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決して、君を離さない。

作者: リタルダンド

「神子様、我が国にようこそお越しくださいました。どうぞごゆるりとお過ごしくださいませ」

豪華絢爛な部屋の中心には三つの影が存在していた。若い男に向かって跪く中年の男は、神子である男の後ろを見やった。そこには、沈黙を貫き通して頭を垂れる少女の姿があった。

「そちらの方は・・・・・・?」

「私の従者だ。あれは常に私の傍にあるから気にせずとも良い」

宰相は訝しげな目線を少女に向けるが、神子の冷ややかな視線に怖気づいてそそくさと部屋を出て行った。



「本当にやるのか」

宙に放ったはずの言葉は影のように付き従う少女によって受け止められた。

「ええ、このような場を用意していただき、大変ありがたく存じます」

――様。少女がほんの小さな声で囁いた音を聞きつけた神子は遠くを見つめて呟いた。

「それは滅多なことでは口にするな、セレナ」

真名であることを忘れたか。微かに咎めの意を汲んだ少女――セレナはより深く頭を下げた。

閉め切られた部屋の外。澄み切った青空が酷く違和感を醸し出していた。



* * *

 


その世界は「神」によって創り出された。

「神」は己の世界をある程度まで発展させた後、子を生み出した。

子は「神子」と呼ばれ、それ以降世界を支える存在となった。

「神子」は人々の願いを叶えられる唯一の存在。故に国という国、村という村、人という人が皆その存在を欲した。

「神子」さえいれば常に幸福が約束される。

皆の幸せが「神子」の幸せ。

人々に幸福をもたらし、役目を終えた「神子」が永遠の眠りにつけば、また新たな「神子」がこの世界のどこかで生まれる。

そんな話が、この世界では確かに語り継がれてきた。そしてそれは今でも信じられているのだ。


「神子」の左手の甲にある刻印は「幸せの証」か「烙印」か――。

 


* * *



その晩は月の光がささない新月の夜だった。がさっと葉が擦れ合う音の中に男がいた。それは周りに注意を配りながらもゆっくりとではあるが着実に進んでいた。


――次は何処へ行こうか。


そして男は自らの頭に浮かんだ考えを嘲笑うかのように笑みを零し、どこでも同じだと自分に言い聞かせるように首を振ってひたすら前に進んだ。

周りは草木のみで、月光すらない今晩は闇目が聞かなければすぐに転んでしまうほどだった。

しかし、男はむしろそれを楽しむような雰囲気だった。そのため、暗い森が開けると一瞬出るのを躊躇った。それでも進まなければならない。男は自分に気合をいれ、森に別れを告げた。




男は暗い森を通り抜けた後もなるべく人目につかない場所を選んで進んでいた。漆黒のローブを頭から被り、左手には包帯を巻きつけていた。夜になればその下にあるものは自然と光を放ってしまうため、あまり効果はなかったが、ないよりはましだと男は緩んだ包帯を再びきつく締めなおした。

締め付けられた血管は悲鳴をあげたような気がしたが、自分の体は自分のものであって自分のものではない。くっと笑った男は歩みを速めた。



そして人気のない田舎道を歩き続けていると、視界の先に蹲る一人の少女を見つけた。男は立ち止まって少し迷い、それでもその少女に向かって駆け寄り、手持ちの水を与えた。

しかし衰弱しきった体は水を受け付けることができず、口の端から水を零してしまうだけだった。男はそれを見て自分のポケットの中を探るが、目当てのものは見つけられない。


男は小さくため息をつくと左手の包帯を外し、水を含ませて少女の口に当てた。そのまましばらくすると少女の苦しそうな息遣いが幾分かよくなった。なんとか水分が体内に吸収され、水を受け付けるようになったようだった。男が安堵すると同時に風が一瞬ざわめいたのを感じ、これも何かの縁だろうと男は少女が回復するまで看病を続けた。



そしてあくる日の朝。男が近くの山から薬草を摘んで戻ってくると、少女が目を開けていた。男が傍に腰を下ろすまでその様子を見続けた少女は男が自分と視線を合わせたのをきっかけに話し始めた。


