でも、実はゴリラ
「でも、実はゴリラ」
「はあ?」
「魔法の言葉よ。どんなネガティブな話でも、話の最後に『でも、実はゴリラ』を付ければあら不思議。その過程で感じてしまったあらゆる負の感情が消え去るわ」
「脱力感は残りそうだね」
「とにかく無敵の言葉よ? これさえあれば万事解決。これに勝る言葉なんてない! ……断言するわ」
「そこまで全面的に信頼できるなんて……」
「私、高校の頃に好きな人がいたんだけどね」
「始まっちゃうんだね」
「その人は憧れの先輩ってヤツで、私にとっての王子様だったの」
「うんうん。甘酸っぱい青春の思い出話なんだね」
「それで、先輩が卒業するとき。思い切って、先輩を呼び出して告白したのよ。『好きです。来年、私が卒業したらでいいので付き合ってください』って」
「きゃー!! 言っちゃったね!! それで結果は!?」
「玉砕よ。彼女がいたんだって」
「そ、そう……」
「完璧な人だったみたい……。私にないものは全部持ってるって感じで……。頭もいいし、スタイルもいい。誰にでも優しくて、生徒会長もやっていた。先輩の学年ではファンクラブが出来るほどの人気がある子だったらしいわ」
「おぅ……」
「でも、実はゴリラ」
「なんだゴリラか!!! それじゃ君との間に超えられない壁があるよね!! その点確実に君の方が魅力的な女性だと言っても過言じゃ無いから安心だよね!!! そもそも、何で君の先輩はゴリラを好きになったのかって話になるし、そんな男なんてどうでもよくなるよ!! というか、ファンクラブ作るなよ!!!」
「私、この前キャンプに行ったの。それで、初めて魚釣りってものをやったのだけれど、ついついハマっちゃったわ」
「もう次の話かい? ……それで、大物は釣れたの?」
「小魚ばかりだったわ……。それで段々飽きちゃって、そろそろ潮時かななんて思ったそんな時! 私の竿が強く引かれたの!! 『来た!!』直感というのかしらね。フィッシング初心者の私にも、そんな根拠の無い予感めいたものが大きくしなる竿を伝って感じられたわ」
「すごいじゃないか! それで、結局どうなったんだい!?」
「まあ、普通にエサごと取られて逃げられたけどね」
「えええ~~っ……」
「でも、実はゴリラ」
「よかった!! 逆に釣らなくてよかったッ!!! そりゃ初心者にも分かるくらいの引きがあるはずだよ!! だって相手はゴリラだもの!!! ゴリラって水中でも呼吸できるのかな!? エラかな? エラ呼吸するのかな!?!?」
「先日、スーパーのバイトでレジ打ちをしてたときなんだけどね。変な客に当たっちゃったのよ……」
「あちゃー。面倒な客ね?」
「私がお会計したのは、商品一点だけなんだけど『値札に書いてあった値段と違う!!』だなんて喚かれて。でも、明らかにそんな訳ないのよ」
「へえ、それはどうして?」
「だってそこ百円ショップだし」
「うおぅそりゃそうだよね!? 店内もれなく税込み105円均一だものね!?」
「だから百円以下になる訳がないし、説明しても分かって貰えなかったから、最終的には店長まで出てきて説明と謝罪をして、ようやく帰って貰えたわ。最後まで罵倒され続けたけどね。しかも、その後は何故か店長にまでお説教させられる始末だし……」
「接客のバイトやってる人のモチベーションを極限まで下げるような酷いエピソードだね……」
「でも、実はゴリラ」
「ゴリラならしょうがないねッ!!! そりゃ値札読めないよ!!! むしろレジにお求めの品を持ってくることができただけで御の字だよ!!! それにしても一体何を買ったのかな!? バナナなのかな!?!」
「いや、お客じゃなくて店長の方」
「まさかの店長の方がゴリラだったね!!!! でも店長がゴリラだったからって、別にそこまでポジティブにはなれないね!! だからなんなんだって感じすらするよね!!! どうしてアンタ面接の時点で違和感に気づかなかったんだと、むしろ君の方を小一時間問い詰めたくなるよね!!!」
「この前動物園行ったんだけど、猿山の猿にフンを投げつけられたの」
「開幕から最悪だね!!」
「でも、実はゴリラ」
「だからなんなんだだと、僕はあえてもう一度問いたいねッ!!!! 猿だろうがゴリラだろうが投げられるフンに善し悪しはないよね!!! むしろゴリラの方が色々すごそうだよね!! 球速とかボリュームとか!!!!」
「さてと。私ばかり話していてもつまらないわ。今度はアンタがやってみなさいよ」
「ええ~っ。急に言われても思いつかないよ……」
