復讐 閉幕
「やあ、ジル。……ああ、違うな。『よお、ジル』か。……昔の私はどのようなものだったか、今となっては思い出すのもひと苦労だ」
ビルの最上階には広いだけの部屋があった。
天井の高いドーム方の空間。
寒々しい灰色の部屋。
そこには粗末な木製のテーブルと、それを挟むように汚い木製の椅子が二つ、あった。
テーブルの上には安酒と経年により劣化したと思しき木製のジョッキがあって、部屋の主はすでに酒の漏れたジョッキで一杯やっていた。
部屋の主は、老人だった。
骨張った顔。
シワだらけの皮膚。
けれど体躯は立派なもので、年齢こそ重ねているが、衰えている様子はみじんもなかった。
そいつは、少年のような笑顔を浮かべて、ジルを迎え入れる。
たった一人でこの場に来たジルは、首をかしげた。
「……おかしい。この場所にはアーサーがいるはずだ」
「私がアーサーだよ」
老人は言う。
ジルはあっけにとられたような顔で近付き、老人の顔をまじまじと見た。
……けれど、思い出せない。
記憶の中のアーサーは、たしかにこんな顔をしていたような気もするけれど、思い出すことを頭が拒否している。
「ジル、君は――お前は、どうやら、長い時間が流れたことを認識できていないようだ。あれから半世紀ほどが経つ。……まあ、座ってくれ。お前は私を殺しに来たのだろうが、その前に酒を飲みながら話すぐらいはいいだろう?」
「……僕は」
「いや、飲めないのは知っている。お前はもう死体のようだからな。ただ、付き合ってくれてもいいだろう。今回、わざわざ、昔冒険者ギルドで使っていたような椅子と机を用意したんだ。お前のための演出だ。楽しんでくれとは言わないが、たまには私にも、楽しみをくれ」
「……」
ジルは席に着く。
彼の顔には、困惑が浮かんでいた。
「さて、今度はなにを話そうか」
アーサーは言う。
ジルは、その言葉の意味を理解した。
「……僕の襲撃を受けるのは、何回目なんだ?」
「十七度、殺されている。今が十八回目だ」
「……そうか。僕は、お前を殺せなかったんだな」
準備を怠ったつもりはない。
だが、急いてしまったのだろう。
アーサーを十七度殺している。
しかし、アーサーはまだループを繰り返している。
つまりは、そういうことだ。
「まあ、そういうことだ。……ああ、そうだな。せっかくだから、そのへんについての話をしようか」
「……?」
「俺が死んだあと、世界はどうなると思う?」
「……意味がわからないな」
「私……おっと。俺を殺したお前は、この宇宙から消えるのか? それとも、『俺が死んだ世界』がそのまま存続し、私の意識だけが別な世界線で復活するのか? そういう、話だよ」
「その謎を解明してなんになる?」
「なんにもならんさ。人生と同様にな」
「……」
「最近、俺も寿命を意識するようになった」
「……」
「たぶん、俺が寿命で死ぬのは、そう遠くないだろう。……皮肉なことだ。死なないようループを抜け続けることで、肉体的な死が近付くというのはな。おおよそ死ねないと思われていたループ能力者の俺が、ループを脱し続けることにより寿命という『死』に近付いていく」
「……」
「俺は死ぬために生きていたということだ。……どうしてこう、願いっていうものは、願わなくなったとたんに叶う兆しが見え始めるのかな」
「……それは違う。願い続ければ、いつか叶うんだ。願わなければ、叶わない」
「お前は見た目だけじゃなく、心まで若いままのようだ」
「……」
「うらやましいよ。……ああ、そうだな。今となっては笑ってしまうようなことだが……若いころの俺は、なにかを願わなかった時間というものを、持っていなかったように思う」
「そんなに多くの時間、なにを願っていたんだ?」
「そう問われると、少し照れるな。……しょうもない夢だ。一攫千金して楽な暮らしをしたいとか、今の報われない貧乏生活から抜け出して名声を得たいとか……あとは、そうだ。女の子にモテたいなんていう願望もあったかな」
「……アーサーらしい」
「そうか。お前から、俺はそう見えていたのか。……俺から見たお前は、そういう欲望とは無縁に見えたよ」
