逃げた雪兎
どのくらい歩いただろうか。
歩き始めたときは雲ひとつ無い真っ青な空だったのに、今は雲に覆われ、どんよりとした空気に満ちている。
しかも、雪が積もっていた。
でも、足を止めるわけにはいかないのだ。
何としても逃げきらなければいけない。
たとえ、どんなことがあったって、私は立ち止まるわけにはいかないのだ。
深く積もる雪をゆっくり踏みしめながら、歩いてゆく。
しかし、段々と足が動かなくなる。
……当然だ。
今の格好は、真っ青なドレスにガラスの靴だけの軽装なのだから。
靴は、ヒールが高くて歩きにくい。
だが、その靴の下は裸足のため、履いていないよりはマシだ。
でも、このような格好では体が冷えるに決まっている。
手足は冷えて氷のようになり、頭はぼうっとしてきた。
ここで寝てはだめだ、そう思うほどに眠気が増す。
そして、私は意識を手放した。
ふと目を覚ました。
暖かい。
「あ、起きたか。大丈夫か?お前、雪の中倒れてたんだぞ」
「……そう、でしたか」
「俺がいなけりゃ死んでたな。この地域にそんな格好で来るなんて何考えてるんだ」
「……この地域とは?」
「知らないで来たのか?……この村は俺と、飼ってる兎たち以外誰も住んでない。ここは豪雪地帯で、条件が悪いんだよ。でも、この地域に昔から住んでた一族がいる……それが、俺の一族だ」
もう俺しか残ってないんだけどな、と言って彼は笑った。
「……そうだわ、行かなきゃ」
「おい、そんな体でどこ行く気だ?しばらく休め!」
「……だめよ、私は逃げなければいけないのよ……!」
どこへ。
いつまで。
私自身分からない。
でも、『彼女』に見つかったら全てはおしまいだ。
「……お前、名前は何ていうんだ?歳は?」
「……雪姫……十六歳」
「俺は六花。十七歳だ。ここはあまり人が来ない。だからお前、ここに住め」
予想外の展開に驚く。
今まで生きていて、人からこんなにも優しくされたことなどあっただろうか。
いや、無かった。
だって、私は……。
……私が、ここに居ていいのだろうか。
この私が。
……いや、お似合いかもしれない。
「……六花、さん。本当に良いの?」
「ああ、俺の方も、人が恋しかった所だからな」
「……じゃあ、すみませんが、お願いしますね」
私は、六花さんの好意を利用してしまった。
「それじゃ、雪姫。お前、その服じゃ生活しにくいだろうから、俺の昔の服やるよ。こっちこい」
「……あ、はい!」
六花さんの洋服はとても不思議なものだった。
私はドレスしか着たことがなかったので、全てが新鮮だったのだ。
ズボンというものも、上下が分かれている服も。
更に六花さんは、靴下や靴も提供してくれた。
とても暖かい人だ、と思う。
私には、とても触れられないほどに。
追っ手が来たら、六花さんに迷惑をかけないように逃げよう。
それが、優しくしてくれている六花さんに、嘘をついてしまっていることへの、せめてもの贖罪なのだ。
「雪姫。サイズ大丈夫だったか?」
「……はい、ちょうどです。ありがとうございます」
「それは良かった。じゃあ、今度はこっちへ来てくれ」
「……ええ、分かりました」
この家には三つほど部屋があるようだったが、連れてこられたのは、その内の一番奥の部屋だった。
扉を開ける。
『あ、リッカ!』
『その子だーれ?』
「この子は雪姫。俺らの仲間だよ、スバル、シリウス」
『ホントに信頼できる?』
『だいじょーぶ?』
『でも、優しそうだよぉ』
「大丈夫だよ、リゲル、スピカ、オリオン」
『そっか、よろしくね!』
『よろしく、ユキ!』
「良い子だね、ベガ、アルタイル」
話しているのは、白兎だ。
兎ってお話しするのか。
それより何より……可愛い!
「……何て可愛いんでしょう!撫でてもよろしいですか?」
「じゃあ、一番大人しいオリオンを」
「……オリオンさん、撫でさせていただいてもよろしいでしょうか」
『もちろんだよぉ!はやくはやく!』
「……わ、もふもふ、です!」
『ふあぁ、気持ちいいのですぅ……』
「仲良くなれそうで何よりだよ」
「……はい!」
「これから、よろしくね」
「……勿論です!」
……少年は何も知らない。
遠く、都で噂になっている雪の王女のことを。
曰く、王女は人を凍らせてしまったという。
曰く、王女は雪を操れる能力があるという。
曰く、王女は行方不明である。
……曰く、王女は失踪当時、青いドレスとガラスの靴を身に纏っていたという。
……少女は何も知らない。
かつて豪雪地帯を支配した、雪女の一族がいたことを。
曰く、雪女は人に恋し、溶けてしまったという。
曰く、雪女はその際に、子どもをもうけたという。
曰く、その子孫は男女問わず能力を持っているという。
……曰く、豪雪地帯には、まだ雪女の子孫が住んでいるという。
少年少女は、まだ何も、知らないでいる。