僕の大切な友達2
「アーサー? どうしたの?」
自分の声で気付く。
もうすぐ、この夢も、終わるのだ。
きっと僕たちは酒場にいたのだろう。
だけれどもう、記憶の中の酒場はただのにじんだ猥雑な光景でしかなかった。
極彩色。
水の中に手持ちの絵の具をとにかくぶちまけてかき混ぜたみたいな、色鮮やかなだけのぐちゃぐちゃな記憶。
耳朶を打つのはきっと酒場を賑わす冒険者たち。
けれど記憶の中の彼らの声は、かすれ、にじみ、音量も音程も狂っていて、もはやよくわからない生き物のうめき声みたいにしか感じられなかった。
……彼女さえ、僕らの大切な彼女さえ、もう、周囲の景色に溶け込んでその姿は見えない。
だというのに、テーブルの上で肘をつき、疲弊しきったようにうなだれるアーサーの姿だけが、今も鮮やかに記憶にはあった。
「……ん? ああ、ええと……なんの話をしてたんだっけ」
「――――」
音が飛ぶ。記憶が抜け落ちている。
その当時の自分が抱いていた印象を思い出すことで、どうにかそれまでの会話がとるに足りない、他愛のない雑談だったと予想する。
「……やっぱ稼がないといけないよなあ。死活問題だ。いや、俺もそれはわかるんだけどさ……よくわからない依頼を、勢いに乗せられて受けるのはどうかと思うんだ」
「なんの話?」
アーサーの言葉は本当に唐突だった――当時自分が『おどろき』を抱いていたことを思い出し、そう記憶を補完する。
薄れていく記憶の中、アーサーはハッキリと首を横に振り、苦笑を浮かべた。
「いや、悪い。そうじゃない。そうじゃないんだ。ただ……悪い、疲れてるんだと思う」
「――――」
「ああ、わかってる。無理はしてないよ。っていうかまあ、お前らと同じぐらいの無理しか、してない。……なあ、突然で悪いんだけど、田舎に帰るってのは……ああ、そうだ、そうだ。わかってる。今さら帰るってのもな。うん、それは逃避だ。逃避でしかない……ここで先送りするだけじゃなにも解決しないっていうのはわかってるんだ。わかってるんだよ……」
「――――」
「悪い、ちょっと待ってくれ。整理が必要だ。アレは……ああ、そうだ。アレはやった。あとはなにができる? …………ああ、クソ! あとは、あとは……」
「アーサー?」
呼びかけた時、ちょうどギルドの二階から――二階から一階を見下ろせるバルコニーのような構造になっていたと思う。記憶は定かではない――誰かが大きな声をあげた。
その人物の容姿だって、よく思い出せないけれど、立場は思い出せる。
ギルド支部長だ。
「冒険者諸君! 聞いてくれ!」
声は――男性だっただろうか、女性だっただろうか。
もったいつけた役者みたいなしゃべりかたは記憶に残っているのだけれど、その声は男なのか女なのか。
性別にかんする記憶が抜け落ちた景色では、両方の性別の声が重なって思い出される。
「すでに異世界転生者諸君には話したことだが、現地人の貴君らにも、聞いていただきたいことがある! 我らはついに、『異世界人がこの世界に来る理由』を突き止められるかもしれないのだ!」
盛り上がる酒場の喧噪は、無気味な化け物の群れが咆えるような声で思い出される。
ハッキリしない甲高い雑音の波。
その中で、「やめろ」と怖れるようにつぶやくアーサーの声を、僕ははっきり思い出せる。
「我が支部の優秀なる異世界人らにより、古文書にあった『小部屋』が見つかった! 魔術師どもも、神代について研究している学者も、その口の端にのぼらせつつ真実だと信じることのできなかった、世界の根幹を司る『小部屋』が、見つかったのだ!」
「この『小部屋』には、神が住まうとされる」
「我がギルドが魔術協会や学者どもに依頼したところ、特徴、位置は古い書物の通り! そしてそこから感知される膨大な魔力は、まさしく神の領域にいたると言う!」
「どうだね諸君、『神』を見たくはないかね?」
「結構結構! そう、『神』のいます小部屋には、膨大な力がうずまいている。そのぶん、道中のモンスターも強力だ。……だが! 小部屋を開くことができたならば、諸君の望みをすべて叶えられるほどの『力』が手に入る」
「早い者勝ち? そんな小さなことは言わない! なにせ古文書によれば、その『神』は『異世界人召喚』の呪文を創世記からずっと使い続けている、魔力の塊なのだ! 正体は鉱石なのか? はたまた魔導書なのか? あるいは『ヒト』がいるのか? ……謎に包まれた『神』の謎を解き明かしたあかつきには、全員がその恩恵を授かることができるであろう!」
「そこで諸君らに! 異世界人ではない、現地人の諸君らにも、協力をお願いしたい! 該当ダンジョンでモンスターを倒しこの小部屋までのルートを確保し、兵站線を維持し、主力の精鋭を小部屋に――小部屋を守るかつてない最強のモンスター討伐へ送り出す手伝いをしていただきたいのだ!」
「これは、この世界の総力戦である! 冒険心を忘れぬ諸君らには、どうか世界の根幹へといたるためのこの大冒険への協力を、重ねてお願いしたい! ……神の正体をその目で捉える意思のある者は、クエストボードに名前を貼り出しておいてくれたまえ!」
僕らの冒険が始まった、と僕は思った。
彼女もきっと、興奮していたと、思う。……もはや予想することしかできないけれど、僕らはたしかに大冒険での大活躍を求めていたのだから、千載一遇のチャンスが来たのだと、みんなそう感じていたはずなんだ。
ただ、アーサーだけが。
彼だけが、疲弊と恐怖に気も狂わんばかりという様子だった。
「……お前たちは、どうする?」
アーサーが笑う。
取り繕ったような笑顔。
僕は「行こう」と言った。
彼女もきっと、僕に賛成した。
アーサーは――
あきらめたように、笑った。
「だよなあ。……まあ、そうなるよな」
「……アーサー、どうしたの?」
「いや、いい。お前らがここで冒険に行かない確率なんて、万に一つもないんだって、再確認しただけだよ。お前らは絶対にこの冒険に出る。なにをしたって、この冒険に参加するんだ。俺たちはきっと、そういう運命なんだと思う」
「? そうだね。だってこれこそ、アーサーが昔言ってた、『本物の冒険』じゃないか。神へいたる部屋を開くなんて大冒険、一生のうちで今を逃したら二度と行けないよ」
「……そうだな。俺がお前たちを連れて来たんだ。わかってるよ」
彼だけがわかっていた。
僕らは、なにも知らなかった。
……僕らがここで、アーサーしか知らない『なにか』を知っていたら、また行く末は変わったのだろうか?
……まあ、たぶん、変わらなかったのだろう。
そのぐらい、彼はとっくに試していたと思う。