ある酒場にて
えっ? 黒髪の女にばかりに声をかけているって? ……言われてみればそうかもな。付き合った女は黒か暗い色の髪をしていたな。気付かなかったよ。きっと爺さんのせいだな。
爺さんは小さい頃に父親を事故で亡くして母親と二人で暮らしていたんだけど、ある日遠い親戚の家に行くために乗った乗合馬車が盗賊団に襲われてしまって、その時に爺さんの母親、俺の曾婆さんがひどい怪我をしたらしいんだ。そこは町から遠く離れた山の中で、幼い爺さんが絶望を感じるほどだったんだと。でも通りがかった人が魔術で助けてくれて、それが長い黒髪の若い女だったんだってさ。女は爺さんを励ましながら傷を治すと、すぐにどこかへ行ってしまって。大人になった爺さんは名前も知らない彼女にもう一度会いたくてあちこち探し回ったようだけど、結局見つからなかったって言ってた。本当は秘密にする約束だったらしいけど、その日から70年が過ぎて、自分の寿命も残り少ないってわかっていたから、感謝しているって言葉にして言いたかったんだろう。だから俺もどこかでその彼女に会いたいって思っていたのかもな。ははは、会えるわけがないのに。
ん? 女の特徴? えーと……目が綺麗だったとか、紫とか赤とかどうのこうのとか……あー、覚えてない。
そう言うなよ。爺さんが死んで30年も経っているし、その時俺5、6歳だぜ? その話だって、たった一度、しかも爺さんが死ぬ間際でよく聞き取れなかったしさ。
ユアンみたいだって? ユアンって、ユアン=シールのこと? え、ユアンって男だろ? あ、そっか。顔はわかんないっていうからどっちでもアリだけど――いや、違うな。だってこの話はあの終戦から25年くらい経っているし。まぁユアンが人間じゃないっていうなら若いままかもしれないけど……。どのみち100年以上も前の話だ。その女のこともユアンのことも、本当のことはもうわからないさ。