第三十ノ世界:咲いた紅い一輪
突然、青年の視界がずれた。いや、正確に言えば自分が宙に浮いているのだ。青年は訳も分からぬまま手元を斬りつけられ、痛みに脇差を放してしまった。放してしまった脇差と共にもう一人の青年の方へ体が飛ぶ。もう一人の青年は心底驚いたようで何も出来ぬまま、彼を受け止め、そのまま天井にぶつかると床に落ち、何度かバウンドした。
それを見届けた後、村正はフゥと息を吐いた。と、目の前にトンと軽やかに音を立てながら匡華が現れた。匡華は村正が無事である事に安心したのか、殺気立っていた表情が緩んだ。しかし、村正の怪我に気づいたのか再び表情が固くなった。
「村正、遅れてすまない」
「いえ、そんな事ありません匡華。ありがとうございます」
にっこりと村正が笑うと匡華も笑った。信頼しているから、信じていたから。チラリと匡華が村正の刀を見やった。それに村正は嗚呼、と今思い出したかのように頷いた。村正も匡華の小太刀を見た。それに匡華も頷き返した。匡華の小太刀には赤黒い血のような色をした透明な小さな蝶が舞っていた。
「使おうとしていました。匡華は…使ってしまったようですね」
「ふふ、残念がる事ではないよ村正。貴方のために使ったんだ。それで相手に弱点を付かれたとしても苦でもない」
「………まったく」
匡華の頼もしい答えに村正は嬉しそうに微笑んだ。が少し匡華の答えに呆れたような表情も混ざっていた。嗚呼でも、嬉しい。二人は笑い合うと床に倒れこんだ青年達に向けて武器を構えた。
「痛……」
青年が頭を押さえながら起き上がると自分を受け止めた彼に向かって慌てた様子で叫んだ。
「樹丸?!大丈夫ですか?!」
「ったく、耳元で叫ぶんじゃねぇぜ……」
もう一人の青年は五月蝿そうに耳を押さえて不機嫌そうだ。それに青年はホッと胸を撫で下ろした。そして、彼から退けようとした時、ドロッとしたものが手についた。なんだろうと手のひらをこちらに向ける。紅い、真っ赤な
「血…」
一瞬、血に意識が飛んだが急いで立ち上がるともう一人の青年を起こしにかかる。彼の腹辺りの服が赤く染まっていた。つまりは。言わなくても分かる。そして二人は視線を村正がいるであろう方へ向けた。そこには匡華もいる。両者、睨み合い、匡華が素早く跳躍した。匡華は大きく跳躍し、天井に足をつけると力強く蹴り青年に向けて小太刀を上段から振り下ろした。それをかわし、青年ともう一人の青年が武器を匡華に向けて振る。脇差二振りを小太刀で、短刀二振りを左足の踵で防ぐ。まさかの防ぎ方に呆気にとられる二人をグルンと回って弾く。ともう一人青年の方に村正が迫ると刀を振った。もう一人の青年は片足を振り上げ、村正の刀を弾く。ガキン、と甲高い音と共にビィンと気の抜けた音がし、天井に刀が突き刺さった。村正がヤバいと唇を噛み締める反面、もう一人の青年はニィと勝利の笑みを浮かべる。短刀を振り、村正を追い詰める。それらを冷静にかわしていく村正。と、突然、もう一人の青年が消えた。そして、目の前に現れた。意地悪な笑みを浮かべながら二振りの短刀を左右から村正の首筋目掛けて挟み撃ちした。村正も、嗤った。もう一人の青年が最後の抵抗で笑っているのだと容易に考えながらも、胸中では嫌な予感が渦巻いていた。そして、その予感は当たる。村正がパチンと指を鳴らすと天井に突き刺さっていた刀が勝手に抜け、もう一人の青年の頬を切り裂き、村正の手中に収まった。村正は驚くもう一人の青年に隙を与える間もなく、戻って来た刀を振り抜いた。胸辺りに横一線。もう一人の青年は胸元の服を握り締めながら、一旦後退する。そのまま追撃しようと村正が後を追う。もう一人の青年はヒクリと口の端を痙攣させた。重い追撃を短刀で防ぎながら吐き捨てるように叫ぶ。
「なんだよその武器はっ?!」
「ふふ、驚いている暇はありませんよ」
匡華は青年の左の脇差目掛けて小太刀を振った。それを青年は脇差をクルリと回転させ、匡華の一撃を防ぐとブンッと力強く振り抜いた。弾かれて後退する匡華に向かって青年は懐に一蹴りで迫ると両の脇差を振った。が、それを自分と脇差の間に滑り込ませる。ギギギと力任せに青年が匡華に向かって押し込む。匡華は苦痛に顔を歪ませた。胸元が圧迫される。だが、匡華は小太刀の柄を握り締めた。赤黒い血のような蝶が刃から青年の方へとおどけるように踊った。その蝶は小太刀の刃から匡華の腕へと蛇のように巻き付く。刃に残ったのは微かな蝶の片鱗。目の前で起きた一種の不気味な光景に青年は眉をひそめた。匡華はニィと笑う。
「さあ、反撃開始だ」
「!?」
ガンッと匡華は小太刀を振り上げた。突然の事に青年は驚いたように後退に反れた。そこに態勢を整える間を与える事なく小太刀を突き刺した。その刃と腕を軽やかに舞う蝶は美しくも恐ろしげで見惚れてしまう。実際、青年もそうだった。匡華は何故か小太刀を引き、クルリと踊るように回る。匡華の背後には壁。それに気づいた青年はまさか、と思った。その表情に気づいたのか匡華が口角を上げて、笑った。壁の下の方に片足をつけ、強く蹴る。凄まじい勢いでこちらに向かって来る匡華に青年は面食らった。横凪ぎに振られた小太刀の一線を脇差で辛うじて防ぐ。が、刃の航路が避けただけで青年の頬に深い一線が刻まれた。血が滲む。痛みが頬から脳へと痛みが伝わる。匡華は防がれた小太刀を振り切ると素早く小太刀を手元で弄び、小太刀の頭の方を青年の腹に突き刺した。
「グッ」
痛そうに呻き、青年が腹を押さえて後退する。とそこにもう一人の青年もやって来て二人は並ぶ。匡華のもとには村正がやって来た。もう一人の青年は村正を射ぬくほどに睨み付けている。それを煽るように村正は鼻で嗤った。




