3-前
どこもかしこもリボンだらけの、紅白だらけ。学校手前の通学路でさえこの状況なのだ。校舎に入れば一体どれだけの生徒がリボンを身につけているのだろう。
「ほら、あたしの言った通りでしょ」
「お見事」
リボンを着けて遊ぶ生徒達の間をぬって教室に入ると、やや遅れて登校してきた夢が得意げに鼻をならし、そして長い髪を指に巻き付けた。
高く結った二つ結びには早速あのリボンがつけられている。見せびらかしたいのか、単に嬉しいのか、繰り返し弄られる髪を見ながらなんだか羨ましいなと思った。
夢の小さな手からさらさらと零れ落ちる髪は、知り合いのツテで月に二回程トリートメントをしに行くらしい。
くせ毛に悩む小助もトリートメントとやらをすればあんな風なサラサラヘアーになるのだろうか。と想像して、失敗する。間違えて夢と同じ髪型をした楽太郎を想像してしまった。
思わず「そんなの父さんじゃない」と首を振ると後から肩を叩かれた。
「おっす小助。はよ」
「あっ、おはよう勝」
ごく自然に挨拶を返せば教室中から「どうして勝君が」といった悲鳴が上がる。だが今回ばかりはクラスの皆に賛同したい。何故ならばこの状況を誰よりも信じられていないのは小助だったりするのだから。
あの土日を使い学年でも特に有名な二人と友達になってしまった。
そんな急展開にこれは詐欺なんじゃと何度思った事だろう。
「暇ならこっち来いよ。結人がまだ来なくて暇なんだ」
「うん」
「えー良いなぁ。勝君あたしも行って良い?」
すかさず話しの輪に入ろうとした夢はあからさまにリボンを弄ってみせる。だがその意図に気付かない勝は「いやいや」と手を振った。
「ゲームの話しすっから佐々木にはつまんねぇよ」
「えーゲームかぁ……分かった」
しょんぼりと項垂れる夢を見て小助は目を張った。いつもの夢から想像するに「それでも行く!」と言いそうなものだが。
移動する勝を追って小助も手提げ袋を抱えて移動すると、勝の机の後、結人の席に腰を下ろす。なんだか自分の椅子よりも高い様な、大きい様な、そんな不思議な感覚を味わっていると勝がこっそり耳打ちしていきた。
「佐々木って知ったかぶりしないからさ、あぁ言えば来ないんだよ」
「あぁ、成る程」
夢はどうやらついていけない話題、特に男子が好むゲームやスポーツ等といった話題には無理に首を突っ込む事はしない様だ。通りで同じ教室に居ても常に勝にべったりしない筈。
その後宿題として出されているゲームの話しに夢中になっていると、隣りからカタンと音がしたので振り仰ぐ。もしかして結人だろうか、ならば席を、そう思った所で慌てて逸らす。間違えた。今来たのは結人の隣りの席の吉田莉々亜である。
莉々亜は小助を虐めているわけではないのだが、小助を酷く毛嫌いしているので苦手なのだ。これは申し訳ない所に座ってしまったなと思っていると勝が莉々亜に「よっ」と声を掛けた。
「おは……って、どうした吉田。頭痒そうだぞ」
「えっ」
と声を出したのは小助だ。思わず莉々亜を見て納得し、しかし直ぐに勝に向き直る。「女の子に何を言い出すんだこの馬鹿!」と言ってやりたかったが出来ないでいると、スパンと子気味の良い音が鳴った。
「いったぁーーー!!!」
「馬鹿」
いつ出したのか、丸めたノートで頭を叩かれた勝は背後にいる誰かに文句を言おうとして、止めた。この土日で判明した事なのだが、勝は結人にあまり逆らわない。格が上、という事ではなく単に結人を怒らせると後が面倒なのだ。それはもうもの凄く。
頭を掻いて嫌そうに顔を歪めた勝は口をへの字にすると上目で莉々亜を見る。
「……ごめん吉田」
「いっ良いの、別に。…………それじゃ」
莉々亜は背中を丸めて逃げる様に近くのドアから出て行った。六年生なのに綺麗な形のランドセルは半端に放置されたまま。勝手に生真面目な印象を持っていたが違うのだろうか。
ただそれよりも気になったのは上の方に高く結われた髪が固そうに揺れていた事。そしてその根元には大きな赤いリボンが付いていた事。
勝が頭の事を言わなければ気付かなかったが。
小助と交換して席に着いた結人が早速溜息をつく。
「もう少し考えてから言いなよー。本当に単細胞だなー」
「だって本当に痒そうだったし……」
「だってじゃない。吉田さん帰って来なかったら勝のせいだからねー」
「うっわ地味にそういう事言うのやめろよ。マジで」
実に嫌そうな顔をした勝を見て結人は小さく笑う。そして頬杖をついた。
「でも本当にどうしたんだろうね。吉田さんいつもシャンプーの良い匂いさせてるのにー」
「……お前変態臭いぞ」
「石けんの匂いは男のロマンだよー。ねー、小助」
「俺はどんな匂いしてても平気」
