第九十ノ世界:兄弟達の戯れ
蜘蛛切丸は壁に寄りかかっていた村正に向かって走った。村正の目の前で勢い良く止まると、彼の顔を覆っている白い布が揺れた。突然、走ってきた蜘蛛切丸に村正はキョトンとしていたが、その慌て様に微笑ましそうに笑った。その後にその様子を見ていた祢々切丸が柔らかく笑いながら続く。村正は二人がなにをしに来たのだろと思う反面、匡華の思惑や二人の思いがなんとなくわかっていた。
「兄さん、なんかあったか?」
開口一番、蜘蛛切丸がそう問った。その問いに村正はそういう事か、と納得し、軽く瞳を閉じた。
「何故、とあえて聞きましょう」
「だって、あの時、きみの様子が変だってぼくたち気がついたでしょ?忘れた?能力越しでも、兄弟は揃ってるんだから」
「ちゃんと話聞くって言ったもんな。約束…ってほどでもなかったけど」
村正の問いに祢々切丸は優しそうな笑みを浮かべ、蜘蛛切丸は両手を頭の後ろで組みながらニヒルに笑った。それに村正は目を一瞬見開き、そして軽くため息をついた。嗚呼、本当に匡華と同じ。あんた達には敵わない。祢々切丸と蜘蛛切丸は村正がその話をするのを急かす事なく、ただただ待った。暫く時間があいた。村正にしてみれば、長い時間が経ったような感覚だった。視界が霞む。震える唇から、少し掠れた声で村正が云う。
「……此処で、友人ができたんです、初めての。何故か、とても親近感があった…」
親近感があった鳳嶺と、祢々切丸と蜘蛛切丸と一緒にいる時のような楽しい気持ちになれた事。もう一人の友人、千早と匡華が花を飛ばしながら微笑ましくお喋りをする隣で、自分達も戯いもない会話で盛り上がった事。殺し合いで互いに背中を預けて、戦った事。軽口を叩いて、笑い合った事。酒盛りをし、互いの特技を見せ合った事。休息時間には四人で作戦を立てたり、匡華が好む紅茶を飲んだりした事。勝った時の、代表者を殺した時の感情を共有した事。そして、疑心に苛まれ、一時期的に敵対した事。仲直りをし、絆を深められたと感じた事。その時、本当の、友人になれた気がした事。能力を受け継いだ事。そして……友人達の死。思い出せば出すほど、千早と鳳嶺との思い出は走馬灯のように村正の脳内を駆け巡って行く。しかし、その思い出を口にするたびにその走馬灯は蝋燭の炎を消すかのように、儚く消えていく。もうそこに、此処にあの二人がいない事を実感させるようで。二人が消えていくようで。村正の目尻にはいつの間にか涙が溜まっていた。だが、それに気づいていないのは当の本人だけで。二人は、村正の話をゆっくりと聞いていた。まるで自分達を救ってくれた匡華のように。支離滅裂になりつつある村正の話を聞いた。
「………悲しいです、ね。悲しいです」
そう村正が震える声で言った。その途端、彼の瞳から涙が零れ落ちた。蜘蛛切丸がギュッと村正に抱きついた。違う世界にいても、能力越しでも感じる暖かさに村正は動きを止める。
「蜘蛛…?」
「悲しいよな。オレも、もし兄さんや兄貴がいなくなったら悲しいよ。でも、でもよ兄さん。それが、普通だ。悲しいのは普通なんだよ……ちゃんと泣いたか?きっと、我慢してんだろ?」
蜘蛛切丸が村正を見上げ、だろ?と首を傾げる。村正の肩をポンッと祢々切丸が叩く。村正がそちらを見ると彼は優しい笑みで言った。
「匡華が言ってたよね。泣きたい時は泣けって。だから、泣けば?気持ちはわかる。同じ血を持つ兄弟だもの…」
村正の視界が涙が滲んで行く。兄弟の優しさに触れて。匡華は恐らく、村正が起きた時の会話から二人にも話を聞いてもらった方が良いと考えたのだろう。能力の受け継ぎの副作用で倒れ、過去を見た。普通ならばあり得ない事の連続を経験したためか、村正の目からは二人の虫の息の時あんなに流れた涙が、起きた時は出なかった。枯れ果てたからだと思った。悲しみを乗り越えたからだと思った。けれど、そうではなかった。我慢していたのだ。信用している匡華に話せば、村正はきっと今のように悲しいを吐き出せる。けれど、今、彼女は次の行動に出るための情報が必要だった。そして彼女は、村正が一番安心している二人を選んだ。そんな匡華の気遣い、優しさにも村正は感服し、嬉しかった。
チラリと覗き見た匡華は伽爛と話していたが、村正と視線が合うと告げた。「大丈夫、泣いて良いよ」と。嗚呼、本当に匡華にも二人にも敵わない。
村正の瞳から我慢していた涙が溢れだす。今まで何処にあったのだろうと云うほどの水色の涙が止めなく、流れ落ちる。村正は、頬を伝う涙を指先で拭い、そして片手で顔を覆った。嗚呼、涙を僕は流せたんですか……頭を軽く、壁につけ、そのまま顔を俯かせ、前屈みになる。指と指の隙間から涙が零れ落ちる。祢々切丸はそんな彼の背中を優しくさすり、蜘蛛切丸は兄達の真似事のように少し背伸びをして優しく頭を撫でる。その行為に、「あの時」感じた優しさと暖かさが蘇る。能力越しでも、二人は此処にいる。今、自分達は、一緒にいる。三人でいつも一緒にいた。「あの時」は三人一緒にいれば、大丈夫な気がした。
嗚咽を軽くもらしながら、村正はその涙を吐き出した。ずっと。時間が経っていたにも関わらず、涙は止まらない。もう一度、いや、初めて流そう。亡くなった友人達のために。自分の気持ちのために。流れ出る涙と共に村正は、悲しみを吐き出す。思い出が、蝋燭の炎のように儚く消えていく感覚は、もうそこにはなかった。
この頃、兄弟が可愛い過ぎてツラい…はい、関係ないですねすいません




