こうして彼は彼女になった
目が覚めると知らない部屋にいた。
「……?」
寝起きのはっきりしない頭で体を起こし周りを見渡す。茶色い絨毯に歪な一本足のテーブル。背もたれのない椅子が二脚向かい合っている。
奥の壁にはガラスの扉で閉ざされた本棚がある。分厚い本が数冊詰まっているのが見える。
壁には十字区切りの窓があり、外は枯れた林が寂しそうに揺れている。洋室のようでそうでないような、不思議な雰囲気を醸し出す部屋。
うん、訳が分からない。ここはどこだとか、なぜ自分はここにいるのかとか、疑問がいくつか湧いて出る。
「どこだよここ……!?」
呟いてみたところで違和感に気が付く。自分が喋っているはずなのに、自分のものではない幼い声が聞こえる。改めて自分の状況を見直す。白いシーツのベッドに横になっているようで、白い布団がこんもりと盛り上がっている。
それはまぁいい。いや、状況的にはあまりよろしくない状況なのだが、とりあえず今は捨て置くことにする。重要なのは……
……布団の盛り上がり、やけに小さくないか?そもそも俺の腕、こんなに小さくぷにっとしていたか?
冷汗がダラダラと流れてくる。何かがおかしい。自分の体に何かが起きている。というか布団の中を確認したくない。
呼吸が荒くなり、心臓が動悸する。深呼吸で体を落ち着かせ、覚悟を決めて布団を下す。するとそこには……
ぷにっとした手足にぺらりと平らな胸板。腰のあたりから見える長い髪は金色で、何よりもついて(・・・)いなかった。
「……はあああぁぁ!?」
思いっきり肺に溜め込んだ空気を使って、俺は叫んだ。しかしやっぱりその声は、甲高く舌足らずに響くのだけれど。
ある程度意識がはっきりしてきたところで、しかし俺は頭を抱える。当たり前だ、もしかしたら夢じゃないかと疑ったのだが、意識がはっきりしてきたということは夢じゃない可能性が高いからだ。……仮に夢だとしても、自分が幼女になる夢を見たためにやっぱり頭を抱えただろうが。
もう一度あたりを見渡すが、めぼしいものは見当たらない。とりあえず、部屋から出ないとと思い腰を上げたそのとき。
扉の奥から、誰かが走る音が聞こえてきた。
ぶわりと、髪が逆立つ。自分を拉致したのかもしれない誰かが、こちらに向かって走ってくる。元の俺の体なら何とかできるかもしれないが、今の俺は幼女である。対抗手段などあるはずもない。
あれこれ考えるうちにどんどん足音が大きくなり、そして。
ガチャリと、扉の音が鳴る。
俺のなかの緊急アラームがヴンヴン音をたてる。やばいやばいやばい、これは積んだんじゃないか!?
体を動かそうとするも、あまりの恐怖に体が硬直してしまっている。そのうち、ギィ、と扉が開き、
……メイドのような恰好をした浅黒い肌の女性が、肩で息をしながら、そこに立っていた。
予想外な展開に、思考がフリーズする。俺としては屈強そうな男でも出てくるのではないかと思っていただけに、口を開けてぽかんとしてしまった。
女性は異様な出で立ちだ。メイド服のようなものもそうだが、肌の色、そして銀髪。瞳は暗闇の猫のように金色に光っている。これだけでも浮世離れしているが、何より目を引く特徴が一つ。
女性の耳は、異様に長く伸びていた。まるで、物語に出てくるエルフにように。
彼女は息を切らしてこちらを見ている。そのままただ見つめ合う状態でしばらく時間がたった。
先に行動したのは彼女だ。彼女はゆっくりと顔を歪ませ……
ジワリと目を潤ませた。
いやいや少し待ってくれ、俺の顔を見いていきなり泣き出すとかどういう了見だ、しょっ引いてしまおうか……などと混乱したまま場違いなことを考えてしまった。この状況では混乱しないほうが難しいだろうが。