「まずは助けてくれてありがとう。でも、ごめんなさい、大事な包帯を取らせちゃって」

その言葉にぎょっとして目を大きく見開いた男は一瞬後に平静を取り戻して身を翻し、その場を後にしようとする。しかし少女の腕が行く手を塞いだ。

「別にあなたの命を削ろうとしてるわけじゃない」

男は眉をひそめた。

――何故それを知っている。

じっと男の目を見ていた少女は男の心を読んだかのように再び口を開いた。その手が震えていることに男は気づかなかった。

「先代の神子が私の父だったから知っているだけよ」

「神子の娘?ならばどうしてそのような格好をしている。恵まれた暮らしができるはずだ」

男の問いかけに少女は何かを言おうと口を開いたが、堪えるように深く重いため息をつき、地に目線を落とした。


「神子の子だからって優遇されるわけじゃない。むしろやっかまれて酷い扱いを受けるだけ。

馬鹿みたい。私達がいつも願いを叶えてもらってる?笑わせないでよ、神子の幸せを願う私達が神子に願い事をするわけないじゃない」

 

一旦押さえつけたはずの感情がだんだんこみ上げてきて、少女は感情の趣くままに最後の言葉を投げつけた。それは目の前の男にというよりは周りの全てのものに向けたもののようだった。

 

ハアハアと肩で荒い息を吐く彼女のほかには音をたてるものはなく、辺りは静寂に包まれた。

「ごめんなさい、取り乱して」

 震える声に男は反応することなく遠くの空を見上げた。その瞳を見て少女ははっと息を飲み込んだ。ざわめいた心を感じ取ったかのように男は意識を現実に戻した。

「お前の母はどうした」

 どうなった、ではなくどうしたと聞いた男がまだ自分を信用していないことを寂しく思いつつも、少女は無邪気に笑った。

「・・・・・・どうなったと思う?」

「もういい」

そのまま踵を返しそうになった男のローブを裾を少女は慌てて掴んだ。


「待って!私を連れてって!」

「だめだ」

わけを尋ねることもなく、間髪入れずに拒否した男に少女は必死に食い下がる。風がもたらす砂埃に目を潤ませながらも男と対峙した。

「お願い、従者としてでいいから」


男はその言葉を聞いて初めて少女と向き合い、それまでよりも声を低くして問うた。

「お前はいくつだ。何故そこまでして私についてきたがる」

 少女はそんな男の様子に動じないふりをして、震える両手をぎゅうっと握り締めた。

「私は十五歳。理由は・・・・・・そうね、父様を殺したあの国に復讐したいの」

「神子は誰よりも大切にされる。殺されるわけはない」

「そういう意味じゃないってあなたが一番わかってるんじゃない?」

 にっと笑った少女から目をそらし、男は小さく呟いた。


「勝手にしろ」

 


* * * 



「ねえ、貴方の名前は?」

少女を連れているにも関わらず、一向に口を開こうとしない男に向かって少女は問いかけた。最初は無視していた男も、飽きることなく同じ問いを続ける少女に嫌気が差したのか、仕方なさそうに答えた。


「・・・・・・お前の父が神子だったと言うならば、真名がどのような効力を発揮するかも知っているだろう」

言外に真名は決して教えないと言っているが、少女は無邪気に反論した。

「私の名前はセレナよ?

これで対等になったじゃない。ね、教えて!」

男は呆れたようにため息をひとつこぼし、先を急いだ。足の長さの差が災いし、少女――セレナは小走りになりながら夢中で男を追いかけた。




「ちっ・・・・・・」

それはある晩のことだった。男は小さく舌打ちすると、セレナを抱きかかえて茂みの中に飛び込んだ。


「いいか、私がいいって言うまで決して声を出すな」

急に緊迫した場の雰囲気を感じ取ったセレナは無言で首を縦に振り、じっと耳をそばだてた。木々はざわめき、ふくろうはいっせいに羽ばたく。その方角に目をやると、ぼおっと僅かに明かりが見えた。だんだん広がっていくそれによって明るくなる森は不気味さを増して、セレナは男にしがみついた。男は少女を抱く腕にほんの少し力をこめて、そして優しく少女の頭を撫でた。一定のリズムを刻む男の優しい腕によって少女は平静を取り戻した。


