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ゴールデンウィークが明けた。今日から憂鬱な学校生活の始まりである。
小助は五月病とは違う怠さを感じながらお弁当箱に卵焼きを詰め込むと、一つは冷蔵庫、そしてもう一つは手提げ袋に入れた。どんなに嫌がっていても準備を疎かにしない自分が本当に憎い。
余ったおかずを食卓に並べていると、徹夜明けの酷い顔をした楽太郎が尻を掻きながら入ってきた。
「あれ……今日から学校?」
「そうだよ。おはよう」
「……んー」
返事もそこそこにソファに飛び込む。そして大きな欠伸を一つ零した。
月刊誌と季刊誌の連載を受け持つ楽太郎が何故月初めでこんなに酷い状態かというと、ただ単に担当編集者の盛岡槇二が提出するプロットを尽く却下するからだ。
トーンもデジタル処理も行わない楽太郎は早々に作業に入らなければならない。なので一年を通してこういう現象が多々起こる。特に夏の怪談特集が組まれる頃はもう見物だ。
「………コスケくーん……お父さんはもう駄目だぁ……」
「大丈夫、今度こそ通るよ」
「いいかー良く聞けーい。人生というのはな、そんなに甘くはないんだよ……」
「でも槇二さんが厳しい御陰で俺の漫画は売れるんだってこの間父さん言ってたじゃん」
「……」
「お昼はいつも通り冷蔵庫ね。朝ご飯は?」
「んー…………じゃあみそ汁だけ」
とは言ったものの襲い来る眠気には勝てなかった様だ。小助がみそ汁をよそっている間にはもう大きなイビキがキッチンにまで聞こえてきていた。仕方がなく自分の分だけ用意すると「父さんが今夜は眠れます様に」と手を合わせる。
「頂きます」
召し上がれ、と楽太郎が一際大きなイビキをかいた。
休みたいのを我慢して登校すればこれである。
三階にある六年一組の教室に入ると先ず目に入ったのが小助の机の上に腰を下ろす幹也と、それを囲う取り巻き達の姿。初っ端からこれはキツい。ゲラゲラと笑い合う元気な小学生達に目が眩んだ小助は早々に退散を余儀なくされた。
だがーーーーー
「どけデブ助!!」
キンと高い声で叫んだ伊藤裕幸により背中を押され教卓に手を着く。
ーー………これはないーー
どれだけ踏ん張る力がないのか。さっきまで立っていた入り口があんなに遠く、そして避けようとした幹也達がこんなに近い。運が悪い事に小助の机は教卓の目の前にあるのだ。
ーー死んだ振りをしようーー
冷や汗をかいて混乱する小助を余所に裕幸は幹也の前で嬉しそうに跳ねた。
「おっすおっす! 昨日振り!」
「ヒロ五月蝿い。休み明けなんだからちょっとはテンション下げてよ」
「なんでケンにんな事言われなきゃなんないんだよ! そうだ幹也、これ昨日言ってた漫画の続きな!」
「おーさんきゅー」
「えー良いなー。次俺に貸して」
「ケンはさっき悪口言ったからダメー」
「はぁ? なんだよそれ。死ね」
と言った渡辺健一に裕幸が食って掛かる。その様子を楽しげに幹也達が見ているのを視界の隅に入れながらゆっくりと踵を返す。触らぬ神に祟りなし、だ。
が、早々にバレて肩を掴まれた。
「ようデブ助。宿題やったか?」
ぎゃあ。ニタニタと笑う幹也の顔から目を逸らす。そんな小助を見て取り巻き達が笑った。
こんな自分を情けないなとは思う。でもこれは仕様がないのだ。
小学生の内は男子が女子よりも小さいのが当たり前なのに、幹也の身長は平均的な小助よりもずっと高い。おまけに幼い頃から柔道をやっているせいでガタイも良く、まるで巨大な壁に見えた。
そんな幹也から小助は虐められている。今日は何をする気だと上目で見上げれば手提げ袋を乱暴に掴まれた。
「手、離せ」
いや、こっちの台詞である。
「……なんで」
「宿題。俺らやってきてねぇからさ、見せろよ」