「僕にだって、欲望はあった」
「……そうだとは思う。だけれど、お前がなにを考えているのか、俺にはついぞわからなかった。昔も――今も」
「……」
「お前はなぜ、俺を殺しに来た?」
「それを今までの十七回、僕は語らなかったのか?」
「聞いたさ。でも、納得できない。だからこうして腰を据えて、じっくり聞いてみたい。今までは話し合いにならなかったからな」
「……僕は、お前に復讐に来た。異世界人からこの世界を取り戻すべく、ここに来た」
「それはでも、お前の中の『神様』の願いだろう? お前自身の願いじゃない」
「どうしてそう言える?」
「問われると困るな。なんとなく、お前はそういうヤツじゃないと思っているから、かな」
「……」
「そんな強い動機で行動するなんて、お前らしくない」
「……」
「ジル、お前の願いはもっとめんどうくさくて、ささやかなものなんじゃないか?」
問いかけるアーサーには、年齢を重ねた者ゆえの、落ち着きがあった。
ジルは――少年のまま年月だけ過ごした彼は、少しまごついて、答える。
「彼女のことを思い出せないんだ」
「……彼女、か」
「そうだ。僕たちといつも一緒だった彼女。……僕たちは、いつでも三人で一緒だった。たぶん、彼女はアーサーのことを好きだったと思うけれど……」
「……ふっ。そうか」
「なにかおかしいか?」
「いや。……誰が誰を好き、とかそういう話題が出てくるあたりに、なんとも言えない若さを感じてな。……いくら口調だけ取り繕っても、やはり私は、とっくに老人のようだ。君の語る若い想いを前に、こそばゆく、懐かしく……そして、遠い景色を見ているような、なんとも言えない寂寥感を覚えるばかりだよ」
「……僕にとっては、大事なことだ。大事な彼女の、覚えておける、数少ない情報だ」
「いや、馬鹿にしたつもりはない。ただ……うらやましいなと、そういう気持ちをおさえきれなかった。すまないね」
「……彼女の気持ちをなんとなく察していたからだと思うけど、僕は、みんなでくだらない夢を語り合うのが好きだった。また、そういう何気ない日常を過ごしたいと思っていた」
「……それで、私を殺しに来た?」
「彼女は死んだ。僕も死んでいる。だから、お前が死ねば、きっと僕の夢は叶う。あの世で、僕たちはまた、くだらない日々を過ごせる」
「あの世? ……その発想は、君のものか? 君に宿った『神』のものか?」
「……」
「ん? そうか、今回、君はまだ、『神が宿っている』という情報を開示していなかったな。前回以降のどれかで言われたんだよ。君があの日、神様と取り引きし、その力を身に宿し、死体のまま動いていると」
「……」
「それにしても――『くだらない日々を過ごしたい』か。……私がループの中で飽いて苦痛に思っていた『何気ない日常』こそ、君が求めていたものだったとはな」
「悪いか」
「それが悪いかどうかは、他者に決めてもらうものではないだろう? 追い求めたものが馬鹿げているのか、馬鹿げていないのかは、己が決めるしかない。……人生はままならない。よりよい生活を送ろうとしたところで、できない場合もある。努力をかかさなくとも、結果が出ないことばかりだ。……その中で追い求めた『自分だけの目標』について、他者から見た意見を聞くことほど、馬鹿げたこともない」
「……」
「ああ、いかん、いかん。……年齢のせいにはしたくないのだけれどね。こうして歳を経ると、どうにもまわりくどくなっていく。昔の私はもっと単純で明快だったはずなのだが」
「……お前は、本当に、アーサーなんだな。僕は、本当に、お前の頭が白髪だらけになるぐらいの年月を死体として生きていたんだな」
「ようやく得心いったかな? ……君視点では、半世紀。私視点では、その半世紀のあいだに、いくつもの『七日間』を繰り返してきたよ。もはや年数を数えるのも馬鹿らしい」
「……」
「さっきした話を覚えているか?」
「さっき?」
「……私が死んだあと、世界はどうなると思う?」
「……」
「私を殺した君のいる世界が続いていくのか、それとも世界自体が消え失せて、また私は七日間をやり直すのか」