彼女は慌てて顔をぬぐい、姿勢を正して歩いてきた。その表情は何かを決意しているようにも見えた。そうしてベッドの端まで近づくと、俺と視線を合わせて。
「初めまして、エリンシア・ノロウェイ様。私はこの館のメイドを務めるアルテルと申します。」
聞きなれない、だがなぜだか意味の分かる言葉を紡ぎ、彼女、アルテルは深く礼をしてくるのだった。
……とりあえず、エリンシアって誰だよ。
「先ほどは申し訳ありませんでした。あまりにも感激して取り乱してしまって……」
「いえ、それは別に構わないのですけどね……」
現在俺はこの部屋の椅子に座り、紅茶を飲んでいる。あの後俺はベッドから降ろされ、アルテルがどこかから持ってきた洋服のような服を着させられた。自分で着れると言い張ったのだが、
「これもメイドの務めですので」
と譲ってもらえなかった。女ものの服だが、すっぽんぽんよりはマシである。どうせアルテルしかここにはいないようだし。それよりも自分が知らない言語をペラペラ話している違和感がものすごい。伝えたいことを思い浮かべると言葉が勝手に口から飛び出すのだ。まるで頭と体が別物であるかのように。……いや、よく考えれば別物なのか。
アルテルは椅子に座らず突っ立ったままだ。椅子はもう一脚あるのだから座ればいいのにと言うと
「私はメイドですし、それにここは私の席ではありません」
どうにも筋金入りだ。
とりあえず紅茶をすすって落ち着き、アルテルに話しかける。
「とにかく説明してくれないか?おかしなことばかりで頭がパンクしそうなんだよ」
「もちろんでございます。エリンシア様には是非とも知っておいてもらいたいこともございますので」
「そう、それだ。なんで俺のことをエリンシアって呼ぶんだ?」
アルテルはじっと俺を見つめ、こくりとうなずいた。
「順番にお話しいたします。少し長い話になりますが……」
「構わないよ」
「そうですか。それでは」
そうしてアルテルは語り出した。
「私の主人は魔法使いでした。」
……いきなりとんでもないことを話し始めた。
「あー、魔法使い?」
「はい、魔法使いです」
「それは比喩?それとも本気?」
「もちろん本気ですが……もしや、エリンシア様は魔法をご存じない?」
「ああ」
アルテルは信じられないといった感じだった。いや、こちらとしても魔法なんて、これまで見たこともないのだが。
しかしそこで、今の自分の状態を思い出した。自分の体が性別を変え、年齢も見た目も変化する。科学ではありえないことだ。これが魔法によりなされたことなのだろうか?
「……魔法については後ほど説明させて頂きます。まずは私の主人のことです。」
考え込んでいたらアルテルに咳払いされた。そうだ、まずは彼女の話を聞かないと。
「主人は魔法を探求し、時には遺跡へ赴き古代文明の調査を行って居りました。そんな折、主人はある遺跡で過去例を見ない発見をされたのです」
普通にアルテルの主人の話になっているがこれが俺とどう繋がってくるのだろう。
「その、主人の発見とは?」
「エリンシア様の体でございます。」
「はぁっ!?」
……いきなりぶっこんで来られたよ。
「遺跡の最奥、隠れた部屋に、エリンシア様の体が安置されていたのでございます」
「……えっと、つまりこの体が元々は遺跡に安置されたものだと?」
「はい」
いやいや、二文字で端的に肯定しないでくれ。こっちが馬鹿みたいじゃないか。
そしてまだ見ぬアルテルの主人さんよ、金髪幼女の発見が過去例を見ないだと?それこそ馬鹿げたもんだろう。というかどこぞの少女をかどわかしたんじゃなかろうな?