えぇっと苦虫を噛み潰した様な顔をすると幹也は楽しそうに口角を上げた。
はっきり言って渡したくない。渡せば最後、帰って来ないか提出するのを諦めるぐらいに落書きをされるかのどっちかだ。現にこれまで何度も似た様な被害にあった。ただ対策が出来ない問題ではないのでここ一年程は教科書以外に被害は無かったのだが、こんな面と向かって言われるのは初めてでどう対応するのが正しいのか分からない。
だがこれだけは無理だ。小助は中学の学外受験を希望している。内申も成績も落としたくない。
「……無理」
「あぁ?」
「宿題は、無理。一時間目から提出するのもあるし……」
「はぁ!? デブ助のクセに逆らう気かよ!」
キャンキャンと騒ぐヒロの声を皮切りに他の取り巻き達も口々に小助の悪口を言い始める。
ケチだの融通が聞かないだの勉強が出来るだけじゃ駄目だの色々。
悔しいが反論するともっと言われる。黙って俯いていると幹也がふんと鼻で笑った。
「なんだよ小六にもなって泣くのか?ダッ……」
ダッセぇ。そう言いかけた幹也が「げっ」と苦い顔をした。なんだろうと顔を上げた小助も「げっ」と言いそうになり慌てて飲み込む。
そこには雑誌に載っていそうなお洒落な服を着た佐々木夢が腰に手を当て立っている。人形の様に愛らしい造形を持つ夢だが、この状況では嘘でも可愛いとは思えない。何故なら裕幸と同じぐらいの身長しかない夢には段違いな程の覇気が溢れ出ているのだ。正直幹也よりも怒らせたくない相手である。
「ちょっと、そんな所で集まられると邪魔なんだけど」
「……うっせえな佐々木。どっか行けよ」
負けじと返す幹也だがその声も表情も既に押し負けている。夢はふんと鼻を鳴らした。
「行けって言われてもあたし小松君の隣りだもん。寧ろ菅原君達がどっか行ってよ。はっきり言って邪魔」
「んだと……女のクセに突っかかってくんじゃねえよ」
「乱暴な男子って直ぐそういう事言うよね。もう中学生になるんだし自分の事恥ずかしいと思った方が良いんじゃない」
幹也が盛大に舌を打った。そして怒りに任せて小助から手提げ袋を奪うと乱暴に放り投げた。弧を描き黒板に当たる前に弁当が転がり出たがそれ以外の被害は無い。それにほっと胸を撫で下ろして散らばったノート等を掻き集める。それが終わる頃には幹也は取り巻きを連れて窓際に去っていた。
もう夢様々である。そう思って席に着けば教室のあちこちから「またか」「飽きないね」「自分でなんとかしろし」と言った声が聞こえた。だがそんな声は無視するに限る。
「あの、佐々木さん」
「何」
「さっきはありがとう」
宿題は何が何でも渡す気はなかったが、事態を早々に沈めてくれた夢には感謝感謝だ。だがお礼を言われた夢はそっけない。寧ろ「朝から面倒な事をさせやがって」という顔である。
そう、夢には小助を助けた自覚は無いのだ。さっき本人が言った通り、本当に座りたくて声をかけたのだろう。だから正確には小助だって邪魔者の一人だった筈。それでもきちんとお礼が言いたかった。
「本当に助かったよ」
「別に。ていうか小松君男の子なんだから喧嘩の一つや二つすれば良いじゃん。どうせ菅原君本気で手は出して来ないんだから」
「そう……なんだけどね」
柔道をやっている幹也はあんな性格だが人には決して手を出さない。それは虐められている小助の方がよく知っている。
こうなったきっかけは母の死。大好きだった母を四年生の時に亡くした小助は暴飲暴食に走って、恐らく学年で一番と言って良い程に太った。そして五年生の時に転校してきた幹也が皆の前で言ったのだ。
ーー小助っつーよりデブ助だなーー
その頃には皆小助が母を亡くしたという記憶も薄れていて「確かに」と笑った。クラス替えもしていたし、そもそも他人事なので当然の反応だと小助は今でも思っている。だがこれを皮切りにからかいが始まり、やがて今の様な虐めに発展した。
