図書館と食べ物 三景(食べてはいけないと言われると、ねぇ)
「図書館での飲食は禁止されています(指定された場所での水分摂取は可能です)」
近頃、多くの場でこういった注意書きを見ることが多くなった、一般的な感覚としては至極当たり前で言われるまでもないという内容だが、いちいち伝えざるを得ない状況が発生しているということなのだろう。
資料が濡れる、汚れる、ひどい場合は破損して修復不可能になる。そんな事態を生じさせないためのルールなので、きちんと守るべきものだが禁止されるとやってみたくなるのもまた人のサガである。ゆえに、どうにかこうにかして、図書館で何かを食べるという禁断の行為を試みようとする者は後を絶たないのだ。
LEVEL1 お茶会
この春の新年度から新任の司書教諭として採用されることが決まり、前任者から業務の引継ぎを受けるために私、栗田楓は県立高校の図書室へ赴いた。
「とまあ、やるべきことの概略はこんなところです、時間も予算も限られているので優先順位やスケジュールは図書館担当の先生とよく話合あって決めてね」
想像していたよりも多い業務量と課題にやや不安を抱いているのが顔に出ていたのだろう、前任の阿部さんは続けてフォローしてくれた。
「いい仕事をするためのポイントは協力者を育てること、とくにこの高校では生徒の力は欠かせないの」
「生徒、ですか?」
「そう、主には図書委員会のメンバーね。代々本好きで図書館好きな子たちがどういうわけか集まってくるから仲良くなるとうまくいくわよ」
「仲良く……」
「成績や評価に携わらない大人って、高校生にとっては気楽にからめる存在なのね。これ見てくれる?」
阿部さんが大きなアルミ製の箱を取り出し、フタを開けた。たくさんのお菓子、各地のお土産やコンビニでよく見る限定品のものなど多種多様なものがどさっと入っている。
「あとこっちも、冬の時期がメインだけどね」
こちらもまた様々な紅茶や緑茶、コーヒーポットや急須といったティータイムセットがクローゼットに収まっている。
「みんな委員の子たちが持ってきてくれたの、かかわりの濃度はひとりひとり違うけど、この場所を好きでいてくれる子たちにはいろいろと助けられたわ。とても私だけじゃ食べきれない量だからお昼や手の空いた放課後は秘密のお茶会をしてるの」
「でも、普通図書館でお菓子を食べるっていうのは……」
「図書館やこの部屋の居心地がよくなるようにお茶会をするくらいは許されてるわ、何か言われたら、というか言う人もいないけど生徒の本音をリラックスできる環境で引き出すためとでも説明するわ。そもそもあたしはここでお昼もたべてるし」
確かにこの司書室の雰囲気は穏やかで温かだ、いろいろな悩みを抱える年代でもある高校生が安心して過ごせる場所にもなっているのだろう。
「よそには口外しないように言ってあるし、けじめはつけさせてるけどね。この関係も栗田さんに引き継ぐから、よろしく」
手渡されたお菓子の箱に温もりを感じた。何とかやっていけるかもしれないと、まだ見ぬ頼もしい生徒たちの存在を想像して司書室のドアから見える図書館の様子を眺めた。
LEVEL2 食事
いつもの昼休み、僕はあるミッションを抱えていつもより幾分か足早になって図書館への階段を登っていた。最後の階を登りきり、ガラスの向こうを覗き込むが図書館には誰の姿もない。
僕はほっとしていったん貸出カウンターの中に身を潜めようとしたが……
「せんぱーい、何してるんですか?お茶が冷めちゃいますよぉ」
という呼び声に反応せざるを得なかった。
「う、うん、今行くよ」
と、応えたものの、少し呼吸を整えなくてはいけないくらいに僕の胸は早い鼓動を刻んでいた。
図書委員だけはそこで昼食をとることを司書さんにこっそり許されている司書室に入るとそこにいたのは同じ図書委員の後輩の由紀ちゃんだけだった。
「司書さんは?」
「出張だって昨日言ってたじゃないですか」
「三橋は?」
「クラスの委員の集まりだそうです」
「てことは望月さんも……」
「はい、以下同文です」
図らずも2人きり、である。でもこんなことはよくあることだ、放課後ならば週2くらいは……でも……。そんなことを考えているので自分自身でも食べてるんだかどうなんだかわからない昼食をとっていた。
「売店のパンの種類が増えましたね」
「好きだったジュースが自販機から消えちゃったんですよ」
「土日に塾に通うことになったんですよ、あーあ」
