第五十六ノ世界:その色の名前は、
「ったく、獲物に逃げられちまったなぁ」
カインは心底残念だ、と言わんばかりに言うとソファーにどかっと座った。そんな兄を見ながらアベルは両手に特効薬を持って、そちらへ向かう。二人は匡華達に逃げられたため部屋に戻って来ていた。怪我を治すためと休息するため。もちろんそれは、カイン自身ではなく、アベル自身である。
「兄さん、はいこれ」
アベルはソファーに座った兄に特効薬の小瓶を差し出した。それを兄は柔らかい表情を浮かべながら受け取った。殺し合い中には絶対に見せないその顔が、アベルには憎らしかった。途端に心の奥から沸き上がる憎悪と怒り。アベルはそれに逆らう事なく、垂れ下がっていた両腕を伸ばした。
カランッ!と小瓶がカーペットが敷かれた床に転がり、中身の液体がカーペットにシミを作って行く。
「(もったいねぇ…)」
カインは大きなシミを作って行く小瓶を横目に見てそう思った。目の前からおぞましいほどに伝わってくる殺気と憎悪、怒り。カインはそれらに興奮したようにフッと小さく笑った。首にかかる華奢な指。カインの目の前にいるのは兄を殺さんと瞳に怒りを宿すアベルだった。アベルは抵抗しない兄に苛立ちを感じ、首にかけている指に力を籠めた。だが、カインはそれでも呻く事も抵抗する事もしない。「優しく」自分を見つめかえすだけで。それが、とっても腹立たしいよ兄さん。
「なんで、なんであたしを"こんな風"にした?!殺せばよかったのに、何故生かした?!」
怒りのままに吠える。俯き加減で叫んだアベルに降り注ぐ眼差しは兄が自分に向ける愛情だけで。アベルは俯きながら混乱していた。いつも、いつもだ。なんで混乱するの?兄さんを憎んでいるのに、兄さんだって、あたしを憎んでいるのに!
そんなアベルの心情などいぞ知らず、カインはさぞ当たり前に返す。
「だって、キサマはオレ様の"弟"だろぉ?殺すわけねーだろぉー?例え、憎んでいたとしても」
カインの瞳が細くなり、狂気が漂う。アベルがビクリと恐怖で痙攣するとカインは口が裂けるのではないかと思われるほどに口角を上げて笑った。
「それに、キサマを殺すのはこのオレ様だ。そのためにキサマを"そんな風"にしたんだからなぁ」
アベルに優しくも、狂気的な笑みを浮かべながらカインは言う。アベルは顔を歪めて首から手を名残惜しそうに外した。カインの首にはアベルの手痕がくっきりと残っていた。よく見ればその下には薄くなった別の手痕。カインはニィと笑いながら、アベルの手痕を愛おしそうに触った。その行為がアベルにはわからない。いや、分かりたくもない。
アベルは落ちた小瓶を拾うと中身を確認する。ほんのちょっぴりしか残っていない特効薬を飲み干すとにっこりと笑ってカインを振り返った。ピリピリとした、いつ切れても可笑しくない糸が張りつめている。
「新しいの持ってくるね」
そう言ってアベルは彼に背を向けた。自分に向けられた優しい眼差しから逃れるように。
ノア・アベルは兄ノア・カインの能力の被害者である。被害の内容は、「カインが死ぬまで死ねない事」、そして「男から女に変わった事」である。
ある日、兄はアベルを一度殺しかけ、そして能力で女に性を変えた。いや、一度死んだから性が変わった。以前から兄さんは殺戮好きな人格破綻者で、でもそんな兄さんをあたしは愛してた。けれど、殺され、こんな体に作り替えられて、憎悪が浮かび上がった。兄さんを殺したい。あたしを「こんな風」にした兄さんが憎い。敬愛してた兄さんなんかじゃない、殺戮者、大嫌い!でも、それでも、恨んでいても憎んでいても、兄さんを愛してるあたしがいる。ねぇ、本当のあたしの感情はどっちなの?
新しい特効薬の小瓶を両手で割れんばかりに握り締めながら、アベルは悲しいのか、憎いのか、愛しいのか、複雑な表情を浮かべていた。その瞳から溢れ落ちた一筋の涙の意味は、アベルもカインも分かるはずない。いや、分からないのだ、きっと。
…*…*…
「そう云えば、君達の名前を聞いてなかったよね?聞いても良いかい?」
伽爛がそう聞くと少年と青年は顔を見合わせた。少年は良いのか、肩を竦めているが青年は少し迷っているらしく、顔を歪めている。そしてなにやらぶつぶつと呟き始め、その表情が視線で人一人を殺せそうなほどに恐ろしくて伽爛は思わず、ビックゥと跳び跳ねた。それに少年がクスリと笑い、懐から煙管を取り出した。驚く伽爛を横目に彼は煙管に火を付け、吸い始めた。
「え、えええ?!ちょっ、君、未成年でしょ?!駄目だよ?!」
「蜘蛛は未成年じゃないよ。見た目はそうだけど」
青年が慌てたように少年に声をかけている伽爛に一刀両断した。その言葉に伽爛は、は?と怪訝そうな表情をした。未成年じゃない?見た目は未成年なのに?つまり、成人済みだけど童顔のせいで未成年に見えるって事?