「……そんなものは、考えたって意味がない。わかりっこない」
「そうだ。答えはわからない。人生同様に、考えたって考えた成果が出るものではない。……どうにもならんのだよ。だけれど私は、どうにもならないからといって、考えることが無駄だとも思わない」
「……」
「『どうなるか』を見定めろとは言わない。私がたずねたいのは、『どうなってほしい』と君が思っているかだ」
「……どうなってほしい?」
「自分でたどりついたのか、そそのかされたのかは知らんが、『あの世で再会する』なんてことは、きっとない」
「……」
「仮に再会できたとしても、君の望む展開にはならないだろう。……私は年齢を重ねすぎて、若いころのままとはいかない。君は君で、変わり果てすぎている」
「……」
「変わらないのは、ただ死んだ彼女だけだ」
「……お前が、それを言うのか」
「私と君の夢はきっと、永遠に叶わないし、取り戻せることもない。すべては若い日の輝ける思い出で、死のうが生きようが、あのころのままの私たちに戻ることは、絶対にない」
「……」
「不可逆なんだよ。積み重ねたものは、そうやすやすと『なかったこと』にできない。……できたら、楽だったのだがね。私は七日間のループを抜けるたびに、心が、過ごした日数だけ老いていくのを感じていた。疲れ果てて、記憶が混ざって、もう『どれ』が『いつ』のことなのかさえ、あいまいになっていった」
「……僕は、覚えて……」
「君だって、覚えていない。……さっきだったかな。それとも前の周回だったかな。ああ、もう、それさえ定かではないけれど、君は彼女の顔も名前も、思い出せないだろう。それ一つとったって、あのころのままの君じゃない」
「……」
「叶わないよ。――君の夢も、私の願いも」
「……アーサーの願いは、なんなんだ?」
「ジルと同じさ。……いや、きっと君は、私の願いを聞けば、『違う』と言うだろうがね」
「……なんだよ、その、僕と同じで、僕と違う願いっていうのは」
「普通に生きて、普通に死にたかった」
「……」
「運命とか神様とか、異世界とか、そういうものに振り回されずに、ただ、仲のいい君たちと生きて、死にたかったんだ」
「……」
「すべてを手に入れた。私を中心に『境界都市』は作り上げられ、最古参の異世界転生者として、それなりの地位にいる。金もある。暮らしもある。この生涯を不幸だと嘆いたならば、きっと誰にも共感されないだろう」
「……」
「でも、私は死ねなかっただけだ。私の夢は、叶わなかった。そしてもう、叶わない」
「……僕が、お前を殺してやる。そうしたら、なにもかも、幸福に、まるくおさまるんだ」
「今殺されたところで、あのころには戻れない。……ああ、ループだ。ループしている。君とさえ、平行線のまま水掛け論が始まる。もう私のことは、君さえ理解してくれない」
「……」
「ジル、お前は私を殺したあとの、夢の叶わない世界に、どうなってほしい?」
「……」
「十八度目の死を迎える前に、お前の展望だけ、聞いておきたいんだ」
アーサーは笑っていた。
ジルは、しばらく言葉に詰まってから――
「……『殺したあと』?」
「……」
「…………『あと』って、なんだ? お前を殺したら、全部終わりだろう?」
「……そうか。やはりお前は――お前の『神』は、世界のその後なんか、考えていないんだな。喰らうだけ喰らって、あとは知らない、身勝手な破壊神なんだな。小部屋から解放された時と同じように、異世界人の体を使って、体が壊れたら次に乗り換えて、そうして世界を滅ぼすだけの、害悪なんだな」
「……どういうことだ?」
「悲しいことだ。私もお前も、『終わるべき時』に終われなかったらしい。――もう、話したいこともない」
アーサーは立ち上がる。
その左手には、鞘込めされた剣が握られていた。
アーサーが剣を抜き放ち、正面にいるジルへと斬りかかる。
ジルは剣で斬られながら立ち上がり、アーサーの手首をつかんだ。
あとは、呼びだした異世界人が、背中側から、アーサーの首を断った。
はねられた首が宙を舞い、ジルのほうへと落ちてくる。
