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異世界人喰らい  作者: 稲荷竜
僕の大切な友達
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僕の大切な友達1

「異世界人が多すぎる」



 冒険者ギルドに併設された酒場だった。

 いつでも混み合っていて、多くの人がなんらかの話をしていて、たまにケンカが始まるも必ず誰かが仲裁に入る。

 酒とタバコと与太話、それからナンパに痴話げんか。

 目を閉じれば酒場の光景はすぐにでも思い出せるのに、そこにいた人々の顔はぼやけてよくわからない。騒がしさは今もそばにあるかのように耳朶を打つのに、耳をかたむけても会話の内容はわからず、ただ音が波のように寄せて返すだけ。

 胸が苦しい。

 そこにあるのは濃縮された青春だった。年月を重ねてから思い返す過日の光景は、ただただ胸を締め付ける郷愁だけを伴って襲い来る。


 それは都会の夜の景色。

 十五歳になった僕らは幼い日の約束通り都会に出ていた。

 そして幼い日に思い描いていたのとは違い、あんまりうまくいっていなかった。

 子供のころ、僕らは『生活』をうまく思い描けていなかったんだ。


 僕らには夢があった。

 それは大冒険の末の大活躍だった。

 自分というものには世間に評価されない正しい価値があって、いつかその価値を世間に認めさせるチャンスが来るものだと信じていた。そのチャンスは劇的に、なおかつすぐにでもおとずれるものだと思っていた。


 でも、現実は違った。

 僕らは問題を抱えていた。それは夢の大きさに比べればあまりにもちっぽけな問題で、そのくせいつだって視界のまんなかにちらついて離れない。

 お金だ。

 夢を叶えるための手段として始めたはずの『冒険者』は、いつしか毎日生きるための仕事に変わっていく。

 こんなことはいけない、お金以上に大事なものがきっとあるはずだと思うのだけれど、僕らは簡単なクエストをクリアしてあさってには消え失せるような薄給をもらう時、『また生き延びることができた』と安堵の息をつき、そのたびに現実の厳しさを前に苦笑いで立ち尽くす。


 僕らを殺そうとするのは伝説のモンスターではなく、現実という名前のヤスリだった。

 そいつは拷問みたいにじわじわと全身を削っていくのに、痛みなんかまったく感じない。

 ただ、自分というものが日に日に矮小で無力な存在になっていくのを、外側からなんとなく感じるだけだ。


 その厳しさを前にしても僕らがどうにか笑えたのは、アーサーのお陰だろう。

 当時の僕から見て、アーサーにはなにか『確信』があるように見えた。僕らは行く末に希望を感じなくなっていたけれど、アーサーだけはいつだって自分の歩む道が正しいみたいに笑っていた。

 彼を見ていると、『今が試練の時でここを超えればいずれ明るい未来が拓けているのだ』という希望を持つことができた。



「俺は思うね。仕事のほとんどを異世界人にとられてるから、現地人は安くて簡単な仕事しか回ってこないんだって」



 アーサーは酒の肴によく自分たちの抱えた問題とその原因を語った。

 当時の僕にはそんな彼がずいぶん賢そうに見えたものだったけれど、たぶん、彼女は――ああ、もう、名前さえ思い出せない――問題と原因を突きつけられたところで、なんの意味もないってわかっていたんだろう。



「はいはい。アーサーはほんと、お酒が入ると愚痴を言うわよね。……まあたしかに異世界人が思ったより多いけど……でも、冒険者ギルド側が割のいいクエストをみんな『異世界人限定』にしてるのがよくないとも思うのよね。そのクエストだってまあ、異世界人じゃないと受けられない難易度なのは、わかるし……一概に異世界人のせいだけじゃないっていうか」

「でも、俺たち現地人が割を食ってるのは事実だろ?」

「……そうだけど」



 アーサーは自分が異世界人だと明かしていなかったし、その理由を僕らもたずねなかった。

『言わない』というアーサーの意思を尊重したというのもある。


 ……あとは、わかっていたのだ。

 アーサーはたしかに異世界人だけれど、なんの力もない。

 異世界出身というだけで、強い魔法が使えるわけでも、剣技に優れているわけでもない。

 死ぬようなケガで死にかけたこともあったし、痛そうな攻撃を受ければ普通に痛がる。


 彼は『ずる(チート)』を使うことができない。

 ……僕も彼女もそう思っていたから、彼が『異世界人だ』と明かさないことについて、なにも言わなかったし、触れもしなかった。



「まあ、でも、もうじき……そうだな、七日もすれば、なにか変わると思うぜ」



 これはアーサーの口癖だった。

 七日もすればなにかが変わる。

 ……実際に『七日でなにかが変わった』ことはなかったと思うのだけれど、彼はいつでも七日後に劇的な変化があるのだと言っていた。


 たぶん、明日とか明後日じゃあ現実感がなく、さりとて来月や来年では絶望的すぎる。

 七日というのが、彼にとってちょうどよい期間なのだろう――この当時、僕と彼女はそう思って、彼が『七日』と口にするたび笑っていた。



「好きねえ、七日。なに、ラッキーナンバーかなにかなの?」

「おう。七ってのは縁起がいい数字なんだぜ。三つそろうとコインがジャラジャラ出そうな感じがしないか?」

「なんの話だか。……じゃあ、アーサーの言う七日後の未来を迎えるためにも、明日の仕事を確保しましょうか。アーサーもそれ、最後の一杯になさいよ」

「まあまあ。――――も、飲めよ。さ、一杯」



 音が飛ぶ。

 彼女の名前を思い出せない。彼女の顔を思い出せない。彼女と二人でいた記憶を思い出せない。


 大切な友達だったはずなのに。

 恋い焦がれた人のはずだったのに。

 この当時の僕が希望を持って未来を見据えられたのはアーサーのお陰だったけれど、毎日どうにか心に鞭打って働こうと思えたのは彼女のお陰だったはずなんだ。


 朝、昼、夜。

 なにかが、あった。

 彼女が、なにかをしてくれた。

 彼女のお陰で、僕は活動できた。

 毎日を支えられた――気がする。

 つらい時に励まされた――気がする。

 いや、どうだろう。彼女は『励ます』よりも『尻を叩く』タイプではなかっただろうか? 気が強かったような気がする。でも優しかったような気がする。

 ……ああ、気がするばかりで実態が思い出せない。彼女がどんな人だったのか、記憶が薄れて、どんどん消えていく。


 彼女の存在は、僕の中でどんどんアーサーの付属品になっていく。

 復讐相手を思い出して憎悪を身にたぎらせる時にだけ、かすかに、注意しなければあっさりと流してしまいそうなほどほんのわずかに、彼女の存在を思い出せる。


 僕らはたしかに毎日を生きていた。

 でも、僕の中ではもう、そのころの『毎日』が消えかけている。

 それが悲しいことなのかどうか、僕にはもう、わからない。

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