「何でもいいから言えばどうとでもなるわよ。ただし実話限定ね」
「君のは全部実話だったの?」
「んな訳ないでしょ」
「くっそー!!」
「ほら、もう何でもいいからとびきりネガティブな話言って!! 最高に落ち込んだヤツ!!」
「もう僕の苦労話を聞きたいだけじゃ無いかチクショー!! 僕は毎日をとてもエンジョイしているから……。あ!!」
「どうしたの? ちなみに一つの苦労もなく毎日をエンジョイしているだなんて存在はこの世にはいないわよ。もしあなたが何が何でもそう言い張るのであれば、貴方はそうやって自分自身を偽っている事にすら気づいていない最高につまらない存在でしかないのよ」
「どうしてそんな酷いことを言うんだ!!! そんなヤツがいたっていいじゃない!!」
「それで? あなたの不幸な話って?」
「う、うん。実はさ。すごい気持ち悪いヤツがいたんだよ。男なんだけど……」
「気持ち悪いってどういうこと?」
「なんか、いつも僕の周りをつきまとっていてさ。全く面識は無いんだけど、何かと僕を付け狙っているように見えた……」
「何かと付け狙ってるって、ストーカーでもされてるの? 男に?」
「うん。気がついたときからだと、もう三年くらいかな」
「ながっ!! それはもっと早く何とかしとくべき!!」
「それで、この前とうとう見ちゃったんだ……。いつものように自分の家に帰って来て、一息つこうと部屋の奥へ入っていったら……」
「…………」
「そいつが部屋の隅に……いたんだよ……!! しかも、何かを漁っているように見えた……。何だったと思う?」
「……いえ。分からないけど」
「その朝急いでた僕が、家を出るときに放って置いたご飯の……食べ残しさ」
「う……」
「それで、思わずさ……。いや、ホントに思わずやっちゃったわけで、不可抗力と言えなくもないんだけど……」
「な、なによ……!」
「いや。本当に驚いちゃって、さ。特に、そいつが僕の気配に気づいて、こちらを振り向いたときなんかは頭真っ白になっちゃって、今でも覚えていないくらいなんだ……」
「だから、どうしたのよ!!」
「いや、その……。振り向いたまま立ち上がった男の、さ……。首を、こう……。ね」
「え…………」
「絞めちゃったんだよ……。飛びかかって……。咄嗟に」
「…………」
「しばらくは暴れていたけど、すぐに……。本当にこんなものかってくらいすぐに、彼はぐったりしちゃって……。はは、驚いたよ。はは……」
「…………」
「…………」
「…………でも?」
「え?」
「でも、実は……?」
「いや。どうやらここまでのようだ」
「……は?」
そう、それはこうして話が終わるのを待っていた。そんなように思えるタイミングだった。ふと顔を上げた私の視線の先には、ガタイのいい男達がずらっと並んでいた。
男達は、微笑む彼を牽制するように、少し距離を置いた場所でこちらを見下ろしている。
「どちらだ?」
「手前の奴だ……」
「十分に気をつけて連行しろ。何しろ、コイツは既に一人殺めている」
ぼそぼそと会話が漏れ聞こえていたが、やがて彼らはすぐに彼を羽交い締めにした。
「え……なにこれ」
「今までありがとう。長い間お世話になったよ」
「い、いやいや……なにそれ!! でも、実はゴリラっていうオチなんでしょ!!? ねえ!!」
叫ぶ私の声に、彼はゆっくり首を振った。
「よく見なよ……。この状況をよく見てごらんよ。でも実はゴリラだった所で、現実は何も変わらないんだ。それが分からないかい?」
最後のその言葉は、どこか諦めや哀しみのような感情が入り交じったような言葉に感じられた。
「本当に、これは無敵で……。魔法の言葉なのかな……?」
『でも、実はゴリラ』
実はゴリラだから、それで全て許されるのか。
『でも、実はゴリラ』
実はゴリラだから、何をしてしまってもいいのか。
実はゴリラだからって、起きてしまった【事実】だけは、揺らぎようの無いモノではないか。
だとすれば、この世に魔法の言葉なんてものは、やっぱり……。
彼が残した最後の言葉。私は、しばらく腰も上げずにその意味をただじっと考えているしかなかった。
◆
【先日、○×動物園勤務の男性飼育員が何者かに絞殺された事件に関してですが、動物園勤務職員によりますと、その犯行は実はゴリラによるものだった事が明らかになりました。今年で三歳を迎えるこのオスゴリラは、清掃に入っていた男性職員に対し――――】
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