「どうしてそれが歴史的な発見なんだよ?」
「あなたの体が遺跡にあったことが問題なのです」
「?」
首をかしげる。確かに少女が遺跡とやらに安置されるというのは中々猟奇的なにおいがするが。
「エリンシア様が安置されていた部屋は長い年月をかけて風化しておりました。主人の調査では10世紀は経過しているそうです。
そしてその部屋にはだれかが侵入した形跡はありませんでした。」
そこまで聞きやっと俺は何が問題なのか理解してきた。そして血の気が引いてきた。
「お分かりになりましたか?エリンシア様の体は実に1000年もの間、死にも腐りもしなかったのです……」
しばらく沈黙が続いた。アルテルは俺が言われたことを飲み込むまで黙っていてくれた。
「……何かの間違いってことは?」
「考えにくいかと。エリンシア様を発見して30年は立ちますが、その間あなたは成長も老いもしなかった」
つまり、このエリンシアと呼ばれる体は、不老不死であると。どこぞのおとぎ話でしか耳にしたこともないような存在であると。……いかん、目眩がしてきた。
「主人はひどく喜んでおられました。何しろ長命種のエルフでさえ、500年は生きられないのですから。……しかし、同時にひどく嘆いておられました」
「嘆く?何に?」
不老不死なんてものを見つけたんだ、大きな発見だったろうに、何に嘆いたというのか。
「エリンシア様は、動かなかったのです。確かに息をし、心臓も動いていまたが、それだけ。立ち上がろうとも、目を開こうともしませんでした。
……エリンシア様は、完全な人形だったのです」
「……それは、なんというか……」
どうなのだろう。不老不死の体を調べるという意味では、別に動かなくてもいい気がするのだが。
困惑してアルテルを見つめると、彼女も俺の言いたいことが分かったのか、首を軽く振った。
「主人は不老不死を、完全なものであると考えていました。魔法使いが目指すべき、到達点であると。ですから、動かないという不完全を患ったエリンシア様に、我慢がならなかったのです」
そう言うアルテルは、どこか陰のある表情だった。
「主人はなぜエリンシア様が動かないか調べ、その原因が魂の喪失にあると結論いたしました」
「……この体に、魂がなかったということか?」
「その通りでございます。すべての生物が持つはずの、生物であることの証明。エリンシア様には、それが欠けていました」
「そんなことがあり得るのか?」
「私も主人も、エリンシア様しか存じておりません」
魂の喪失。現代科学に慣れた俺としては魂なんて嘘っぱちだと考えていたが、魔法ありきなら魂も存在する、のだろうか。
そこまで考えて、俺はふと疑問に感じた。
「だが、この体は今は動いているぞ?というか……なんで俺が動かしてるんだ?」
そう、魂がないなら、この体、エリンシアは動かないはずだ。それなのに、今は俺が動かしている……つまり、俺の魂が入っている……?
「……主人は何とかエリンシア様の魂を復元できないか、資料を集め研究を続けました。そうしてある日、一冊の魔法書を見つけたのです」
「……それは?」
「魂元の魔法。術者の魂と引き換えに黄泉の世界から魂を降ろす魔法です。主人は自身の魂と引き換えに、あなたの魂を呼んだのです」
聞いた瞬間、ぞくりと体が震えた。アルテルの主人がこの体に執着しているのは、話を聞く限り分かっていたつもりだった。だが、まさかそこまで常軌を逸しているとは思わなかった。
「……って、ちょっと待て。俺は自分が死んでなんかいないぞ!」
そう、俺は死んでないはずだ。いつものように布団に入って、いつものように寝た。そのままいつものように起きるかと思いきや、こんなことになってしまったのだ。死ぬ要素なんてどこにもない。
「死者という物は自分の死を自覚していないことが多いと聞きます」
だがアルテルは俺の言葉をあっさりと切り捨てた。確かに、死後記憶が残るかどうかなんて、死んだことがないから分からない。……そうか、俺、死んでたのか……
母さん父さん、これから孝行してやろうって時に死んでしまってすみません。親より先に死ぬという親不孝をしでかしてしまいました。
友人たち。いつも集まって馬鹿ばかりやってきたけど、もう顔すら見ることはできないのか。最期にもう一度遊んでおきたかったな……
そして妹よ。兄ちゃんはここまでだったけど、お前は長く太く生きろよ。絶対親に楽させるんだぞ。
……などと、しんみりしていたら、アルテルがごほんと咳ばらいをした。
「ここからが、本題でございます。主人はエリンシア様に『エリンシア・ノロウェイ』という名前とこの屋敷、そして従者として私を残しました。どうか、私の主人、ウィーダー・ノロウェイの娘として、ここで主人を継いでもらえないでしょうか……」
アルテルは真摯にこちらを見つめている。その眼はどこか、捨てられた子犬のように物悲しげだ。ため息を一つつき、俺は口を開いた。
「正直俺は、この世界のことを何も知らない。魔法なんて元の世界では存在してないし、ここを放り出されたらどこにも行く当てがない。それに……もう一度生きられて、そのうえ不老不死ときた。チャンスをくれたのなら、それに報いなきゃだめだろう」
それを聞き……アルテルは、花が咲いたような笑顔になった。
「では!」
「ああ、よろしく頼む、アルテル」
こうして俺は、不老不死の少女、魔法使いの娘、『エリンシア・ノロウェイ』として生きていくことになるのだった。
だいたいこれくらいの分量で続きます。