「いたか?」

しかしそれもほんのつかの間で、いつの間にか迫っていたかがり火の集団に囲まれたのを認識した少女の顔には不安の色が宿る。男も僅かに眉をひそめ、声のする方向を見つめた。集団は森の沈黙を気にすることもなく、磨き上げられた靴で思うがままに森を蹂躙していく。野生の獣たちは身を潜ませつつも、兵たちの身勝手な振る舞いに怒りで身を震わせていた。

「いない。でも、確かにこの辺りにいるはずなんだ。信頼できる筋から王に密告があった」

「本当にそれは信頼できるのか?」

「ああ。なにしろ左手の甲に槍水仙が浮かんで見えたらしいからな。本物だろ」


セレナはその言葉に息を呑み、小さく呻いた。空気が、ほんの少しゆらめいた。

「なあ、あそこ」

「聞こえたな。行ってみるか」

国の精鋭たちで構成された軍の一員である彼らには空気のざわめきすらも感じ取られ、ゆっくりと足音が近づいてきた。もうだめだ、とセレナは目を瞑った。その様子を黙って見ていた男は静かに立ち上がった。



「――こんな夜更けに何の用だ」

凛とした佇まいに、彼らは押され、一呼吸後に口を開いた。

「神子様、お迎えにあがりました」

残忍な笑みを顔の内側に隠して、野蛮な男たちはそう語る。しかし、濁りきった己の欲望は隠されることはなく自らの体から醸し出されていた。

「別に頼んでなぞないがな」

男はそこで言葉を区切って目線を下に落とした。手を差し出されたセレナは、迷いもせずその手をつかんだ。男はセレナを引っ張りあげて、兵たちの前に進み出た。

「お前たちの主人の所へ案内しろ」



「ようこそ、我が国においでくださいました」

台座の上で王冠を頭に被った王が言った。言葉はへりくだっているのに、見下した態度を取る。セレナは腰を上げそうになったが、男につかまれてすんでのところでとどまった。男は王から決して目をそらすことなく言葉を発する。

「あまり長居するつもりはない。よって不相応な歓迎は不要だ」

「そうおっしゃらず・・・・・・。いくらでもこの国に滞在なさってください」

「あいにく私にも予定というものがあるからな。悪いがまた今度やっかいになろう」

王の申し出に構うことなく己の気持ちを押し通した男の態度に、王は顔に歪んだ笑みを貼りつけた。

「それはそれは・・・・・・。では、その間私たちはできうる限りの歓迎をさせていただきましょう」

王が言い終わるなり、部屋の中に兵が入ってきて、二人を促した。そうして案内された部屋の中で男は真剣な面持ちでセレナに忠告した。

「いいか、決して差し出される金銀財宝に手を伸ばすな。それらを見返りなしに贈る者などありはしない」

「わかった」

セレナもその忠告を心に留めて男と約束した。そして改めて通された部屋の中を見ると、セレナが今まで見たことがないくらい豪華なものだった。自分と引き離されてからの父がこのような部屋に住んでいたのかと思ってもあまり実感できなかった。しかし、この部屋を提供した人々の思惑はセレナのような少女にも十分わかった。


男は部屋の窓から庭を見下ろして、ある一点に目をとめ、何かを呟きながらカーテンを引いた。閉め切ったはずの窓から風がなびいた。



「おはようございます」

その国で過ごす初めての朝。目を覚ますと男の姿はなかった。不安になったセレナは部屋を出て男を捜しに行った。そして廊下で挨拶をしてくる男性に会った。その人は腕章らしきものをつけていて、一目で王に仕えるものだとわかった。

