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私は自分の目を疑った。たった今入ろうとしていた孤児院が、今や黒の塵となっている。孤児院の奥にある、いつもなら見えるはずの無い森が見える。
「あ……」
急に甕が重くなり、思わず落としてしまった。いつの間にか黒い影がいなくなっている。
スカートが濡れて足に張り付く。生暖かい風が燃え果てた孤児院の灰を空に舞い上げた。
……なに?一瞬で孤児院がなくなった……?
私は、変わり果てた孤児院を生んだ原因を見つめた。
全部が黒で統一されているその姿に、背筋が凍った。闇のなかにぽっかりと浮き出ている白が、こちらを向く。白の中に二つの血の色を認めた瞬間、私は体が動かなくなった。
……真っ赤な瞳……私と同じ、血の色……。
ぼうっとそれを眺めていると、その瞳は驚愕に見開かれた。そしてその瞳は後ろを向く。
「主、あの人間、我が見えるようだ」
「え?エクソシスト?」
第三者の声に、はっとする。
見ると、黒尽くめの男の後ろに、立派な馬に乗った男がいた。その男は、美しい金色の髪をしており、その顔も清廉とした美青年であった。
「なんだ、子供じゃないか。へぇ、珍しいね、悪魔が見えるなんて」
金髪の男はそういうと、ひらりと馬から降りた。そして、なぜか私に近づいてくる。私はそれをただじっと見つめることしかできなかったが、腕を掴まれ引っ張られたことによって、体が動き出した。
「馬鹿!早く逃げろ!!」
左腕につながっている手の持ち主を見ると、先に孤児院に行っていたはずのジャンだった。
「ジャン……どうして……」
「なぜか孤児院だけ消えたんだよ!んなことより早く行くぞ!」
シスターもみんなも無事だ。森の中に避難している。
そのジャンの言葉を聞いていても、私の頭の中は彼のことでいっぱいだった。
……金髪の人は彼のことを悪魔だといった。……悪魔?悪魔はあの黒い影のことではないの……?
彼と見つめあった瞬間に感じたあのぞくりとした感覚が嫌で、私は右腕で肩を抱いた。
「リリー!無事だったのね!」
森の中には孤児院のみんなが一人も欠けずに集まっていた。私の姿を認めたシスターが、私を抱きしめる。
「ジャンがお前がまだ井戸にいると聞いたときは、肝が冷えたわ……。ジャンも一人で勝手に行かないでちょうだい」
「いてっ!……リリーが悪いんだ、ぐずぐずしてるから……」
シスターに軽くぶたれたジャンは、口を曲げた。
「……とにかく、隣町の教会に行きましょう。きっと助けてくれるわ」
シスターは、孤児院のあった場所へ目を向ける。そこはまるで火事がおきた後のように何もなくなってしまった。近くで泣き声も聞こえる。
「……ごめんね、それは出来ないんだよね」
どこからかそんな声がしたかと思った瞬間、私たちを取り囲むように火柱がたった。
シスターたちは慌てて子供たちを抱き寄せる。私はぎゅうぎゅうに抱き込まれて、なんとか周りを見渡すと、金髪の男と、例の彼が火柱の向こうに立っていた。
「あ……あなたはどなたです?なぜこのような酷いことを……!」
シスターが叫んだ。その声に反応したのか火柱も迫力を増した。
金髪の男は、目を細めシスターをまっすぐ見つめる。
「シスター、シスターが子供たちを守るように、僕もこれが仕事なんだ」
―――だから。
「安らかに死んでね」
その言葉をきっかけに、火柱が私たちに襲いかかってきた。
私のものなのか、ほかの子供たちのものなのか、悲鳴が鼓膜を揺らす。
身が裂けるような熱さに、自然と涙が出てくるが、熱気によってそれもすぐに蒸発した。
自分が立っているのか、座っているのか、もうわからない。
リリー、と誰かが呼ぶ声がする。
……熱い。
嫌だ。
死にたくない。
……死にたくない!!
「―――我は魔界第二位上級悪魔、フェネクス=ブラッド=ラビツ、ここに契約を結ぶ」
―――気が付くと、目の前に、例の彼が跪いていた。