03.だから人と関わるのは苦手
目の前に困っている人がいたら助けたいとは思う。でも助けてばかりいたら自分の身がもたない。それに今はそれができる状況じゃない。鞄に付けている懐中時計の針は、約束の時間の1時間前を指し示していた。視線は鞄に移る。中には依頼されて作った術符20枚が入っている。
今回の仕事を仲介した商会によると依頼主は貴族らしい。この仕事を請けるにあたり「時間厳守」と「口外無用」をかなりきつく言われていた。あと1時間でその約束の時間になってしまう。12時を過ぎても今日中に行ければまだ何とかなるかも知れない。でも今日行けなければ契約破棄になるだろう。報酬が貰えないのは当然として、製作費として受け取った前金の返金と、最悪は賠償金を請求されるかも知れない。
日々慎ましく(カツカツで)生活しているリーナには前金の返金すら用意できる当てがない。冷たい汗が背筋を流れるような感覚に咄嗟に立ち上がりかける。
「私には――」「実は――」
リーナと老婦人が同時に口を開いた。リーナが口を閉ざすと、老婦人は少年にチラリと視線を寄越し、声を落とした。
3人が乗っていた乗合馬車がこの場所で突然数人の男に襲われた。若い女性である母親が連れて行かれそうになったことで子供が泣きながら暴れ、それに苛立った男の振り上げた刃が子供を庇った母親の身体を深く傷つけてしまったようだ。興が冷めたのか慌てたのか、男たちは馬と金品を奪うとどこかへ逃げたという。
「御者が助けを求めに戻ったけど怪我していたし、どのくらいかかるか……」
溜息を吐いた老婦人の唇の端には血が滲み、左頬が赤く腫れている。少年も髪はボサボサで服には泥や靴の足跡が付いていた。
この付近は人里離れている。御者が助けを呼んで戻ってきたとしてもこの女性が助かるかどうかはわからない。
「娘が、一人いたんだよ」
老婦人がぼそりと呟く。何の話かわからず、リーナは黙って老婦人を見つめた。
「引っ込み思案で大人しくて、でも優しい子でね。ウチの人が亡くなってからは農作業を一緒に手伝ってくれて」
老婦人は皺だらけの手で、横たわる女性の手を慈しむようにさする。
「25歳を過ぎた頃にようやくいい人が見つかって。結婚して子供を授かって――孫は男の子でね。そりゃあ可愛かったよ。でも――」
得意げな表情が一瞬で曇る。
「あの戦争で、3人とも――」
俯いてしまった老婦人の震える声は最後まで聞こえなかった。けれど続く言葉は想像できてしまう。同じく戦争で父親を亡くしているリーナも目を伏せた。
「助けてあげたかった。代わってあげたかった」
涙を流す老婦人は、目の前の親子に亡くした家族を重ねて見ているのだろうか。
「お母さん、死なないで」
そしてリーナは、この少年に自分とを重ねてしまっている。
『命は奪うことはできても、与えることはできない』
あの時そう言って珍しく物憂げな表情になった母は、亡くなった父のことを思い出していたのかもしれない。
「……助けます」
リーナの中でそれ以外の選択肢は消えていた。例え、仕事を放り投げたとしても賠償金を請求されたとしても。例え、寿命が縮むとしても。
リーナは女性の左横へ移動して座り直すと、外套のフードを被った。
「あ。その代わり、これから起こることは内緒にしておいてくださいね」
涙目の老婦人と少年の視線が「何のこと?」と言っていた。