「お、おはようございます・・・・・・」

セレナは緊張しながら挨拶を返した。セレナと向かい合った男性はそんなセレナの様子に苦笑して言葉を続ける。


「どうかそんなに緊張なさらないでください。私はフレックと申します。以後、お見知りおき下さい」

「あ、私は・・・・・・」

セレナです、と続けようとしてセレナは躊躇った。相手が魔力を持っていない場合、真名を教えても無害だが、魔力を持っていた場合・・・・・・。

その葛藤を見ていたフレックは何かひらめいたように手を叩き、優しく微笑んだ。

「ああ、私が魔術師ではないかと心配しておられるのですね!心配はいりません。私は一介の歩兵にすぎませんから」

 太陽のような笑みを向けられたセレナはほっとして自らの名を告げた。

「セレナ様、ですか。良い名ですね」


私などがお使いするなど申し訳ありませんね。フレックが呟いた言葉に反応する間もなくセレナの全身がふわふわとした霞に覆われる。それに誘われるがままにセレナはとある部屋に入った。



「その方をお返しするには条件がございます」

再びセレナが目を覚ました時、目の前には男と王とたくさんの家来がいた。セレナは何のことかわからず、目を何度も瞬かせた。今までぴくりともしなかったセレナの変化に男はいち早く気づき、そして何事もなかったような振りをした。

「どんな条件だ?」

男は明らかに不利な立場にいるにもかかわらず、動揺の気配を全く感じさせなかった。王は不満げに目を細め、苛立たしそうに指で己の頬を叩く。


「私に永遠の命を」

欲望を伝えた王の目はらんらんと輝き、家臣たちも何らかのおこぼれを期待して身を乗り出した。男はそんな様子を見てふっと鼻で笑い、おかしそうに口を開く。

「なんだ、それだけであれを返してくれるのか?」

男は言い終わるなり指で空中に陣を描く。一瞬それが光るとすぐに消えた。

「これで終わりだ。お前には永遠の命が約束された」


男はセレナが捕えられているところに趣き、その番をしている兵士に扉を開け放つように命じる。男の気迫に押された兵士は言われるがままに鍵を使い扉を開放した。

男はセレナを抱き上げ、そのままその部屋を後にした。王の願いがかなったことに狂喜乱舞する彼らはそれに気づかない。そして、かの王が願ったのは不死のみであり、そこには不老が含まれていないという恐ろしい事実にも。



「ごめんなさい」

「もういい」

城を抜け出してから同じ言葉の繰り返しに男は軽く首を振った。

「もういいと私が言っているのだから気にするな」

「でも、私が真名を教えなければこんなことには・・・・・・」

なおも食い下がるセレナに、男は目を細めた。

「あれは私も悪かった。もういい」

セレナはそれでも気がすまないのか、そわそわと目を泳がした。そして意を決したように男と向き合った。


「このたびは貴方様の命を削ってまでこの私を救ってくださりありがとうございました。私はこれまでの自分を改め、貴方様を主とし、この命が尽きるまでお仕え致します」

「別にお前が臣下の礼を取る必要はない」

男は頭を下げるセレナに目を向けるのが辛いと言うかのように目をそらした。そんな様子は地に目線をやるセレナに伝わるはずもなく、そのまま言葉を続けた。

「いいえ、最初に従者としての立場を望んだはこの私。今までの私が貴方様に甘えていただけでございます」

てこでも動きそうにないセレナに呆れのため息を重く吐き出して男は仕方なさそうに口を開いた。

「そこまで言うのならば認めよう。

お前は、死するその時まで私のものだ」

セレナは満足そうに笑って、誓いを男に捧げた。男はそれに対し、セレナの耳元で己の真名を告げた。あまりにも小さく告げられたそれにセレナは何を言われたのかすぐには分からなかったが、その意を理解すると驚愕に目を見開き、真意を確かめた。男は決して取り消そうとはしなかった。




* * *




「神子様、こちらにはいつまで滞在なされるおつもりで?」

ぺこぺこと平身低頭する宰相に目もくれず、男は宙に目線をやりながら冷たく言い放った。

「それがお前に関係あるのか?」

「それはもちろん・・・・・神子様がお使いになられるものの調整もせねばなりませぬゆえ、いつでもよろしいのですがお知らせしていただきたく」

ふん、と宰相の言い分を鼻であしらった男はついと後ろに視線を向けた。その意を正確に読み取ったセレナは宰相の傍に歩みを進めた。宰相は一瞬身を怯ませたが、すぐに姿勢を正した。

