暗殺依頼
「シオンとウォレスがタウミエル社に向かう間、これを任せたいの」
さかのぼること1日。ヴィオラは大柄な魔物ハンター――イーノックに依頼状を手渡した。会長やその代理から直々に依頼状を手渡されることは鮮血の夜明団において別段珍しい事ではない。しかし、イーノックが疑ったのはその内容だった。
「会長代理。これは一体どういうことなのですか!?俺にはよくわからんのです。会長を殺せ、という話自体が」
イーノックは言った。
「でしょうね。そう言うと思ったわ。会長は今の鮮血の夜明団にとって害にしかならない。彼は吸血鬼やその原因となった大元の人物と関連があることははっきりしているの。だからつながりを絶つためにまず会長を殺すことになった」
「そんな……」
イーノックはうろたえている。それも当然だ。会長を殺すことが任務として言い渡されることなど経験したこともなかったのだ。
そんなイーノックを見ながらヴィオラが口を開いた。
「イーノック。あなたはいささか純粋すぎる。我々はヒーローでもなければ正義の味方でもない。綺麗な仕事だという観念は早々に捨てなさい」
眼鏡の向こう側から覗くヴィオラの赤い瞳はイーノックを刺すように鋭かった。
確かにヴィオラの言うことはごもっともである。彼女は任務を遂行するためであれば絶対に手段を択ばない。どれほど人が死のうとも、どれほど汚い手段であろうとも彼女は遂行するだろう。イーノックはヴィオラから告げられた任務を受けることにした。
「念のためジューダスを別行動で派遣するわ。さすがにシオンやウォレスを同行させるわけにはいかない」
と、ヴィオラは言った。イーノックもこれには納得がいく様子だった。
シオンとウォレス――特にシオンは仲間だった者を殺すことに対して躊躇するだろう。彼らに会長は殺せない。
依頼状に書いてある詳細によると会長の居場所はパロ支部。イーノックなどの末端構成員には外遊中という情報しか明かされていないが、ヴィオラは会長の居場所も知っていた。
「……怪しい。会長もヴィオラさんも。俺は利用されているのだろうか……?」
会長室を出るときにイーノックはつぶやいた。彼の心に疑念が沸き起こる。だが、イーノックはヴィオラを信じたかった。彼女こそがイーノックの命の恩人だから。
パロの町。イーノックやシオンの住むレムリア大陸の北部の町。人間が住む町としては最北である。ディサイドの町より一足先に冬を迎えようとしているこの町はどこか要塞のようだった。それもそのはず、パロの町は常に魔族の襲撃に脅かされている。
イーノックはそんなパロの町にある鮮血の夜明団の支部に足を踏み入れた。
パロ支部の内部はいたるところに銀製の武器が置かれ、座っている構成員たちは武器の手入れをしていた。ロビーで構成員が談笑する本部とはまるで雰囲気が違っている。
「本部からの来客ということでいいのだろうか。俺はここで魔物ハンターをしているクレイグ・ダァトという者だが」
「はい。会長に急用がありまして。俺はイーノックという者です」
クレイグという男はイーノックに比べると小柄でありながらも堂々とした様子と歴戦の猛者たりうる風格を醸し出している。彼はどこかイーノックを信用していなかったが、それも当然かもしれない。魔族の脅威にさらされ続けるパロ支部の魔物ハンターなのだから。
クレイグは無言でイーノックを奥の部屋に通した。
クレイグの案内した部屋は独房のような部屋だった。入口は一つで窓もない。部屋にはベッドとトイレが置かれているだけの簡素な造りだ。
「さて、イーノック。申し訳ないのだが明日まではここで過ごしてもらおうか。このパロ支部では魔族が人間に紛れることも考えて一見の者は一時的にここに閉じ込めている。悪く思うな」
と、クレイグは言った。
「そう……ですか」
「なんだ?不満でもあるのか?それともお前は魔族なのか?」
クレイグの一言でイーノックはぴくりと反応した。
「念のためだ。お前は魔族と何の関係がある!」
「……俺は魔族に身内を皆殺しにされました。ここに魔族が潜んでいたら俺が何をするのかわからない。それだけは理解をお願いします。仮に俺を信じてくれなければ俺は腹を切りましょう」
その言葉を聞いたクレイグは絶句した。魔族に身内を殺された者はパロ支部にも少なくない。彼らは皆心に闇を抱えており、その顔であればクレイグも見たことはある。
「そうか。なんなら俺が首を落としてやってもいい。ひと思いに殺してやるぞ」
クレイグはそう言うと踵を返してロビーの方へ向かっていった。
その姿を見てイーノックはそっと胸をなでおろした。
(危なかった。会長暗殺がばれれば俺は確実に殺される。とくにあのクレイグという方はベテランの狩人の目をしている……一歩間違えば殺されるのは俺になってしまうだろう)
イーノックの心臓は依然として高まったままだった。
会長は誰も見ていない場所で殺さなければならない。会長には護衛がついている。その護衛が外れたとしても、今度はクレイグがいる。イーノックは初めて同じ魔物ハンターを心底邪魔であると感じていた。
イーノックはもはや闇に堕ちていくしかなかった。
「こんなはずではなかった……俺はシオンやウォレスとともに任務を続けていけると思っていた……。こんな幻想が……」
頭を抱えるイーノック。会長の暗殺という任務はイーノックにとって重すぎた。