし体温も高い。お化けじゃない。
その他の物の怪っぽい何かでもなさそうだ。
「長く勤めていると、この中で奇天烈な事を考えてしまってさあ! 壁を全部通り抜けられたら、大浴場に最短距離でたどり着けるんじゃないかと思ったんだ」
「人間は壁ぬけしなくていい!」
「そう? 便利だと思うんだけれどなあ」
「日本じゃ使わなくていい技術です!」
この人相当変な人だぞ……という思いが頭の中をぐるぐるとよぎる。
しかし私の考えている事は気にしないらしく、彼はにこにこと笑いながら、古式ゆかしい洗面器の中に、これまた様式美としか思えない黄色いアヒルさんを何匹も入れて、石鹸とかも持っていた。
「さあ、大浴場に行こう。君は大浴場に行くのが初めてだから、ここでちょっと戸惑ったと見える」
「この前使った時はすぐについたんです」
「そりゃそうだ。何日前?」
「三日以上前です」
「そこだよ。この三日のうちに術式がちょっと変わったから、それは全体掲示板に載せていたんだけれど、君はまだ見ていなかったと見える」
そんな事を言いながら、じょなさと先輩は踵を数回鳴らした。
「ここに案内の丸いシートあるでしょう」
踵を鳴らした彼は、足元を指さす。
指さされたところを見ると、そこには確かに、丸い足跡シートが貼ってあった。
いかにも急に作りました感が満載のシートである。
そこに、
Call Me !
と書かれていた。
呼べとはいかに。
意味が分からない私とは逆に、じょなさと先輩が高らかに言った。
「男女の大浴場、出て来い!」
は。……は!?
意味が分からなさ過ぎて、その横顔を見ていたわたしだったが、いきなり何もない待ったいらなモルタルの床から、ぬうっと見覚えのある大浴場の入り口が現れたのだ。
「上の方がさらに風呂場を新しくするときに、術式をいじらなくちゃいけないのと、業者を呼ばなきゃいけないのが積み重なったから、こうなったんだ。この足元のシートの所じゃないと、大浴場を呼べないから注意してね」
「何という冗談のようなつくり……どこのマジックハウス」
「この世界で一番びっくりな建物だと思うな。あ、お礼はコーヒー牛乳一本でいいからね!」
「え、奢るの前提」
私が突っ込みを入れて、断ろうとする前に、じょなさと先輩はさっさと男性の大浴場の方には行ってしまった。
こうなったらあとを追いかけるわけにはいかないため、もう、こっちもゆっくり大浴場を使わせてもらおう。
そんな事を心に誓い、私も大浴場の中に入って行った。