「主は大変お疲れになっております。申し訳ありませんが、特に用がないようならば本日はこの辺りで・・・・・・」


「とんでもございません!本題はここからでございます」

セレナの言外の退室勧告を認識しつつも宰相は咄嗟に言葉を紡いだ。ここで神子を使わないわけにはいかない。宰相が心の中で呟いたはずの台詞はセレナにも伝わり、セレナは無言で剣の柄を宰相の腰にぶつけた。

「申し訳ございません、宰相殿。申し遅れましたが、私は主の護衛も兼任しております。ゆえに誤って宰相殿に剣をぶつけいたしましたこと、心からお詫び申し上げます」

セレナは涼しい表情で宰相に謝った。宰相は神子の機嫌を損ねるわけにはいかないと謝罪を受け入れた。


「それで用とは?」

場を静観していた男が先を促した。宰相は一歩前に進み出て、顔を上げた。

「実はこの国はもうすぐ戦を控えております。そうなれば神子様の御身にも危害が及ぶかと。ですので」

「私に戦に勝てるように祈れと?」

身を守るには他の国に逃げるのが得策ではないのか?

嘲笑うかのように問うた男の様子に、宰相は慌てて手を目の前で振った。

「他国ではこの国の待遇には及ばないでしょう。神子様に何不自由ない生活を送っていただくためにもこの国にとどまっていただくのは自然の理。末永くこの地で暮らしていただく所存でございます」

「さっきと言っていることが違うではないか」

舌の根も乾かないうちに矛盾した発言をした宰相を男はおもしろそうに追い詰めた。宰相は顔から冷や汗を流して必死に弁明した。

「いえ、ですから、それはその」

「もうよい、わかった」

下がれ、と言う代わりに手で追い払うしぐさをした男に、宰相はまだ食らいついた。

男は剣の柄を握り締めたセレナを目で制し、宰相に続きを促した。宰相は居心地が悪そうに身を縮ませながらも続けた。

「厚かましい願いだと存じておりますが、これからもずっと安寧を守るために、これから永久的な食糧供給をお願いいたしたく・・・・・・」


男はその言葉に反応し、宰相と目を合わせた。先ほどの茶化した雰囲気は微塵も残っていなく、ただ荘厳なオーラだけが漂っていた。

「お前はその要求が何をもたらすのかわかるか?」

怒りも哀しみもないその問いに、宰相は困惑するだけで何も答えられなかった。神子は神子だ。私達の幸せが神子の幸せ。そう教えられてきた宰相にはその質問の意味すら理解できなかった。


そんな宰相の様子をじっと見ていた男は特に諦めた様子もなく身に纏っていた雰囲気を取り去った。端から期待などしていなかった。

「今回だけはその願い、叶えてやる。だが、覚えておけ。約束された安寧は緩やかな衰退をもたらすだけだ。他人の力によってなされたそれを認めるほど世界は甘くない」

去れ、と今度こそ男が言葉にするなり、セレナはそれを待ち望んでいたかのように宰相の首根っこを捕えて室外に放り出した。部屋に戻ると自らのハンカチを水筒の水で濡らし、丁寧に己の右手を拭った。そして主に向き合った。

「何故ですか!何故あのような無茶な願いを聞き届けられたのです!片方だけでも主の御命を五年は縮めましょう。主もわかっておいでのはずです、あの宰相は主がこの国を訪れたから隣国を攻め滅ぼそうとしているのです」

悲痛に顔を歪ませたセレナを見て、男は小さく息を漏らした。

「ああ、わかっている」

「ならば何故」

「油断させるには一番手っ取り早かったからだ」

どんなことがあっても主を思いとどまらせようとしていたセレナは一瞬動きを止めた。男はそんなセレナの様子を見て言葉を続けた。

「お前と出逢ってからもう七年が過ぎた。いい加減、お前を焦らすのはやめようと思ってな」

セレナはぐっと息を呑んだ。それはまさしくあの日、自分が――様に願ったこと。確かになんとしても果たさねばならないものではあるが、――様に頼る必要など何処にもなかったのに!自らが実行して果てればそれでよかったのだ!



