08.鬼が出るか蛇が出るか
朝、目覚めるとすでに昼に近かった。睡眠時間は長かったがまだ疲れが取れていないように感じる。リーナはベッド代わりのソファから重い身体を引き剥がすように起きた。
昨日の乾パンの残りを頬張りながら身支度を済ませる。何かあってもすぐ出られるよう生活必需品などはリュックから出し入れしていたので、片付けも早い。術符製作用の白紙数枚があったので術符にしてから鞄にしまった。
窓から外を伺う。誰かが来て結界に気付くと面倒なのであえて張らなかったが、幸い誰もいない。リーナはいつもの外套を羽織り、リュックを背負うと鞄を肩に掛けた。これが今の自分の全てだった。
部屋の中を見渡す。内装は変えず、特に綺麗にもしないが汚したり傷めたりはしないよう心掛けていたので状態は1年前とほぼ変わっていない。
「お世話になりました」
慣れ始めた部屋に別れを告げ、リーナは振り返ることなく歩き出した。
住む家がなくなったことで吹っ切れたリーナは大きな町へ行って仕事を探すと決めた。昨日行ったアタキヤは小さな田舎町で、あの商会を通してしか仕事を貰えない。依頼数も少なく、短期間でお金を稼ぐことはできない。20日間で40万を稼ぐために遠くの町へ行ったりあちこち回ったりすることは時間の無駄だ。行くべき町は1つしかない。背に腹は代えらず、リーナは重い足取りで向かった。
2日後、リーナはベオルーゼ王国の東に位置する王都ルゼリオルドに着いた。王都は先の戦災を免れており、歴史的な建造物も数多く残っていた。百年前に建造されたという城壁に囲まれた都市の入り口を抜けると石造りの建物が整然と並んでいる。街灯や道路は整備され、商店街や住居地が見渡す限りに広がっている。活気に溢れた賑わいは今まで静かな森で暮らしていたリーナには少しうるさいと感じるほどだ。
視線を上げると小高い丘の上に建つ一段と高い城壁に囲まれた大きな城が見えた。町の喧噪が嘘のように静かに佇む王城をリーナはしばらく眺めていたが、見ていたところでどうにもならないので、差し迫った現実に向き合った。
商店街を歩くとすぐに仕事の斡旋所が見つかった。王都の人の多さに辟易していたがその分依頼も多く仕事内容はいろいろあったが、相場は地方とそれほど差はなかった。魔術士資格が最低のFランクであるリーナが請けられる仕事は薬草集めがほとんどで、報酬は1日で3000程度だ。比較的高額な魔獣狩りは危険が伴うためEランク以上しか請けられない。
頼りにしていた術符作成依頼はなかった。受付に聞いてみると、一昨日まではあったが今はないとのことだった。依頼もなく売ろうとしても買い取ってくれるアテもない。路上で売るには許可申請したり場所代も払ったりしなくてはいけない。そこまでして露天を出しても、見ず知らずの魔術士が作った術符を信頼して買う人は少ない。
身体が急に重たく感じ、つい溜息が漏れる。憐れに思ったのか、受付の女性が他の斡旋所をいくつか教えてくれた。忘れないようメモを取り礼を言うと再び歩き出した。昼食を取ることも忘れ、教えて貰った場所へ立ち寄っては食い入るように依頼を探したが、リーナが請けられそうな依頼は見つけられずにいた。
青空が赤く染まり始めた頃、教えてもらったところは残りあと一つとなった。最後の場所は斡旋所ではなく酒場で、そこの主人は有名な情報屋だという。斡旋はされないだろうが何か仕事の情報はあるかもしれない、と受付の女性は言っていた。聞いた店名とその話に躊躇したものの、藁にもすがる思いのリーナは覚悟を決めて細い路地へ踏み出した。
裏通りは大通りの広く明るい雰囲気が嘘のように薄暗く静かだった。建物と建物の隙間のような狭く細い道は妙な圧迫感を覚え、誰もいないのに何となく視線を感じてしまう。周囲を警戒しながらも進んで行くと、突き当たりに年季の入った看板を見つけた。掠れた文字で『逢魔が時』と掲げられた看板のその下にある古い木の扉は固く閉ざされている。薄暗くなった今の時刻がそうであり、この扉には何か恐ろしいものが封印されているようにも思えてくる。しかしもう後がないリーナは、深呼吸をすると冷たい金属の取っ手に手をかけた。
重い扉を身体全体で押し開けると頭上で鈴のような金属音が鳴った。来客を告げる音が響く薄暗い店内に客の姿はなく、微かに煙草の薫りが漂っているだけだった。店の中は思いのほか広く、4人が座れる円卓がいくつか並ぶ奥には上へと続く階段もあった。
「いらっしゃい」
艶っぽいハスキーな声に驚き顔を向けると、カウンターの中で煙管をくゆらせる人物と目が合った。咄嗟に会釈したリーナに、左目に黒革の眼帯を着け、長い髪をまとめ上げた美人は微笑みかえした。
「お好きな席へどうぞ」




