第九十二ノ世界:消えた殺意の行方
手首に刀が突き刺さり、壁に寄りかかるように中腰になっているアーギスト。目の前にはナイフを構えた人物がいる。大量出血で頭が朦朧とする。意識が混濁している。人物は神様を待っているようだが、このまま放置して苦しい処刑方法でもとるつもりではないのだろうかとアーギストは考えていた。頬を赤い血と汗が滑り落ちていく。既に大量出血により、能力を使う体力はアーギストに残っていなかった。ただただ、意識をかろうじて保つくらいしか。
とその時、人物が顔をあげ、誰かに向かって軽く頭を下げた。誰に向かってか、分からないほどアーギストの脳は腐っていない。目だけでそちらを見るとやはり、神様がいた。空中からゆっくりと降下し、足先を揃えて床に着地する。そして神様はゆっくりとこちらに歩み寄ってくる。しかし、その顔は強張っており、悩んでいるようでもあった。それに気づいたアーギストは荒い息を吐きながら、口角を弱々しげにあげた。
頭を下げる人物と捕らえられた哀れな代表者。処刑を自分の前で行おうと人物が待っていた事をこの距離からでも褒めてやりたいのだが、今の神様にとってはそれは二の次だった。神様は、先程までいたその人の事を考えていた。その人は神様が出した条件に当てはまる人物でもなければ、生き残っている代表者でもない。つまり、他の、〈闘技場〉以外の世界の人物だ。だが、神様はその人が何処から干渉してきたのかまでは特定できない。その人が住む世界がそれを妨害するためである。世界が神様に今回、許したのは〈闘技場〉へ赴く代表者達の情報だけだ。神様と世界、上下関係的に神様が上位であるが、世界十一つが力を合わせるとなると神様でも対処が色々と難しくなる。そのため、神様はあまり世界と揉め事を起こさないように努めてきた。無論、今回もそうである。例外はあるが。さて、その人は外部から干渉した。外部からの干渉はルールにはないし、『御告げ』の時にもそのような事は進言していないため、ルール違反ではない。しかし、神様はあの訪問ー干渉ではなく、訪問だと神様は考えたーには何か意味がある。その人はアーギストと人物の公開処刑を見て、笑っていた。自分と同じ事を考えているからだと思っていたが、別の可能性もある。しかし、どうやって外部から干渉できたのだろうか?この〈闘技場〉には神様が許可しない限り、手紙や能力さえも通さないようになっている。まぁ、〈闘技場〉内部からの手紙や能力は通ってしまうが。それでも、可笑しい。誰かがその人を手引きしたのであれば、別だが。まさか、アーギストか?いや、違う。そこまで考えて神様は以前見たあの一覧表を思い浮かべた。あの一覧表のアーギストの情報にその人はいなかった。似たような人の情報はあったが、そちらは既に死亡している。見た事はないが、他人の空似で間違いない。
「(考えても仕方がないか)」
神様は大きく頭を振り、これまでの思考を追い払う。その人は今の神様にとってなんら問題はないはずである。それに恐らく、重要性もない。今、重要なのは目の前のルール違反者を処刑する事である。そして、世界を一つにする事。
神様は青白い顔をこちらに向けるアーギストを見て、細く微笑んだ。自分の秘密を持っていると云う彼が目の前からいなくなるのは、とても安心する。しかし、それを何処かに…いや、アーギストの性格上、出身世界である〈夜の京〉に隠す可能性が高いため、そこは後回しだ。時間が空いた時にでも、調べに行けば良い。代表者達はアーギストが消えた事を不審に思うだろうから、代役を立てておこう。〈夜の京〉から引っ張って来るのもいいが……とりあえず、こいつを始末する方が先決。
神様は人物に頭をあげるよう手を振った。造り出した時から見慣れた顔が自分を見る。そして、アーギストを見下ろした。既に化けの皮が剥がれた神様は、いつもの口調ではない。
「これで本当に終わりだ、アーギスト。大人しく、人物に殺されろ」
「………け…さ……い?」
大量出血で言葉を紡ぐ気力も体力さえもないアーギストの中性的な声が、神様と人物の耳を震わす。恐らく、「消滅さない?」と念押しで聞いたのだ。神様がもちろん、と言いたげに交渉の成果を示すようにフードの中から、恐らくアーギストが安心するであろう優しい笑みを作った。まぁ、後々消滅すけどね。そう口には出さずに。
神様の表情にアーギストはホッと胸を撫で下ろし、安心した表情を浮かべた。してやったり。そう内心で微笑んだのは、神様だっただろうか?神様はクルリとローブをはためかせながら、人物を振り返る。
「殺れ」
酷く低い声で言い放ち、少し歩いて再び振り返る。血が飛び散るのが嫌だから移動したらしい。人物は神様に向かって、了承の意を示すように頭を下げた。そして、ナイフの柄を強く握り締めながらアーギストを振り返った。アーギストが演技ではなく、本心で人物を怖がり、死を怖がった表情を浮かべている。視界が霞んでいるのか、人物を見上げているはずの視線は違う方向を向いている。人物は仮面を拾おうか拾うまいか数秒悩んだ。あそこに置いておけば、確実にアーギストの血で紅くなる。神様からもらった大事なものだ。そんな大事なものを神様の忠告を無視した愚か者の血で穢されたくはない。そう思い、人物はアーギストの目の足元に落ちている仮面に向かって手を伸ばした。
嗚呼、博士。アナタが常々言っていたところにボクは辿り着いたよ。アナタがくれた知識全てを使い、世界のために、ボクのために、アナタのために動いた。ボクの目的のために……さあ、ボクの犠牲を捧げよう。だから、
アーギストは最期の力を振り絞って、仮面を拾おうとした人物の手を自分の方へ引いた。突然の事に驚く人物の表情に優越感を感じながら、アーギストは人物の耳元で囁く。神様は死人の言葉に耳を貸す気も、行動を気にするのもめんどくさいのか、何も言って来ない。それがまた、アーギストには好都合でいて、有利。
「神様は死ぬよ」
「………?!」
今から、そちらに行くよ…博士。
アーギストにそう囁かれ、人物は顔が紅くなるのを感じた。怒り。我が神を、愛しき主人を、産みの親が死ぬ?神様の忠告を無視した愚か者でありながら、侮辱すると云うのか!怒りが人物の感情を支配する。そして、人物はナイフを怒りに任せてアーギストに向けて振り下ろした。虫の息だったアーギストの体にナイフが突き立てられ、彼の体が痙攣し、紅い血を吐き出す。恐らく、その一撃でアーギストは死亡した。それを理解しながらも、人物は怒りに任せてナイフでアーギストの体を刺して行く。返り血が人物を怒りの色に染めていく。神様はそんな人物を見て、クスリと微笑んだ。ルール違反者を始末できた。さあ、此処からは誰にも邪魔させない。
クルリと人物が神様を振り返り、軽く頭を下げた。神様は人物を褒めるようにニッコリと笑った。それを気配で感じ、人物も嬉しそうに笑った。けれど、人物の心をアーギストの言葉を蝕んでいく。それを、人物も神様も知らない。アーギストに至ってはその結末すら分からない。その結末を知るのは、誰でしょう?
百いったー!此処まで読んでくださった皆様には感謝しかありません!まだまだ続きますが、どうかもう暫くお付き合いください!




