第1話 異世界転移
36名の高校生を乗せたバスは猛烈なスピードでガードレールを突き破り、空を舞った。もし誰かが近くで撮影していたなら、それはハリウッド映画でしか見られないような大迫力の映像となっていたに違いない。
バスは何度も激しく崖の側面に叩き付けられ、数百メートル下に着地した際にはもう既に原型は殆ど留めていなかった。
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五反田海斗は大きな虫が顔を這う感触で目が覚めた。
「ひっ!」
特に虫が苦手という訳ではなかったが、さすがに寝ている間にずりずりと虫に這われた経験がなかったため、思わず悲鳴を上げながら飛び起きる羽目になってしまった。
目が覚めたらそこはジャングルだった。
いや、そう思っただけで、本当は単なる林の中なのかもしれないが。
修学旅行のバスに乗っていて、事故に遭遇した所までは記憶にあった。その事を思い出し、思わず自分の状態を確かめるために体のあちこちを手で撫でまくる。
「……どこもケガしてねぇ」
確かとてつもなく高い崖から落っこちたはずだ。無事であるはずがない。
「途中で空中に投げ出されたのかな?」
窓が開いていたかどうか思い出せないが、外に放り出され、運よく何かがクッションになって衝撃を和らげたのだろうか。
「そうだ!皆は?!」
海斗はようやく自分が一人ぼっちである事に気が付き、大声をあげながらクラスメイトを探し回るのだった。そして彼の目に飛び込んで来たものは、映画でしか見た事がないような奇妙な生き物であった。
背の高さは人間とさほど変わらないが、その体は深い緑色の体毛に覆われており、でかい棍棒のような物を持っている。何より、どうひいき目に見ても顔が人間ではないのである。完全な化け物だ。
海斗は悲鳴すら上げる事ができずに硬直してしまった。一体、何が起きているのかと。だが、彼の中にある生存本能がわずかに機能していた。そして、すぐに逃げろと体に指令を出したのだ。幸い、普段からサッカーで鍛えられていた足腰は多少の非現実的な事態にもめげず、走りだす事に成功した。
後ろからオオカミが吠えるような鳴き声を出しながら怪物が追っかけて来る。本当に何が何だか分からない。
ここは樹海なのだろうか?
いや、バスは確か長野県を走っていたはずだ。道に迷って山梨県に行ってしまったなんてバカな話しはあるはずもない。
軽くパニくりながら、足がもつれそうになりながら必死で逃げていると、急に重力が無くなった。
ま、まじかよ~……
そんな涙にまみれた言葉を吐きながら、海斗は再度、崖から転落していった。
崖の下は川だった。
ダイブする直前に意識を失ってしまったため、幸運にも川の深さが十分だった事は本人にとって知る術がなかった。更に幸運だった事は、彼が岸に打ち上げられてから間もなく、人に発見された事である。そうでなければ低体温症か何かでそのまま永遠の眠りに付く可能性が高かった。
海斗が目を覚ますと、お爺さんが居た。
状況からするとおそらく助けてくれたのだとは思うが、かなり警戒心をもった表情で海斗を見ている。それは表情だけではなく、銛のような物を持って構えて居ることからも間違いない。助けたは良いが、危険人物だったらどうしようか?といった感じである。
「……あ、あのぅ」
海斗の声に、びくっと身を震わせるお爺さん。
「助けてください。バスが事故にあって」
何とか状況を説明し、警察なり病院なりに連絡を取ってもらおうとしたのだが、長時間水に浸かっていたせいか舌が上手く回らない。
「おめぇ、村のもんじゃねぇな?」
「村?」
「ころふき村だよ」
そんな村の名前は聞いた事がなかったし、当然、違うと答えた。
「そんな事より、オレは無事だったんだが他のみんながひどいケガをしてるかもしれないんだ。はやく助けを……」
「う、動くんじゃねぇ!」
爺さんが突然すごい剣幕で銛を喉元に突き付けて来たので、思わず両手を上げてバンザイの形を取ってしまった。何故それほど警戒する必要があるのだろうか。まるで自分が強盗犯であるかのように、睨みつけられている事に海斗は非現実的な気持ちで一杯になった。
その後も、こんな所で何をしているだの、畑を荒らしているのはお前だろう等の身に覚えのない罪を被せられそうになったりしていたが、しばらくすると更にもう一人、村人らしき人が加わった。
「ジンザ、おめぇこいつを知っとるか?」
「ん~……名前は……海斗? うーん、海斗ねぇ……。知らねぇな」
「称号もねぇし、やっぱり怪しいな。どうする?」
「そうだな……。そういえばさっきロベルトが村に帰って来たんだ。彼に見てもらおう」
海斗にとっては良く分からない会話が飛び交い、ロベルトという人の前に連れていかれる事になった。しかし、そんな事よりも驚いたのが、自分の名前を呼ばれた事だ。
記憶が確かであれば、特に名前を名乗った覚えはない。川に流されて意識を失っている間に寝言か何かで呟いていたのであれば別だが、少なくとも、後から加わった村人は知らないはずだった。
◆
「ふぁ~あ……」
究極に寝心地の悪い布団のようなもので一夜を明かした海斗は、朝の光に照らされて大きなあくびをした。よくもまぁ、こんな布団で眠れたものである。やはり、非現実的な数々の出来事が体力を大きく奪っていたのだろう。
昨日、ロベルトの計らいで無事、無罪放免を受けた海斗には『ころふき村』での夕食と寝床が提供された。変に疑ってしまった償いとして、客人として扱ってくれる事になったようだ。
「おはよう。どうだい、体の調子は?」
「あ、おはようございます。ま、まぁお陰様でなんとか……」
「はっはっは。その様子だと余り良い寝心地じゃなかったようだね。やっぱりどこかの貴族の出かな?」