「ぎぇ、そっちの方が変態臭いぞ!」
「変態じゃ………うん、説明するの面倒臭いからそれでいいよ」
「いやいやそこは頑張って説明しろよ。汚名返上しろよ」
と言った勝のツッコミには肩を竦めて見せただけにした。
実は説明しなかった理由が二つある。一つは先程言った様に面倒だったのと、そしてもう一つは楽太郎の職業を知られたくなかったから。別に楽太郎の職業を恥じているわけではないのだが、もし同級生の子に「見せて」と言われた日には「まだ早い。中学生になってからね」と意味深な事を言わなくてはいけないのだ。なので小学生の内はバラしたくない。
ちなみに臭いについてだが、小助の家には月の四分の三は何かしらの臭いを放っている楽太郎が居る。おまけにアシスタントも締め切り前は中々風呂に入れないので香水の臭いをぷんぷんさせてくる。
なので例え臭かろうとも多少は平気だ。勿論綺麗な事に越した事はないのだが。
結人が混ざった事でより一層ゲームの話題に火を点けているとHRの予鈴が鳴った。慌てて席に向かえば「また後でな!」と勝が手を振る。それに手を振り返せば小助の心は弾んだ。
ーー友達、出来た!ーー
漸く実感が沸いた。正直仲良くしてくれたのはあの土日だけかもと卑屈になっていたので凄く嬉しい。
まだまだゲームに関しても漫画に関しても素人だが二人に飽きられない様に頑張ろうと固く誓った所で既に座っている夢が目に入る。
瞬間「佐々木さん聞いて! 友達が出来たんだ!」と言いそうになったが寸でで理性を働かせた。というのもどう見ても夢に元気がない。
もしや勝に断られたのが未だ尾を引いているのだろうか。もしくは小助だけが勝達と盛り上がったのでイジケているかもしれない。なんだか申し訳なさを感じていると俯いていた夢がチラリと小助を見た。
「ねぇ」
「えっ何?」
「あたし見てなにか変わったと思わない?」
なんだそれ、と小助は首を傾げる。
「どういう事?」
「何、分からないの」
「えー……」
分からない。だがこれは女子特有の「ねぇねぇどこが変わったのか当ててみてよ」の試練だというのは察しがついた。
とりあえず当たりさわりない事を言ってみる。
「元気ないね」
「正解。他は?」
駄目だ分からない、お手上げだ。だが今の小助は気分が良い。今直ぐここで謝りたいのを堪えもう少し粘ってみる事にした。
「髪型変えた?」
「えっ分かる?」
瞬間夢は信じられないという目で小助を見た。その様子からして小助はなんと答えを的中させたらしい。それにホッとしていると夢はもじもじと頭の上のお団子を弄った。
「三組のユッコにやってもらったの」
「上手だね」
「うん。でも最初の方があたしらしいよね」
「えっ最初?」
「小松君はどっちが良い?」
駄目だ何をどう頑張っても分からない。
小助は悩んだ。凄く悩んだがそれも数秒後には諦める。
「ごめん、何がどう変わったのか分からない」
謝りはしたがやはり夢に怒られたくない。そうびくびくと顔色を伺っていると夢は飽きれた顔で溜息をついた。
「男がそういうものだってのは理解してるけど、なんで分からないのかは分からない。髪下ろしてるとか結ってるとか全然違うのになんで気付けないの?」
「……ごめん」
「まぁどうせ勘で当てたんだろうなぁとは思ったけど」
なんて目敏いのだ。
「でも正直に白状したから怒らないであげる」
「ありがとうございます」
「登校した時はね、ツインテールだったの。でも今はそれ止めてお団子にしたの」
「あー……」
確かにそうだ。弄った髪がさらさらと流れている姿を見て羨ましいと思ったのだった。
「本当はあのままリボン隠れ鬼したいと思ったんだけど……」
夢がずいっと小助に身を寄せる。その時ふわりと香ったシャンプーの匂いに結人が言った事はこれかと合点がいく。ロマンはともかく確かに臭いよりかは遥かに良い。
「莉々亜ちゃんね」
「うん」
莉々亜がどうしたのだろう。夢は更に声を潜める。
「先週から髪洗ってないんだって」
「へぇ」
だからか、と小助は妙に納得した。固く揺れる髪。その根元の赤いリボン。どうやら莉々亜はリボン隠れ鬼をしている様だ。それも先週から。
「そっか、大変だね」
「人ごとだなー」
体を離した夢が眉を寄せる。今の小助の発言に怒ったのではない。莉々亜の様子を思い出したのだと思う。同じ女子としては同情せざるを得ないのかもしれない。
「だから外したの。一日でも髪が洗えないなんて……あたしだったら死んだ方がマシ」
禁断のルールその一。決してリボンを外してはいけない。
禁断のルールその三。始めたゲームは必ず終わらせなければならない。
リボン隠れ鬼をするのも大変だな、と小助は教室に入って来たオノシンを見た。