伽爛がそう考え込んでいると少年が煙管から口を離し、ケラケラ笑いながら言う。
「兄貴の言ってる事は合ってるちゃあ合ってるよなー普通の人間ならば、オレはアンタの言う通り、未成年で合ってるだろうな」
「普通の人間ならば」。その言葉が引っ掛かり、伽爛は再び怪訝そうに首を傾げた。少年は軽く煙を吐き出すと再び煙管を吸う。と、青年が少年に視線を投げ掛けた。それに少年が頷く。伽爛は何が起こるのだろうとヒヤヒヤした。が、そんな心情など意味はなかった。いまだに煙管を吸っている少年が伽爛に言う。
「能力使う準備しておいた方がいいぜ」
「うぇ?」
「ハハ、変な声ー」
呆けたような変な声が出た。少年に言われて恥ずかしくなり、ハッと口を押さえた。それに少年と青年が柔らかく笑った。その笑みに伽爛は嬉しくなり、口元を押さえたまま笑った。煙管を吸ったまま、少年はニヒルに笑った。その笑みがなんだか少し子供っぽさを含んでいて親しみ深い。
「オレは蜘蛛切丸。兄さんみたいに本名じゃなくて通称。なげぇから、匡華も兄さんも兄貴も蜘蛛って呼ぶんだー」
クルクルと煙管を手首の上で弄びながら少年、蜘蛛切丸が言い、彼は青年に視線を投げた。
少年、蜘蛛切丸は蜂蜜色のショートで瞳は朱に近い赤色。顔に左半分を覆う布をしている。服はダークグレーのVネックの七分丈カットソーで、その上に薄雲鼠色のジャケットを着ている。Vネックの間に髪と同じ色の小さな球体が付いたネックレスを付け、両手には指先が出る黒の手袋。その爪は黒く塗られている。ベルトを斜めに付け、下は膝上の少し薄い灰色のズボン。靴は膝下の紺鼠色のブーツ。
「祢々切丸。同じく通称で、祢々って呼ばれてる…そんなに怪訝そうな表情するなら、能力使ってみて?」
青年、祢々切丸は水色のセミロングでこめかみの髪が細い。瞳は赤と朱の間の色。左耳に三つ球体が連なった髪と同じ色のイヤリング。服は白のVネックの七分丈カットソーで首には髪と同じ色の小さな球体が付いたネックレス。上に袖口が大きく広がったロングコートを着、肩口と袖が離れており肌が見える。肩口の服と袖は黒い布と色とりどりのビーズで繋がられている。爪は黒く塗られている。下はベージュの長ズボンで右足の中間辺りに黒い布を結びつけ、黒のブーツ。ブーツの大半はズボンに隠れている。
二人の自己紹介に伽爛は些か混乱していたが、青年の悪戯っ子の笑みに後押しされ、『鑑定』を発動させる。すると、村正と同じように名前がぐちゃぐちゃになっており、通称とあった。ん?あれ?伽爛はふと気になった事があり、彼ら二人の腰にある物に緑色に染まった視界を向けた。ピコンッ!と少し甲高い可愛らしい音を立てて、ある物の所に吹き出しが現れる。そこに書かれていたのは匡華と村正の、いや村正の時と同じ情報で。正確に云えば、全てがほとんど同じ情報。ぐちゃぐちゃになった名前も、表示されそうでされない情報も。村正の情報では通称の由来は持っている武器にあった。それは、この二人も例外ではない。この三人の通称の由来は、持っている武器そのもの。つまりは……その事に伽爛は目を見開くと共に再度、覚悟を決めた。
「生まれた時から、その姿。通称の名前…それって……」
「そっ。人によっては化物とも云うけど、オレらはそんなんじゃない。"特殊"なだけ。だろ?伽爛さん?」
煙管をふかしながら言う彼に伽爛はそうだねと微笑んだ。紫煙を吐き出す蜘蛛切丸の声は威厳がありながら、少し震えていた。その意味さえ、伽爛には手に取るように分かってしまって。
確かに、能力で視た限りでは「特殊」で間違いない。だが、「特殊」であり、「特別」。それが、彼らの過去。伽爛が導き出したその答えも、同じ。
伽爛の真剣な表情に祢々切丸は力強く頷くと地面に置いた球体に近づき、刃物、大太刀の切っ先を当てた。球体がピキリと音を立て、微かにヒビが入った。その音に蜘蛛切丸が一瞬、怯えたようにビクリと痙攣した。それに気づいた伽爛が彼を安心させるように優しく頭を撫でる。すると、安心したのか伽爛を見上げた。
「大丈夫だよ蜘蛛くん。私は、逃げないから……祢々くん、やっちゃって?」
穏やかな笑みを浮かべながら、伽爛は祢々切丸に言う。彼も少し怯えたような表情を一瞬、していたが伽爛の言葉で吹っ切れたようだった。祢々切丸は柄をしっかりと握り締め、球体に視線を向ける。刃物に水色の光が美しく舞い始める。粒子とも違うその美しさに伽爛は一瞬心を奪われた。
「『観察』・対象:過去……観察開始」
腕を振り上げ、球体に向かって刃物を振り下ろした。途端、パリンと音を立て球体が砕け散る。球体の破片は、球体から放たれた緑の光、赤い光、茶色の光、黄色い光、青い光、美しい白の光と深い黒い光と共に美しく舞い踊り、最初に祢々切丸を包み込んだ。水色の光も祢々切丸を優しく包み込んだ。そして、伽爛と蜘蛛切丸をも包み込んだ。その何色も合わさり、不思議な色に変化した美しい舞に目を細目ながら、伽爛は呟いた。
「こんにちは、真実」
やっと二人出せたぁああああ!!頑張ったよ容姿……