ジルはそれを受け止め、顔の前に掲げた。
つまらなさそうな、悲しそうな、なんともスッキリしない、仇の死に顔が見えた。
「…………あれ? 終わったのか?」
首をかしげる。
達成感がなかった。
満足感もなかった。
そして――世界は、終わらなかった。
アーサーが死んだ世界で、アーサーを殺し終えたジルは、こうして活動を続けている。
「……困ったな。アーサーを殺したら全部叶うと思っていたのに、叶う気配がない」
幸せだったあのころのように、みんなで話すことができない。
『彼女』はとうに死んでいる。
アーサーも、今、殺した。
だというのに、死んでいるはずの自分が、まだ動いている。
ならば次に殺す相手は明白だ。
ジルは問いかける。
「……僕は、どうしたら死ねるんだ?」
――解。
――我らの使命はこの世界から異世界人を一人残らず駆逐すること。
――それが終わらぬ限り、我らの存在は続く。
無機質な声は告げた。
ジルは「なるほど」とうなずいた。
「じゃあ、あんまり興味もないけれど、仕方ないから、殺そうか」
――否。
――我らのエネルギーは憎悪。
――この世界で生まれ育ち、育った世界を蹂躙された被害者の、正統なる怒り。それこそが我らを動かす力。
――ゆえに漫然と殺害するだけではいけない。恨みを抱かないと。
「そういえば、そうだった。僕らは復讐者だ。……でも、なんのために復讐するんだっけ。別に世界なんかどうだっていいんだけどな、僕は。だって僕は、幸せだったころに戻りたかっただけなんだから」
――殺しまわるうちに、連中を恨む理由も見つかるはず。
「なるほど、そういうものか。たしかに、活動するためには恨みが必要だものな。どうせ殺すんなら、有意義にやったほうがいい。……うん。復讐の理由を復讐しながら見つけるのは、たしかに効率的だ」
――効率的。
――賛同。
――異世界人は駆逐すべき。
――異世界人に味方する者も、殺すべき。
「お前は、この世界の人を守ろうとはしないんだな。この世界のカミサマじゃ、ないのか?」
ジルは問いかける。
無機質なカミは、答えた。
――この世界は純粋でなくなってしまった。
――異世界人は何度も召喚され、この世界の人々の血には異世界人の血がまざっている。
――そんなもの、許せるはずがない。
――この世界を我らの時代のような美しき純粋なるものに戻すために、異世界人も、それに影響されたものも、すべて殺し尽くすべき。
「お前は、なんなんだ?」
ジルは初めて、その質問をした。
彼の中のカミは――
――私は、異世界人に倒された者たち。
――あるいは差別をおこない、異種族を奴隷として虐げた者。
――あるいは異世界人をあなどり、馬鹿にし、しっぺ返しを喰らった者。
――あるいは連中のもたらす変化により立場を失い、新たなる奴隷となった種族。
――異世界人のもたらす、すべての変容において、被害をこうむった者。
――連中が環境を変えたことにより、幸福な人生を歩めなかったすべての者。
――それが、私。
「……」
――駆逐せよ。
――何度でも何度でも呼び出し、そのたびに殺せ。
――思い上がった異世界人に死を。
――異世界の連中を呼び出し尽くし、そのすべてを殺し、この世界にいながら我らは復讐を完遂するのだ。
「僕はあんまり、そういうのはわからないや」
――ならば、これよりは私の復讐。
――我ら『やられ役』が、これより『主役』を駆逐するのだ。
「それで僕らが幸せになれるなら、そうしよう」
契約は再確認された。
死体と、死体に宿ったカミという名の怨念は歩き出す。
部屋を出てビルをくだる。
……建物から出るころには、ずいぶんと、あたりは静かになっていた。
すべての生命が死に絶えたのではないかというほどの、静寂。
けれど、彼にはわかる。――まだいる。
だって異世界人さえいなくなれば死ねるはずなのに、まだ、死ねていないから。
これより始まるのは、ジルにとってはどうでもいい、惰性のような復讐譚。
とうに日差しは陰っている。
明かり一つない世界。
原初の暗闇の中、彼は『境界都市』を出る。
その行く先にはただ、無人の荒野が待つのみだった。