由紀ちゃんが色々と話しかけてくれているのだが、僕のせいでどうにもまともな会話にならずに困っていると急に話が僕のことに移った。
「ところでどうですか、涼ちゃんとの進展は?」
「ぐふっ」
この話題にはさすがに体が反応した。口の中のものをお茶で流し込んだ後も少しむせた僕に由紀ちゃんはたたみかける。
「さては……何かありましたね!今日ぼーっとしてるのは それが原因ですね!さあ、言ってしまって楽~になりなさ~い、ほらほらぁ~!」
と、さあ来い、さあ来い、大好物と言わんばかりの大袈裟な身振りまで加えて追求してくる。
「あのね……」
「わかった!昨日の夜、遂についに…こ・く・は・く!しちゃったわけですかぁ!きゃー!きゃー!きゃー!電話?メール?」
「してません」
「あ、じゃあ……涼ちゃんからこ・く・は・く!されちゃったわけですかぁ!すごーい、涼ちゃんすごーい!」
僕はいつもの「やれやれ」というため息をついた。しかし、ため息をつく自分ですら昨日までとは違うことに気づいた。いつもならため息とともに体の力が抜けてカウンターや机の上に上体をつっぷしそうになる。しかし今日は体の力はそこそこ抜けたが視線は動かず、由紀ちゃんから離れない。さらに放心したようになるいつもの「あーあ……どうしたものかな」という感情はあるのだが、表情には笑みが浮かんできている。
何だろう、これは。
由紀ちゃんもそのいつもと微妙に違う反応を感じ取ったのだろうか、こちらを見つめて固まっている。
不思議な「間」が生まれる。
チッチッチッ……
時計の秒針の音だけが司書室に響く。次の「チッ」を待ちわびることが永遠に続くかのような感覚の中、突然
「先輩……」
由紀ちゃんがその隙間に滑り込ませるように言葉を発した。僕が身構える間もなくそれに続いた言葉は
「鼻から糸コンニャクが」
いつまでも動かないかと思われたこの時間は、まるでコントのようにきれいにオチがついて再び現実の流れの中へと戻った。
告白は、明日以降に先送りだ。
LEVEL3 調理
秋から冬に季節が廻る頃のとある高校の昼休み。チャイムと同時にクラスを出て、人目の少ない場所を探して僕は図書館へたどりついた。部屋の奥の目立たない閲覧机につっぷしていた僕の腹の虫が鳴いたとき、吐き出したため息の反動で吸い込んた空気に何やら香ばしい匂いが混じった。 誘発されて空腹の辛さが強まったが、静寂が支配していた空間に司書教諭の栗田先生のいつもとは違うトーンの声が響いたことに意識は向いた。
「ちょっと、山岡先生!司書室のストーブで炊き込みご飯作るってさすがにおかしいと思いませんか!?」
「まあまあ、栗田先生、ストーブの熱を有効利用するエコの精神じゃないですか」
ついつい興味をひかれて声の漏れてくるドアの前に近付いたところ、「教頭先生に注意されるのは私なんですからね!」と怒りながら栗田先生が出てきた。それを追うように山岡先生が何かを手にして出てきた。
「おう、岡星、ちょうどよかった。証拠隠滅のためにコレ食ってくんねえか?3合も炊いちまったから一人じゃきついんだわ」
山岡先生は僕を部屋の中に引っ張り込み、どんぶりに山盛りの五目ごはんを渡してきた。
「ここ閉めとくからゆっくり食ってくれ、俺は栗田先生のご機嫌取りに行くから」
ドアがバタンと締まる。司書室に充満した香りと立ち上る湯気、割りばしと味噌汁の並ぶ机という環境に空腹はためらいをたやすく抑え込んだ。
ドアから離れ、図書館の入り口付近で山岡と栗田は小声で会話をしている。「たしかあの子、家庭の事情でスクールソーシャルワーカーの中松さんが関わろうとしてるっていう……」
「ま、そうですね」
「山岡先生、もしかして、あの子のために温かいご飯を作って……?」
「いやー、たまたま裏山でいいキノコが出てたんでね、それだけですよ。で、教頭先生への報告はどうなりそうですかねぇ」
「……一旦保留します」
「さすがは栗田先生、恩に着ます」
「ただし、今後は匂いや湯気で司書室や蔵書に影響をなるべく及ぼさないものにしてください」
「善処いたします」
教室に居場所がない、保健室に行けない生徒の居場所に図書館がなれるのだとしたら、週3日だけとはいえ自分がここにいる意味があるのだろうと栗田は思った。図書館担当教員の山岡の力も借りながら、生徒たちを見守っていくことを決意したが、これ以上の野放図な家庭科準備室化は司書教諭の矜持にかけて防がねばとも心に戒めた。