最初は辛くて辛くて仕方がなかったが、気付くと全てがどうでも良くなっていて、体重も落ちていた。
「あっ」
「今度は何」
「急にごめん。ソレ凄いなと思って。手作り?」
ソレ、と指したのは夢の手首に着いている髪留めだ。
女子がよくしているシュシュにグレーの猫のマスコットとハートのビーズがいくつも鏤められている。所々から糸が出ていたり極々少量の綿も出ているが、それでも完成度は高いと思う。
素直にもう一度「凄い」と言うとあれ程不機嫌そうな顔をしていた夢の顔が一瞬にして喜びの色に染まった。
「そう、手作りなの! これね、キョウちゃんとトモちゃんとおそろいなんだよ。猫の色とかシュシュの色は違うけど、形は皆一緒なの。ゴールデンウィーク中に作ったんだ」
夢を含めたこの三人は自他共に認める親友同士で、キョウちゃんとは同じクラスの八重樫京香、トモちゃんとは隣りのクラスの佐藤友美だ。
人間関係は広く浅くがモットーの小助だが、夢達が楽しそうにしているのを見るとたまに羨ましくなる。
「ゴールデンウィーク中は毎日一緒に遊んだの?」
「ううん、トモちゃんが家族と温泉に行っちゃったから、初日と最終日だけ。でもコレ作るのは前から約束してたから、トモちゃんすっごく頑張って旅行先でも作ってきてくれたの。あたしのよりもずっとずっと上手なんだよ」
「へー、そんな短期間で」
「そうなの! でも一番頑張ったのはキョウちゃんかな。お裁縫苦手なのにちゃんと完成させたんだから」
えへん、と本人ではないのに胸を張る。果たしてこんな風に自分よりも他人の事を褒められる人がどれ程いるだろうか。更に夢の事を見直していると、突然「そうだ!」と椅子の上でぴょこんと跳ねた。
「後で小松君に皆のも見せてあげる!」
「それは良いけど、なんで?」
「キョウちゃんの事褒めて貰いたくて」
「八重樫さんを?」
なぜ京香限定なのだろう。首を捻ると夢は嬉しそうに猫のマスコットを撫でた。今の表情は女の子らしくて可愛いと小助でも思う。
いつもは喧嘩上等な夢だが常に野蛮なわけではない。お洒落に気も使うし流行にも敏感なので女子受けも男子受けも良かった。
只結婚したらカカア天下になりそうだな、と密かに失礼な事を思う。
「でも小松君、お料理もお掃除も得意なのにどうしてお裁縫だけ出来ないの?去年家庭科で作ったエプロン、あれ散々だったね」
「それは自分でも謎なんだ。逆に皆どうやってるの?」
「どうって……普通に。てかあたしからするとお裁縫が一番簡単なんだけどなー……でも本当に小松君勿体ないよ」
「何が?」
「無表情の割には話しやすいし優しいし気が利くし嘘付かないしお家の事何でも……お裁縫以外は出来るのに、なんで虐められるの?」
悪意がないのが逆に清々しい。
「勝君までとはいかないけど、普通ならモテるよ」
「そうかな? でも俺の場合はモテるより先ず友達を作らないと」
「あはは! それは確かにそうだね。じゃあコレ勝君にも見せてこよーっと」
じゃあ、とは。と思う間もなく夢は一直線に千田勝の机に駆けて行った。
勝とは割と身長もあって運動が得意で何より顔が良い。学年の中でも人気が高く、女子が「千田君と古川君どっちが好き?」と話題に出すのを一年生の頃からよく聞いていた。
でもそれを鼻にかける事もしないので男友達の方が圧倒的に多い。だが小助とはこの6年間話した事がほぼ無いので卒業まで彼の友達の一人になる事はないだろう。
そうこうしている内に予鈴が鳴り担任の小野寺真ーー通称オノシンーーと副担任が入ってきて日直の号令でHRが始まった。
こうしてゴールデンウィーク明けの気が乗らない授業が始まったのである。