そんなセレナの葛藤が届いたかのように、男は小さく笑った。

「案ずるな。私はこれしきのことでくたばるほど脆くはない」

「主が犠牲になられるその前に、この国の息の根を止めます」

感情を押し殺したセレナをじっと見つめ、男は言った。

「別に無理せずともよい」

「いいえ、あの者たちに主までが利用されるのは私が我慢ならないのです」

一度決めたらそれを変えないセレナの性格を思い出した男は諦めのため息をついてソファにより深く身を沈めた。

「わかった。但し、決行場所と時間だけは知らせていけ」

了承の意を示したセレナに、男はもう何も言わなかった。


 

セレナは主に決行場所と時間を告げ、危ないからその場所に近づかないように請うた後、静かにその時を待った。寝首をかくのではなく、それでいて彼らに最もふさわしい時。終わりと始まりの刻。子の刻を、彼らに。


「そろそろ行くか」

今尚セレナの脳裏にこびりつくあの光景。あの日、父様は力を使い果たした。そうとわかるやいなやこの国の重鎮たちは父様を城から放り出した。父様は最期の力を振り絞って私達に・・・・・・ううん、母様に会いにきた。母様に会えた父様はそのまま力尽きて旅立った。母様はそれを見て深い憎しみに囚われて父様を利用するだけしてごみのように捨てた奴等に復讐しに行った。そして――。

私は父様と母様の敵を討たなくちゃいけない。セレナは胸にたくさん空気を吸い込んで気を落ち着かせた。これで、終わる。

自分の決意が揺るがないよう、主のことは心の奥に閉じ込めた。



セレナは目指していた部屋に入る。中には宰相やそのほかの大臣がたむろっていた。

セレナが侵入したことにまだ彼らは気づいていない。セレナは足音を忍ばせながら彼らに近づいた。そして剣の鞘を捨てて彼らに自分の存在を知らしめた。

「覚悟」

そう言って剣を振り上げる。

宰相たちの恐怖におののく様を見て、腕がなぜか硬直したように動かなくなった。そんな自分が信じられなくて、セレナは自分の腕をにらみつけた。目には涙が浮かび、ぽたっと一粒床に落ちた。

そこに、ぱちんっと乾いた音が聞こえた。気づくと宰相たちはみんな倒れこんでいた。



セレナは前方にある人影を認めて言葉を失った。


「ベルナー、ル、様」 


その部屋の柱に体を預けていたのはセレナのただ一人の主だった。何故ここに?セレナの頭の中を占めるのはその疑問だけで、自分が主の真名を口にだしてしまったことに気づかなかった。いつもならセレナが真名を口に出すと咎める男――ベルナールはむしろ嬉しそうに微笑んだ。しかし次にはいつもの感情を読めない表情に戻り、セレナに近づく。


「気は済んだか?」

その言葉に、セレナはベルナールと視線を合わせて強く反論した。

「いいえ、まだ何も始まってすらいません」

「ならば、お前はその剣を振り下ろすことができると言うのか?」

ベルナールは震えるセレナの両手を見下ろしながら静かに問いただした。セレナは両手を背中の後ろに隠してきっとベルナールを見据えた。


「できます」

「お前にはできない」

間髪入れずに否定され、セレナは悔しそうに唇を噛み締めた。ベルナールはその唇にそっと触れて、優しくなぞった。

「お前は目的が果たせたなら自分の命の灯火までも消すつもりだったろう。

それは、この俺が許さない」

セレナは言われている意味がわからないという顔をしてベルナールを見上げた。ベルナールは昔彼がしたようにセレナを抱えながら語りかけた。

「お前は俺に誓ったな。命が尽きるまで俺に仕えると。それが今であっては俺が困る。お前は、俺がいいと言うまでそばにいろ」

 一見傲慢な言い分でも、セレナには存在していい理由ができたようでほんの少し嬉しかった。ベルナールは満足そうに笑みを浮かべ、言葉を続けた。

「復讐心を捨てろとは言わない。ただ俺の傍から離れるな」

俺をベルナールとして見るのは、もはやお前しかいないのだから。

彼女は頭を下げ、彼は彼女の髪に口付けた。



想いは、告げることなく。




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