色々と話しをしたり、聞いたりしているうちに、海斗はどうも自分が尋常ではない世界に紛れ込んだのではと考え始めた。少なくとも、『日本』や『東京』などのキーワードに全くヒットしないのである。
それならば、と『やまと』や『日の本』などのキーワードも投げかけてみたが、村人たちの反応はゼロであった。テレビや電灯等の電化製品も無い事から、過去にタイムスリップしたのでは?と思ったが、それも違うようである。
これはやはり、異世界というものだろうか。
そういえば昨日遭遇した化け物の事を聞いていなかった。
「たぶん青トロールだね。奴らは森の中にしか生息していないから、この辺に居れば安心だよ。村の周りにはスライムか兎くらいしか居ないし」
聞いてみると、何てことはねぇよみたいな雰囲気で返事が返ってきた。
やっぱり当たり前のようにモンスターが居るのである。それは、海斗にとって悲しい現実であった。
そう、異世界に来たという可能性が高くなったのである。更に話を聞けば聞くほど、異世界という事実が確定事項となって行く。もはや否定は出来なかった。
それから丸一日、半分放心状態になりながら村の中を放浪した。もちろん両親が心配しているだろうとか、一緒にバスに乗っていたクラスメイトはどうなったのか等も気にはなっていたのだが、今は自分の心配の方が大きかった。
こんな世界でどうやって生きて行けというのか。
寝心地が悪いくらいは、まあ何とか我慢は出来る。
しかし、メシが非常にまずいのである。はっきり言って、ドッグフードの方が美味いのではないかと思える程だ。……実際に食べた事はないのだが。
というか、ドッグフードは実際には美味しいと聞いた気もするが。
「はぁぁ……」
この絶望感を何かにぶつけたかった。
「そうだっ! スライムだっ!」
村の周りには、スライムしか居ないと聞いた。スライムなら誰でも狩れるとの話しも聞いた。どのみち生きて行くには低レベルモンスターごときに後れを取る訳には行かない。
ロベルトにもらった鉄製の細身の剣……見た目はほとんど鉄パイプだが、贅沢は言ってられない。海斗は剣を握りしめ、スライムに向かって叫びながら走り出していた。
「うおおおおおぉぉぉっ!」
空気の入ったゴムボールを叩いたような、むにゃっとした感触で剣がはじき返される。果たしてダメージを与えたのかどうか分からない。
一旦距離を取ると、スライムが飛びかかって来た。それが幸運な事に丁度右手側の腰の高さくらいだったため、野球のバットを振る要領で斜め上から剣を叩き付けた。野球はそんなに得意ではなかったが、バッティングは好きで良くやっていたため、自然にスイングができた。
すると、今度は弾き返される事なく剣を振りぬくことに成功した。当然、スライムはバットで撃たれたボールのように前方に飛んで行く。
「ふうぅ~」
動かなくなったスライムを見て、無事、倒す事ができたと分かった。そして暫くすると、スライムの体はまるで空気に溶け込むかのように音もなく消えて行った。
「まさにゲームだな」
ゲームと言えば、一つ思い出した事がある。海斗は自分に向かって『鑑定』と念じて見た。ロベルトから教えてもらった事だ。
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Name:海斗
Caption:
基本スキル:
特殊スキル:
- 合成
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これだ。これが、初対面の人に自分の名前が知られた理由だ。今は自分に向けて『鑑定』と念じたが、他の人に向けて行えばその人の情報が分かるらしい。
これは、異世界というよりゲームの中の世界といった方が適切かもしれない。だって目の前にこんな文字列が出て来るなんて現実世界である訳がない。
スライムも、倒すと消えてしまった事だし。
気になっていたのは、『合成』というスキルだ。
基本スキルと異なる場所にあるため、特別なスキルではないかと思う。まだ誰にも言っていない。言って良いのかどうか判断できないからだ。有効なスキルである事を願うばかりである。
『合成』と念じてみる。すると、照準のようなものが出て来る。
何かを選択するみたいだ。
ということは、アクティブスキルという事か。
試しに、地面に転がっている石ころに照準を合わせてみる。すると照準が青く変わり、選択可能である事を示しているような気がする。えいっと念じて選択すると石ころが赤く光った。
「おっ」
上手くいけそうだ。
合成というからには、もう一個選択すれば良いのではないかと思われる。早速、近くにあったもう一個の石ころを選択する。こちらも赤くなった。この次はどうすれば良いのだろうか。とりあえずもう一度『合成』と念じてみる。
「おわっ!」
本当に合成された。目の前にはさっきより少し大きくなった石ころが転がっている。
「っしゃぁぁぁあ!」
思わずガッツポーズを取ったものの、良く考えると、これが何になるのかと言う事だな。
とりあえず、念のため鑑定してみる。
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Name:小石
Caption:鉱物
基本スキル:
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……何にもならなかったようだ。
いまいち使いどころが分からない。しかし腐っても特殊スキルである。絶対にすごい能力を秘めているに違いない。今はとりあえずスライムを倒しまくって経験を積んだほうがよさそうだ。沢山倒せば、強くなるらしい。これもやっぱりゲームみたいだ。